久しぶりに早朝の公園を散歩した。太陽は登っていても空気はかなり冷たく、直接に陽の光を浴びていない限りしんしんと体が冷えた。公園を半分くらい歩いたところで、太陽が差し込むあずまやのベンチで、持って行ったパンを食べて朝食に代えた。空気は清々しく、若干の湿度を感じられる気持ち良い雰囲気に、毎朝ここで朝食にしたら良いだろうな(早起きがかなり辛いけれど)などと思いつつ、背中に陽の光を浴びてしばしテーブルにもたれて暖まる。もう長らくそんなことをやったことが無かったが、背中から体が暖まって来る感触に懐かしい思いがした。
そう、おそらく小学校高学年から中学生の頃の思い出なのだろう。授業中、窓際の席になった時には、冬の太陽の光を背中に感じて暖まりながら、机に伏して授業の話を聞いていることがあった。反対に北の廊下側の席になった時の床や壁の冷たさ、足元に吹き込む隙間風の寒さをも思い出した。そんな時は、全身縮こまってピクリとも動かさず、手は脇や脚に挟んで、ひたすら授業の終わりを待つ修行僧のような気分がした。何の冷暖房設備も無い我が学校の状況を思うと、ニュースなどで紹介される北の地方の教室の暖房の話題を羨ましく思ったものだ。
北国まで行かずとも、東京あたりでも、登校風景に生徒がマフラーや手袋をしているのを見せられると、それだけで自分たちの境遇が嘆かわしかった。何しろ、氷が張る朝でも雪が舞い5~10 cmの雪が積もっていても、自分が中高生だった頃は、登校時の手袋もマフラーも禁止されていた。セーターも袖や襟に見えるようなものは禁止。男子学生はまだ、詰襟の学生服で首が多少隠れるし、ズボンをはくので脚の冷たさは軽減されていたが、女子学生はかなり悲惨である。襟元の開きが大きいセーラー服でもマフラーは許されず、襟元に見えるという理由でセーターも禁止。脚は短いソックスのみで、膝下までのハイソックスもストッキングも禁止。彼女たちから木枯らしの吹く朝に登校する寒さを聞かされるたびに、その我慢強さに敬服したものである。
教室に冷暖房設備が有り服装の自由な大学生になってみると、分厚いコートを着てマフラーを撒いた大学生の隣を、隣接する中学校や高校の生徒がひたすら寒さに耐えて登校している。なまじ滅多に雪の降らない地方に生まれたばかりに、なぜこんな目に合わないと行けないのか?と、心の底から思ったものである。何故、中学生・高校生が靴下やマフラー・手袋で寒さから身を守ることを教育委員会や学校の大人たちが禁じているのか?と。「それを許すと風紀が乱れる」というのが、彼らの言い分だった。
公園で陽の光を背中に受けながら、「つまり、それが許されている大人たちの風紀が乱れているから、子供たちに真似をさせたくないのだ」と、心の中で皮肉を言いつつ我慢していた頃のことを、ふと思い出した。セーターにハイソックス、手袋やマフラーをして登校する私立学校の生徒の姿は、同じ町に住みながら別世界の人に見えていた。まるで、かつてのテレビで見た東ベルリンの町を歩く西側観光客への羨み、その東側の人々の眼差しは、かつての自分達の眼差しに通じていたのだろう。
もちろん?、現在は自分の育った地域でも生徒の服装制限の状況は変わっている。男子生徒全員の坊主頭も見ることは、かなり昔に無くなった。教室の暖房についてはよく知らないが、夏の暑さの中で校庭に30分近く立たされた「朝礼」や、200名が冷房のない真夏の体育館に閉じ込められ汗の滴る中での「夏休みの補習授業」、さらに昼間の太陽の下で数十分に及ぶ「体育大会の入退場の行進練習」などは、無くなったらしい。考えてみれば、かつての小・中・高校生はよくそれを耐えたものである。
それが自分達を鍛えた、ということはあるかも知れない。ただ、それを「教育効果」と呼ぶとすれば、何と貧しい教育しかこの国には無かったのだろうか。そんな昔に感慨?を覚えつつ、清々しい早朝の公園でしばしの暖を味わった。