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ピューリッツァー賞、特別賞

2021-06-12 | 日記

2020年のピューリッツァー賞・特別賞に、米国で起きた白人警察官による黒人殺害事件を動画撮影した18歳の女性の受賞が決まった。受賞のコメントの最後に彼女は、「被害者を助けられなかったことが悲しい」と付け加えた。首を押さえつけられて「息が出来ない」と苦しむ被害者を目の前にしながら、助けるための有効な方法が見つけられなかったことが悔しく悲しいという思いが込められ、彼女たちが日々どのような状況下で生きているのかということを知らされた。

 また、誰もがスマホを持ち写真や動画を撮影できるようになり、プロのカメラマンでなくとも重要な場面・出来事を撮影し人々に伝えることができるようになったのだと感じる。ただし、自分も含めて、プロのカメラマンでもない一般人にとっては、実際に何かの重大な場面を撮影し、なおかつそれを人々に伝えるまでには、かなりの勇気が必要となるに違いない。

 ある日本の番組のコメンテーターが彼女の言葉を捉え「彼女も言ったように、報道にはいつも葛藤が付いて回る。報道のために撮影を続けるべきか、それとも撮影を止めて助けに行くべきか、という・・・」と言った。たしかに、そこまでは報道で良く聞くジレンマなのだと思うが。彼はその後に「彼女が何かをすれば被害者は助かったかも知れない、声を上げれば警察官は被害者を押えるのを止めたかもしれない」と続けた。いくらなんでも、残酷すぎる。

 彼女が撮影した動画には、彼女の声かどうかは分からないが、「やめて、助けてあげて」と訴える女性の声が入っている。ニュース映像を見れば、彼女以外に数人の目撃者があり、中には大人も男性も居たことが分かる。彼らにしても、言葉で諫める他には警察官の行為を止めることができずに立ち尽くしていたことになる。当の警察官は目撃者からの声にも動じず、目撃者たちに平然と顔を向けたまま被害者の首を押え続けていた。他に3人の警察官が居たが、彼らも被害者を助けようとしていない。

 そのような状況に居た17歳の女性に、「あなたが何かすれば助けられたのかもしれない」などと、自分ならとても言えない。それとも、あのような大問題となった事件の映像やニュースを見ないままでの発言だったのだろうか。4人の警察官を目の前にして17歳の女性が証拠となる動画撮影を続けるということが、どれだけの勇気を要することだったかについて、少しは考えてみて欲しい。ありきたりの報道のジレンマを取上げるのも良いが、果たしてそれが当てはまる状況だったのかを想像してみて欲しい。

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