先週だったか、この町のどこかで「パルクール」の大会が開かれたらしい。パルクールという言葉を聞いたのは、もう20年か30年前のこと。その時は、ブラジルのリオで流行り出した「岩山を全力で駆け降りる遊び?」と並んでの海外ニュースでの事だと記憶する。パルクールの方はヨーロッパ、フランスやイタリアで流行っている「道路の障害物や家の屋根・壁をかっこ良く超えて行くパフォーマンス」というものだった。
ある意味で、それは、子供の頃に近所の塀から塀へと飛び移ったり、庭は道に下りてまた向こうの塀や、空地に置いてある土管やコンクリートブロックの山へと飛び移ったりして遊んでいた頃を思い出させる。もちろん、宙返りや逆立ちのようなアクロバティックな事はやらなかったが、同じく流行っていた忍者ごっこや忍者同士の追い掛けっこを自分達で妄想しながら、その頭の中ではきっと今のパルクールに近いかっこ良さであったに違いない。
それは、大人になってからジャッキーチェンの映画を見て、映像として実現されたような気持ちがした。自分やあの頃の悪ガキたちも、今ならきっとパルクールを真似て空地や近所の物置き小屋などを走り回るに違いない、が・・・残念というか幸せなことに、今やそのような空地も無く、子供が自由に遊びまわれる資材置き場など何処にもない。そのような場所での危険な遊びは、まず間違いなくそれなりの怪我(大なり小なり)に繋がってしまう。だから、社会はそれを規制し、「やりたい人は此処でやりなさい」と、安全な遊び場を用意してくれている。
今の子供たちは、安全な場所で、きちんとした指導を受けながら「スポーツとして」それらを行うよう指導される。確かに安全だし、正統な身のこなしや正しい技術を身に付けて行く現代の子供たちを見ていると、そのような規制や指導が正しいのだと分かる。昔のように、近所の空き地で勝手に遊んでガラス片で手を切ったり、足で釘を踏んだり、腐りかけた材木から落ちて骨を折ったりする危険は頂けない。
それでもやはり、昔の「悪ガキ」の時代を過ごして来た世代としては、「不自然で妄想だらけ」のフィールドに浸る自由を味わいたくなる。そして手を折って入院した友だちや、何度も画鋲や釘が刺さった足の裏の痛みや、寸でのところで怪我を免れた幸運と恐怖を思い出して居たいのだ。パルクールは今や「新しいスポーツ」と位置付けられ、「悪ガキ」の手には届かないものとなっているようだ。