愚ダメ記、真誤付き、思い津記

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9月は次期政権選びの月に

2020-08-31 | 日記

現総理大臣の辞任意向表明に続いて、次期総理大臣選出のための与党総裁の選出の動きが始まっている。総理の辞任表明の後、現政権への支持率がかなり上がったという世論調査もあると聞いたが、長期政権を最後は病によって手放さなければならなくなった政治家へのある種の同情とも労りとも取れる世論の反応のように見える。上昇した支持率がそのまま現政権の政策や行政に対する支持を表すとは、必ずしも言えない気がしているので、次期総理が現在の政策や行政をそのまま引き継げば高い支持が望めるわけでは無いだろう。新しい総理が誕生すれば、おそらく最初はやや高めの支持を得られる可能性があるが、それは新総理への期待感を表すことになる。新型コロナへの対策についていえば、現政権の最後に打ち出した今後の方針が実際に具体的にどのように運用され、どのような結果につながるかによって支持率が下がることも十分にあるだろうということ。

 次期政権にとっては、今年の秋以降いろいろと複雑で難しい問題に直面することが予想される。新型コロナ対策にしても、これまでが必ずしも「成功だった、良くやった」とは評価されていない。結果的に日本では感染者数・死者数が欧米諸国などに比して少なくすんでいるが、政府の政策によるものか日本国民の自制心・警戒心によるものかは分からない。政策・行政として見えたのは検査拡充や補助金配布の異様な(欧米先進国との比較で)遅さであり、go-toキャンペーン前倒しの際の準備不足や説明不足・混乱などである。

 今後、特別措置法で対処して来た新型コロナウイルスの指定感染症における位置付けについて議論されることになっているが、これについても各種のかけ離れた議論があり、すんなりと落ち着くようには思えない。そして、今秋の遠くない時点には東京オリンピック開催についての決断を迫られることになる。新型コロナ感染症に対する対策や政策は、今までよりもこれからの方がはるかに難しく、より正確な状況把握と判断、慎重で的確な対応が必要になる。経済再開や感染制御に関する国内対策だけでなく、国際的な経済交流の再開やオリンピックなどでの人的移動再開に向けての国際的基準と国内基準の整合性が大きな問題になって来る。そこでは、この感染症に対する日本の医学的・科学的な分析と社会・経済状況の分析が、どこまで世界に通用するかということになるのだろう。そこでは、「日本人の感染者数・死者数が結果的に少なかった」という事実はあまり意味をなさないと思う。もちろん、日本がその理由を医学的・科学的にも社会学的にも、そして政策論的にも的確に把握し、それを世界に向けて説明する力を持つならば、その事実が大きな説得力を持つのだが。

 その上に、アメリカの大統領選の結果とアメリカの政策転換の有無によっては、新年を迎える前にアメリカとの各方面での再調整も必要かもしれない。とにかく、今まではゆっくりと潜在的に進んでいた国際情勢の変化が新型コロナ感染症の世界的拡大によって、その変化の速度を上げた感がある。米中関係にしても欧米vsロシアにしても、これまで数年で徐々に変化していた国際関係が、新型コロナ感染症から抜け出す頃に急速に変化するような気がする。日本がどういう立場で何をするかについて、今後ますます難しく重大な判断を迫られることになるのだろう。

 いずれにしても9月中には新しい総理が確定し、10月には新内閣が発足することになるのだろうが、次期内閣は今後の日本の針路の重大な転換点に直面し、日本の国際的立場や位置付けを左右する判断を迫られる内閣となりそうな気がする。


月夜の夏

2020-08-30 | 日記

台湾辺りで次の台風が発達中というのに、今夜は月が眩しく光っている。月齢は11日で真ん円ではないが、空気が奇麗なので素晴らしく明るく見える。少し横には黄色味がかった木星があり、その横で少し暗いのは土星らしい。月が明るいと恒星の多くが見えなくなり、明るい惑星が浮き上がって判りやすくなるわけだ。

