愚ダメ記、真誤付き、思い津記

日記?趣味?妄想?

第7波だって

2022-03-31 | 日記

「蔓延防止特別措置」が全面解除された直ぐ後に、一日の新規感染者数が増え始めた。「第7波の到来か」って?、減少しきらないうちに抑制を外したから「当然のリバウンド」。それを「新しい波の到来」と呼ぶのだろうか?。

  まあ「増えたり減ったりの変化」が続く中で、数が増えれば「新たな波」と定義するならば、それでも良いのかも知れない。それならば第7波と呼べるかどうかは、「かなり高い数字から始まった」波が波に見えるように、これまでより「一段と高い感染者数に山が届くかどうか」ということに掛かって来るのかも知れない。

 そんなことを考えると、何とか「山」にならず、せいぜい「低い台地」程度のもり上がりで済むように、早め早めに手を打って欲しいものである。「検査の拡充」も「飲み薬の有効活用」も、まだまだ目に見えては来ない。「陽性率30%」という検査状況で、「入院待機者には飲み薬が回って来ない」という状況、これが4月になってもまだ続いているとは年始めの時点で想像して無かった。何とか高齢者のワクチン接種だけが上がって来ているが、何とも「足のおそい政府」。この上はせめて、「慎重かつ確実」ではあって欲しい。


宇宙船外作業の難しさ

2022-03-30 | 日記

何かの番組で宇宙での船外作業の困難さや、宇宙船のアームで目標物を捕まえる難しさを解説していた。そんな時に必ず聞くのが「時速2万数千キロのスピードで飛びながら・・・」とか、「時速2万キロを超えるスピードで飛ぶ目標物に接近する・・・」という解説だ。例によって「時速2万8千キロで並走する・・・」と解説し始めた。

それを聞いていて、「縁側でおばあさんが繕い物をしようと、針に糸を通す姿」を思い浮かべた。おばあさんも、針も糸も、実は地球が回転する速度で一緒に廻って(並走)している。緯度によるが、赤道近くにいるとすれば地球一周4万キロを24時間で一周する速度、つまり時速1700キロくらいで移動している計算になる。宇宙から(例えば月から)見れば、おばあさんは糸や針と時速1700キロで並走しながら「針の穴に糸を通す」という至難の技に(勇敢にも)挑戦し、さらにその後は針と指を至近距離で複雑に動かしながら布を縫い合わせる作業すらもこなしている。

 また「戦闘機の空中給油の映像」をも思い出す。時速360kmという低速でも秒速100mの風に相当する空気抵抗を受け、飛行機の機体や給油ノズル・パイプの少しの変化が巨大台風以上の風によって瞬時に上下左右に振られる危険の中で、それは行われている。2機の飛行機が繋がったままで秒速100mの暴風に浮かんでいるなんて、空気の大きな抵抗を受け時速数百キロで飛ぶ2機の間で行う空中給油の危険性は、はるかに高いと感じる。

 宇宙船が持つ2万数千キロというスピードは地球に対しての速度であって、捕まえようとする目標物との相対速度では無い。そもそも宇宙を飛ぶ物体は対地球速度によって軌道の高さが決まるはずなので、同じ軌道にある時点でそれほど大きな速度の違いは無いはず。気道の高さが同じでも、軌道の向きが異なれば相対速度はかなりの大きさになるが、もし秒速数十メートルという相対速度で移動していれば「テレビでよく見る映像」の画面内を数秒も掛からず通り過ぎてしまうだろう。ゆっくりと近づき捕まえる映像など撮れるわけが無い。もし相対速度の大きな質量を捕まえれば、宇宙船のアーム自体が損傷するか、目標物の運動量によって宇宙船の軌道にも影響しかねない。

 この国の報道に関わる人々は何故その「当然のこと」に気付かないのだろう。宇宙での作業の危険性は「宇宙船の小さな破壊・損傷も、真空の宇宙では重大な空気漏れに繋がる」ことだろうし、船外作業の危険性は「宇宙服の損傷の危険」に加えて「無重力では小さな力がそのまま自分や物体の加速に変わってしまう(つまり少しでも宇宙船を押せば、自分が弾き飛ばされ宇宙に漂う)」ことと考えるが、そちらの方にはほとんど触れようとしない。

「時速2万キロ以上」という言葉がインパクトを持つと想像して選ぶのだと考えるが、「問題は相対速度にある」ということを、少し考える力が有る小学生なら知っている。なぜもっと真実味の高い解説をしないのかと感じてしまう。見せかけの言葉の仰々しさより、実際的な「本当の危険性」を正しく伝えることに注力して欲しい。日頃、政府などに対して「もっと根拠を示して科学的に説明しろ」と口をそろえる割には、自分達がより科学的に説明する責任については「随分と疎い」。「それがこの国の報道の実態だ」と、もうそろそろ気付いて欲しいのだが、それは「そんなにも難しい?」ことなのだろうか。


カモも空を飛ぶ

2022-03-29 | 日記

「カモも空を飛ぶ」。当たり前のことなので、若い人から驚いたようにそう言われて、逆に驚いた。

 野鳥を見てみたいという若い人を連れて、野鳥が集まる河口に行った時のことだ。続いて、「あのカモたちももうすぐ渡って行く」と告げると、「え、あのカモたちは、何処に行くんですか?」と問い返す。「そりゃぁ、冬鳥が帰ると言えば北の方、に決まっているだろう?」と言うと。「え、そうなんですか!。初めて聞いた。」と来る。一体自分はいくつの子供と話しているのか、という気持ちになった。

