愚ダメ記、真誤付き、思い津記

日記?趣味?妄想?

紅白歌合戦

2021-12-31 | 日記

今年の大晦日の夜、紅白歌合戦を一曲も見ることなく過ごした。要するに別の「裏番組?」を見ていたのだが、知らぬ間に12時近くになっていて、「紅白」が気にならなくなっている自分に気付かされた。

 子供の頃には大晦日の夜と言えば、家族でコタツに入って「紅白」を見ていたことを思い出す。と言っても、別にテレビに集中していたわけでは無く、家族でゲームをしたり年賀状を書いたりしながら横でテレビが掛かっているという状況。年によっては、家族で興じられるゲームをしながら過ごすこともあった。普段は歌番組を見たりしない両親も特にチャンネルを変えるわけでなく、たまに歌手や歌の感想を呟いたりしていたことを覚えている。

 思い返してみれば、それは毎年恒例の「一家団欒」だったと言える。いつもは夜遅くまで遊んでいられない雰囲気だったが、大晦日だけは夜遅くまで家族全員で遊びに興じ、テレビの「行く年、来る年」を見て寝床に入るというのが「年越し」の習慣になっていた。その間ずっと流れているテレビ番組としては、家族で共通に話題にできる「紅白歌合戦」が必然的に選ばれていたということだ。

 その後、「紅白」に対抗する各テレビ局の「裏番組」への熱の入れ方が激しくなり、視聴率合戦が激しくなると、こちらとしても大晦日の夜に何を見て過ごすかを考えるようになった。それでも、「大体は「紅白」を見ながら、時々気になるチャンネルを確認する」ということが多かったが、いつの頃からか「裏番組」が主になる年も出て来た。しかし、それでも昨年までは、別番組を見ながら一度か二度は「紅白」の様子を確認したように覚えている。

 今年は、何故かそのように「紅白」をチェックしてみる気にならなかった。別に「紅白」が面白くないというのではなく、「紅白」も他の番組と並んで「大晦日に行われる特別番組の一つ」という感覚になったということ。昔は家で気楽に見られる映像メディアがテレビしかなかったが、今ではインターネットを軸としてテレビ以外の映像メディアの拡がりが格段に増えた。そうなれば、昔のようにテレビという一つのメディアの一つの番組だけが特別に注目を集める理由も、年ごとに少なくなっているということになる。どうやら、自分もやっとこの大晦日に時代の標準に近づけたのかも知れない。


市中感染

2021-12-30 | 日記

新型コロナの新規感染者が徐々に増え始めている。その中で、オミクロン変異株の市中感染が見つかり始めた。オミクロン株は発症率や重症化率が比較的低いと考えられているので、自発的にPCR検査を受けて変異株の同定に漕ぎつけられたケースは実際の感染者のほんの一部なのだと思われる。

 海外からの持ち込みを水際で食い止める策を講じてはいたが、確率は低くてもその検疫をすり抜けるケースがある限り、市中感染者が徐々に増えて来るのは時間の問題だろう。毎日確実に20人・30人と感染者が出るということは、それだけの感染者を生み出す感染元が常に居るということを意味しており、それらの感染者が気付かないまま自由に行動すれば毎日数人に感染させていると考えられる。

 そのように考えると、オミクロン株の新規感染者数は、いずれ、週ごとに2倍になるような勢いで増え始めるのだろうと推測すす。政府や自治体、さらに企業や学校も、当然そのように考えた上で先々の対処方法を準備しておくべきだと思う。おそらくウイルスが弱毒化すればするほど感染拡大は起きやすくなり、やがては数ある感染所の一つに過ぎなくなってくるのだろう。

 今の段階では、いつかそのようになるという期待、ヒト新型コロナウイルス感染症がやがて「感染しやすいが比較的病原性が低くウイルス」の一つに変異(弱毒化)する日が来るのを期待しつつ、当面はまだまだこれまで通りの警戒を続るしかない。

 

 


伸し餅

2021-12-29 | 日記

今日、知人宅で餅つきがあり、頼んでいた一臼の餅を受取りに行った。家に帰ってもろぶたを開けて確認すると、底一面に薄く餅が拡がっている。「ああ、やっぱりよく説明しておけば良かった」と、後悔。

 我が家はずっと「伸し餅」派で来た。此処では杵つきの餅を手に入れるつてが無く、仕方なく、正月の雑煮用にスーパーの真空パックの餅を買って食べて来た。ごく最近、餅つきをやっている知り合いが出来たので、2・3年続けてそこでついてもらう事にしている。

 しかし、この地方というより、西日本一帯ではおそらく「丸もち」が普通で、「伸し餅」と言っても怪訝な顔をされるだけで、それがどの様なものなのか、なかなか分かって貰えない。「千切って丸めなくてもいいから、一臼分そのままをもろぶたに移し四角く伸ばしてくれれば良い」と説明し、昨年は何とか「イメージに近い形」で受け取ることが出来た。

 今年の餅を受取って見ると、昨年よりもずっと薄く、一臼分を2つに分けて、それぞれ厚さ2~3cmくらいの広く伸ばされた餅が入っていた。こちらのイメージでは厚さ5cmくらいは欲しいのだが・・・。そうでないと、薄い板状の餅を四角く切り分けることになり、四角い切り餅の広い面を切断面にすることができない。どちらも四角い餅には違いないのだが、打ち粉の付いている餅の表面と切断面とでは、焼いた時の焼け方や食感に違いが出て来る。

