愚ダメ記、真誤付き、思い津記

日記?趣味?妄想?

すばる

2023-10-16 | 日記
歌手の谷村新司氏が亡くなった。しばらく前から、健康状態が良くないとテレビ番組などで時々流れていたそうだが、全く知らなかった。自分が「昴」という歌をカラオケでよく歌っていたのでと、知り合いが谷村氏の訃報をメールで教えてくれた。
 「すばる」という言葉は、子供の頃に「すばる座」という映画館の名前で覚えた。その後、星に興味を持つようになった頃、それが星座の名前だと知る。「すばる」は東洋の星座であり、古文の時間には「星座はすばる」という文章を読み、平安時代の清少納言も「すばる」を見上げていたのだと思った。
 星座の本を読み「すばる」が西洋では「プレアデス」と呼ばれることを知る。ギリシャ神話のプレアデス7人姉妹から名付けられた星座には星が6つしか無く、息子を亡くした悲しみで消え去った一人が「行方知れずのプレアード」と呼ばれるとか。また、大昔の軍隊では「プレアデスの星が幾つ見えるか」が良い視力検査法だったとか。その頃の自分には確かに星は7つ位見えていたのに、と最近は秋になるたびにつくづく視力の衰えを感じるよすがとなっている。
 宇宙や星の本を読むと、「プレアデス」が一つの星団であり、それも「一つの分子雲から誕生した若い星々が離れて輝く」散開星団だということを知る。かつて一世を風靡したグループ「アリス」が、一人一人の道を行くと宣言して解散した。そして、その一人谷村新司氏の「昴」という歌を初めて聞いた時、「これはアリスを解散しそれぞれの道に散っていく気持ちを、青白く光る散開星団すばるの若い星々に例えて歌う詩なのだ」と勝手に思った。以来、若い人達と行くカラオケでは、よく「昴」を歌って来た。
 歌手谷村新司が実際にその「プレアデス散開星団の星」に気持ちを寄せて詩を書いたのかどうか、ついに知ることはなかったが、「青白き頬のままで」と我が道を行く決意を歌う歌詞は、若かった自分に言い聞かせる詩でもあったのだ。そして「せめて鮮やかに、その身を終われよ」の詩の如く、その道を歩き続けた氏は、確かに鮮やかに輝いた。
 訃報を知った夜、外に出て夜空を見上げると、ちょうど「すばる」が真上に通り掛かろうとしている。「すばる」に明るく目立つ星は無いが、しかし秋の晴れた空では見間違えなくすぐにそれと分かる星々である。秋、「すばる」が奇麗な季節、多くの人々が「すばる」をそれと指して見上げる頃に旅立った谷村氏を、また季節が巡るごとに「昴」を歌うたびに思い起こすのだろう。

2024年問題

2023-10-08 | 日記
物流・運送業界の「2024年問題」が此のところ大きく取り上げられる。「ドライバーの時間外労働に上限を課す」という、ある種「当然の事」が企業や大口顧客だけでなく、個人の小口(宅配)にまで及ぶ大きな危機を引き起こすというのだから、皮肉なものだ。「荷物の3割近くが届かなくなる」という試算まであるらしい。それは、バブル期前に「便利さ」を掲げて大きく膨らんで来た「宅配」「通信販売」というビジネス・生活様式が、ドライバーの「常識外れの時間外労働」によって「かろうじて維持されていた」ことを表しているのかも知れない。
 かつて陸上輸送が鉄道に大きく依存していた時代に、「扉から扉へ」「ドアtoドア」の触れ込みでトラック輸送が急速に増え、やがて個人荷物を扱う「宅配」が現れて物流・運送業界を席巻した。物流は長距離トラック輸送に置き換わり、まるで鉄道・大量輸送は必要無くなったかのように急速に減退した。長距離トラック輸送や宅配に関しては、当初からドライバーの過剰労働が問題視されて来たが、バブル期以降の数十年間、その問題は社会から「気づかない振り」をされて来たということ。「気づいた途端に輸送力不足が取り沙汰される」ということは、社会全体がドライバーの過剰労働の上に「安くて便利な輸送システム」をひたすら拡大して来たということになる。
 ある番組で、2024年問題の解決法の一つとして「鉄道貨物の利用」が上がっていた。長距離トラック輸送を各拠点を結ぶ鉄道貨物で置き換え、拠点から先の荷主まで比較的短距離区間をトラック輸送が担えば良いのだという。いっそ「やっぱり40年前に戻した方が良いですね」と言えば良いじゃないかと。まあ、「40年前にそのまま戻るわけじゃない」と言い訳は出るだろうが、元のままで40年間来たとしても、その間にいろいろなシステムの進歩・改良は起きただろう。
 基本的には40年前にあった、そして物流の常識であり、鉄道や大量輸送システムが作られる理由、「大量輸送によるコスト・エネルギー削減」というやり方が優れているのは自前の事で、今更の感もある。荷物を個別に「扉から扉まで」運ぶやり方には、それ相応の「余分な」コスト・エネルギーが掛かり、「贅沢=善」とも見えたバブル期に造り上げたエネルギー的・コスト的に贅沢なシステムが、やがては「贅沢=無駄・悪」の評価を受けるということ。また、経済競争の中の「コストカット」で最も安易にカットされるのは「労働の価値」である。バブル期以降の経済不振で、多くの職場で募る一方だった「過剰労働」や「過労死」が問題化する中で、ようやく「ドライバーの過剰労働」にも目が向くようになったということ。
 しかし、医療や介護・看護、教育や建設など「現場での過剰労働」に見て見ぬ振りをして過ごしているこの社会が、本気で「過剰労働を排除した社会システムの維持」に取り組むことが出来るのだろうか?。おそらく、見過ごしにして来たいくつもの現場で「2024年問題」が存在しているはず。すでに建設労働者の不足が表面化し、医師・看護師の不足(数十年前から続くが)、教員不足、バスドライバーや鉄道運転士の不足も。
 結局のところ「2024年問題」というのは、「2024年の混乱によって、日本が一部労働者の過剰労働の上に成立っている社会だとバレてしまう」こと、つまり「2024年には、日本が世界基準を守れないと明らかになって」問題なのかも知れない。