 そんなやり取りがしばらく続き、最近の若者たちが自然のいろいろな営みといかに疎遠になっているのかをつくづく感じた。当然、カモが渡るということは、「カモが空を飛ぶ」ということ。すると、「え、カモも飛ぶんですか?」と来る、「カモが飛んでいるところなんて、見たことが無い」と。その前に、おそらく野生のカモをそれと意識して見た経験が無いのだろう。

 彼らも大都会に住んでいるわけじゃないので、ちょっとした溜池や河口の堤防を車で走れば、冬場にはいろいろなカモが渡って来ている。多分に、そんな姿を目にした経験はあるはずなのだ。しかし、これまではそのカモたちを見ても、単なる「野鳥」としか認識し無かったのだろう。一つ一つの鳥の種類を同定し、名前を憶えて見直してみると、あらためてそこに「○○ガモ」が居たことに気付いたということだ。

 しばらく見ていると、そのカモの一部が飛んで行った。「ああ、カモって飛ぶんだ!」と若者は感慨深げに言い放つ。自然に囲まれた「田舎の町」に住んでいても、若者たちの多くは身近にある自然の動植物に気を止めることが無いままで生きているのだろう。


対ロシア経済制裁と楽観論

2022-03-29 | 日記

ウクライナ戦争が始まって2カ月が過ぎる。拡大を続ける戦争にやり切れない思いが募る中で、数日おきに「新たな経済精製を発動」というニュースに出くわす。それは「さらに追加制裁の項目が残っていた」と報せると共に、「まだそこまでの制裁措置を取っていなかった」という報せでもある。戦争勃発当初の「最大限の経済制裁」の発表がとこまでの制裁措置を指していたのかが、良く分からなくなって来た。

 「経済制裁はこちら側にも打撃を与える」という今更の説明をするくらいなら、最初の段階で「いつ頃までに、どんな段階を踏んで制裁を強化する」と発表しても良かったのではと思われて来る。それを言えばロシア側も準備することができる、というかも知れないが、ロシアと中国には既に欧米からの制裁への覚悟と「どのように対処するか」の思惑くらいは有ったのではないかと危惧される。

 ニュースで解説する「専門家たち」は、口をそろえて「ロシアはここまでの制裁を受けるとは予想していなかっただろう」と言うが、あのソ連時代を経験して来た現ロシアの指導部の人間が、それほど米国や西欧諸国との親交を当てにしていたとは考えにくい。むしろ「長期の外交・経済関係の断交を耐え抜いても、米・西欧諸国に一泡吹かせる最後の機会」を狙っていたというくらいに感じてしまうが、そんな想像が当たって欲しくは無い。

 結局、EUやNATO諸国の中でも対ロシア依存度の高い国々は、米英とは同じ歩調で進めないでいる。ロシアが意図してもしなくても、それがEUやNATOの中に内包されていた矛盾や歪みを強調してしまう結果になることは、誰にも分かっていたこと。ことさらに「それがロシアの狙い」と言い張っても、解決にはならない。「他国との協調という概念を持たない」米国やイギリスが反ロシアで突っ走ろうとする時、フランス・ドイツとの立場や痛みの違いを考えるかどうかも、今後問題化し兼ねない。

 どうも、「経済制裁を続ければ、やがてロシアは折れるだろう」とする意見には乗れない気がする。最初は「効果あり」と太鼓判を押したかに見えた「識者たち」は、その効果の時間軸を延ばし始めたような気もする。「戦争が終わって欲しい」というのは変わらないが、その後の構図としては「世界の分割」「2つの経済圏の対立」に繋がるのでは?。自分には最初から、それが「ロシアの近未来予想図」であった気がしてならない。ロシア政府関係者の思惑が「再度の冷戦を耐え抜き、今度はそれに勝利する」ことにあるのでは?、と最悪の想像を頭から消せないでいる。


東京は桜が満開らしい

2022-03-28 | 日記

テレビのニュース映像を見ていたら、上野公園や目黒川の桜が満開に咲き誇っていた。自分の周りではまだまだ桜は咲き始めたばかり。東京は桜の開花が早い、というのは昔から変わらない。3月の下旬に東京に行くといつも上野の桜が満開で、地元に帰る頃にはもう散ってしまっているんじゃないかと心配になる。しかし、3・4日後に地元に戻ると、桜は丁度これから満開になる頃で、東京と地元で2回の花見を楽しめるというのは今も変わらないようだ。

 ニュース映像を見ていて、10年近く前に初めて目黒川の満開の桜を見ながらいろんな話をした友人・知人たちの事を思い出した。コロナ禍でずっと会うことも無いままだが、互いの仕事環境や立場も随分変わったのだろう、と。東京の桜満開の映像は、すべて仕事関係・仕事に関する人生に纏わる思いでに繋がる。反対に地元の桜満開の思い出は、そのほとんどが私的な出来事や人生の岐路の選択に関係している。

 今年も、もうすぐ「地元の桜満開」が訪れるのだろう。年度も押し詰まって来て、次年度からの自分の生き方など満開の桜の下で考えてみようかと思ったりする。ずっとコロナ禍で、「東京の桜満開」はテレビ画面の向こう側、つまり「リモート」の出来事。仕事上にもリモートが入り込み、「東京での花見」もずっとリモートだけになった。