 丸餅が一般的で「切り餅」という風習の無い地方では、なかなか「伸し餅を切る」というイメージ自体を思い浮かべるのは難しいのだろう。どうやら、来年は付きあがりの餅をその場で受取らせてもらい、自分の手でもろぶたに移すしか無いようだ。


南天の実と雪うさぎ

2021-12-28 | 日記

昨日、この辺りではこの冬初めての積雪となった。雪が積もったと言っても2~2cmで、とても雪国の比ではない。しかし、折角の初積雪だから何か作ろうと思い、ベランダの雪を集めて「雪うさぎ」を作った。調べてみると、昨冬は1月1日の積雪で「雪うさぎ」を作っていた。

 例年、冬の初めの頃までに南天やヒイラギの赤い実が鳥に食べ尽くされて残らず、「雪うさぎの眼」にする赤い実が無い。昨冬は仕方なく、クリスマスの飾りに付いていた赤い「造り物の実」を眼に使ったことを思い出した。

 それがどうしたことか、この冬は南天の実もヒイラギの実も鳥に食べられずにたくさん残っている。ということで、我が家では初めて家の庭の南天の実を眼に使った「雪うさぎ」を作ることが出来た。

 作った「雪うさぎ」は寒い玄関に一晩置いていたのだが、朝までには完全に解けて、お盆には水溜りと赤い実が2つ残されていた。この解ける速さが「雪うさぎ」という小さな雪の作品の宿命であり、またその儚さが子供の頃から「雪うさぎ」に抱いてきた愛着の所以でもある。

 庭の南天が大きく育ってからは、一度その南天の実を雪うさぎの眼にしたいと思って来た。毎冬その願いは虚しく鳥たちに阻まれて来た。この冬の暖かさ故か、鳥たちが南天の実を食べ残して置いてくれたせおかげで、ようやくその願いを叶えることができた。


樹氷の中にもマイクロプラスチック

2021-12-27 | 日記

「マイクロプラスチックによる海洋汚染」というのは認識していたが、「大気中のマイクロプラスチック」という見出しに関心を引かれた。大気中に50μm・100μm以下のプラスチック片が漂っていて、呼吸によって人の肺の中にも吸い込まれているらしい。小さなものでは直径10μm以下のものもあるという。九州山地での観測では、中国大陸からの季節風に乗って来るものも多く、山頂付近の樹氷を解かして集めると1リットル中に一万個以上のマイクロプラスチック粒子が見つかるとのことだった。

 確かに黄砂などのように上空に巻き上げられて飛んでくる微粒子に、近年では大陸の都市部で巻き上げられたマイクロプラスチック粒子が混じっているとしても何の不思議も無いが、それが1リットル中に1万個にもなるというのは驚きだ。中国大陸から飛んでくるということは、日本の都市部でも乾いた季節には風で巻き上げられたマイクロプラスチックが町中を飛びまわっているということなのだろう。新型コロナ感染で中国国内の都市活動が低迷していた時期には、九州山地で捉えられた樹氷中のマイクロプラスチックが半減していたというデータも、大気中のマイクロプラスチックが人間活動と密接に関係していることを示している。

 近年は自然界で生物によって分解可能な「生分解性プラスチック」という物も開発され、より「自然に優しい」材料として使われるようになっているが、その生分解性プラスチック成分のマイクロプラスチックも大気中で見つかるそうだ。面白い事に、生分解性プラスチックの微粒子は富士山頂でしか観測されていないとか。それは、「3000mを超える高層でなければ生物により分解されてしまう」ことを示しているのかも知れないという意味で、興味深い知見だと思った。もしそうなら、生分解性プラスチックは「確実に生物に分解されている」ことを示すデータになるかも知れない。そう判断するにはもっと丁寧な検証が必要だろうが、将来のマイクロプラスチック問題に対するひとつの解決策を示してくれているような気がした。

 しかし、現実には「生分解されないマイクロプラスチック」が、それも10μmを下回る微粒子となって空気中を漂っているわけで、それをどのように回収?または分解処理?するかは大きな問題となって将来の人々に圧し掛かって来るかもしれない。数 μm となればヒトの細胞よりも小さく、細胞内部で細胞の機能を担う小器官(細胞小器官)程度の大きさである。さらにもっとよく観察すれば、1μm以下の粒子だって見つかるのかも知れない。そうなると、我々の体の中に簡単に入り込み、生物的には分解できずに生涯貯まり続けるのかも知れないなどと想像してしまう。細胞の機能に何かの影響を与えるような物質を材料として含んでいれば、「プラスチック成分を原因とする細胞レベルでの不調」すら起き得るかも・・・と。

 思えば様々な成分のプラスチック製品が登場して40~50年くらいだろうか?、それを世界中で大量に消費するようになってからでも30年は経つだろう。もしかすると、すでに我々の体内では1μm前後のマイクロプラスチック粒子が細胞の中で引き起こす異常が起こり始めているのかも知れないと妄想した。原因の分からない「現代病」の中には、そのようなものまで含まれているのだろうか?。「マイクロプラスチックだけが原因でないとしても、病気の症状や進行に何らかの役割を果たしているかも知れない」などと考え始めると、何だかこれから先の時代に生きる自信が失われてしまいそうだ。やはり、早急な対策が必要で、その為には正しい科学的データに基づく啓蒙活動によって問題意識を拡大するしかない。