「タカの渡り観察」終了

2023-10-05 | 日記
例年の「ハチクマ観測」を10月1日で終了した。1日数羽から2・30羽が渡る日はまだまだ続くが、強い日光の下で4~6時間も空を見続けるのはせいぜい2週間が限度だ。
 多くの人々は、この季節にいくつかの鷹が西に向かって渡って行くことを知らない。鷹が渡ると自分が聞いたのは30年くらい前だが、この目でそれを見たのは12・3年ほど前の事。その時に知ったが、30年前にラジオで聞いたのはサシバという鷹で、主に四国から九州・奄美諸島・沖縄方面へと渡る。そう言えば、その実況を聞きながら「なんだ中国地方では見れないのか」と思った記憶もある。
 12・3年前に野鳥観察施設で「この辺りではハチクマが渡る」と聞き、昼休みに近くの山に登ったのが「鷹見」の始まり。1回目は空振りで、3回目に山頂をかすめるように飛び去った1羽を見た。気付くと山麓を次々に10羽くらいが西へ向かって飛び、続いてそこから上空に向かって7・8羽の鷹がタカ柱を作るのを目撃した。「本当に、この辺りを渡るタカが居た」という感動と同時に、「これまで何故それを知らなかったのか」という後悔も。
 やがて、そこで知り合った野鳥愛好家たちと「ハチクマの渡り観察」に付き合うようになって十数年になる。その後、より多くの鷹が見られる場所に観察場所を変え、毎年9月の末には毎日山に上がって東からやって来るタカを探して双眼鏡を構える。合計3000羽近くを数えるが、望遠レンズを向けて写真を撮れる距離に近づくのはせいぜい10から20羽。多くは種類と数を確認するのが精一杯の遠くを、あるいははるか高い空を飛んでいく。
 上空高く飛ぶハチクマは、空に浮かぶ雲の端から現れ、青空を横切って一直線に飛んでいく。双眼鏡で捉えてから西へ消え去るまで一度も羽搏きもせず、一路西へと空を流れる様子は、まるで飛行機のよう。おそらく2・3日後には五島列島の西の端から東シナ海を渡り、そして大陸沿岸を南下して1月頃にはインドネシアまで行くというハチクマ、その数千キロの渡りを思わせる姿だ。
 数は少ないが、他にもサシバ、ノスリ、ハイタカ、ツミ、チゴハヤブサなど、いろんなタカの仲間が渡って行くのを見ていると、「さぞかし気持ちいいだろうな」と羨ましくなる。炎天下で真っ黒に日焼けしながらも、いつしか辞められない年中行事になってしまった。

パルクール

2023-10-01 | 日記
先週だったか、この町のどこかで「パルクール」の大会が開かれたらしい。パルクールという言葉を聞いたのは、もう20年か30年前のこと。その時は、ブラジルのリオで流行り出した「岩山を全力で駆け降りる遊び?」と並んでの海外ニュースでの事だと記憶する。パルクールの方はヨーロッパ、フランスやイタリアで流行っている「道路の障害物や家の屋根・壁をかっこ良く超えて行くパフォーマンス」というものだった。
 ある意味で、それは、子供の頃に近所の塀から塀へと飛び移ったり、庭は道に下りてまた向こうの塀や、空地に置いてある土管やコンクリートブロックの山へと飛び移ったりして遊んでいた頃を思い出させる。もちろん、宙返りや逆立ちのようなアクロバティックな事はやらなかったが、同じく流行っていた忍者ごっこや忍者同士の追い掛けっこを自分達で妄想しながら、その頭の中ではきっと今のパルクールに近いかっこ良さであったに違いない。
 それは、大人になってからジャッキーチェンの映画を見て、映像として実現されたような気持ちがした。自分やあの頃の悪ガキたちも、今ならきっとパルクールを真似て空地や近所の物置き小屋などを走り回るに違いない、が・・・残念というか幸せなことに、今やそのような空地も無く、子供が自由に遊びまわれる資材置き場など何処にもない。そのような場所での危険な遊びは、まず間違いなくそれなりの怪我(大なり小なり)に繋がってしまう。だから、社会はそれを規制し、「やりたい人は此処でやりなさい」と、安全な遊び場を用意してくれている。
 今の子供たちは、安全な場所で、きちんとした指導を受けながら「スポーツとして」それらを行うよう指導される。確かに安全だし、正統な身のこなしや正しい技術を身に付けて行く現代の子供たちを見ていると、そのような規制や指導が正しいのだと分かる。昔のように、近所の空き地で勝手に遊んでガラス片で手を切ったり、足で釘を踏んだり、腐りかけた材木から落ちて骨を折ったりする危険は頂けない。
 それでもやはり、昔の「悪ガキ」の時代を過ごして来た世代としては、「不自然で妄想だらけ」のフィールドに浸る自由を味わいたくなる。そして手を折って入院した友だちや、何度も画鋲や釘が刺さった足の裏の痛みや、寸でのところで怪我を免れた幸運と恐怖を思い出して居たいのだ。パルクールは今や「新しいスポーツ」と位置付けられ、「悪ガキ」の手には届かないものとなっているようだ。