 夏の夜に2階のベランダに出ると、まだ昼間の熱が残っていてなま暖かい。春や秋の方が涼しく気持ちが良いのは確かだが、夏の夜には薄着かあるいは上半身は肌着だけで丁度良いくらいの温度。多少の湿り気を感じる空気の中で肌を露出してくつろぎ、暗い夜空に一段と明るく輝く月をのんびり眺めるのも、これまた夏の月夜の醍醐味ではある。

 もう少しエネルギーがあれば、三脚と望遠レンズを持ち出して木星の4つの惑星を撮影し、さらに土星の環の写真まで挑戦する考えが頭をよぎるが、昼間、庭やベランダの片づけに精を費やした今夜は、そこまでのエネルギーが湧いてこない。自分でも不甲斐ない気がするが、火星の接近は10月だというし、そのうちまた月夜はやって来るだろう。


黄金色の窓

2020-08-29 | 日記

夕方、散歩の時に、池の対岸の丘の上にある家の窓の一つが眩しいほどの黄金色に輝いていた。大人ならすぐに理由が分かるのだが、地平線寸前の夕陽が反射していたのだ。

 そして時々このような光景を見る度に、小学校の国語の教科書に載っていた話を思い出す。ある男の子が、毎日夕暮れになると遠くの丘の家の窓が金色に光るのを見て、金でできた窓だと思ってしまう。そして、その窓が光っているのを見るたびに、その窓がどんなに奇麗な金で出来ているのかを想像し、一度その窓を間近で見てみたいと憧れるようになる、という話である。その丘は遠くにあってなかなか行けないのだが、男の子は、ある休みの日にそこまで行ってみることを決断する。いくつも丘を越えてやっと辿り着いたその家には、当然、金で出来た窓も黄金色のガラスもなく、すべて普通のガラスの窓だと分かって男の子は落胆するのだが、その後はどうなったのか覚えていない。

 何となく教訓めいた一言でも出て来そうな話だが、その教科書にはそんなことは何も書かれていなかったと思う。ただ、遠くの黄金色に光る窓に心を動かされ、「そこへ行きたい、あるいは近くによってこの目で確かめたい」とひたすら憧れる男の子の気持ちだけが、自分の心に残って懐かしく、それは人間が心に抱くいろいろな想いの中でひときわ大切な宝物のように思える。夕方、外を歩いていて金色に光る窓を見るたびにその教科書の話を思い出し、胸の中からその "憧れの想い" を取り出して、色褪せてないことを確かめ、またそっと磨いて仕舞っておく。


総理の辞意表明

2020-08-28 | 日記

今日の昼過ぎ、「総理大臣が辞意を固めた」とのニュース速報が入った。夕方には総理の記者会見が予定されていたので、朝からその内容を推測・憶測する話題がワイドショーなどで大々的に取り上げられた。今日、というよりは数日前からニュース・ニュースショー番組では盛んに「総理の健康問題」が注目され、事情通?のコメンテーター達を招き予測・推測を繰り広げられていた。「一国の首相の健康問題というのは、国のトップシークレットで、それをどうこう言うこと自体信じられない」というような発言もいくつか聞いたが、逆に、「それが首相の近辺から聞こえてくるから、取り上げられることになる」という発言もあった。

 昼すぎのワイドショー番組もその話題を扱い、司会者が「夕方の総理記者会見は、こんな内容が予想されるのでは・・」と説明する中で、画面上に「総理が辞意を固める」という速報が流れた。何だかんだという議論が数日間繰り広げられた挙句、その ”結論” のあまりのあっけなさに "唖然" である。その少し前に「今、総理が与党本部に向かっている」という情報が紹介され、これは本当に退陣も有り得るのかという気持ちで見ていたが、それにしてもである。一転、番組の設定はひっくり返り、退陣決断の理由や決断の時期などへの推測、次の総理選びの時期・方法などへと話題が移っていった。まだ正式発表も記者会見も無いのに、である。どこまでが秘密なのか、いつまで秘密にしておくべきかは分からないが、どもかく正式発表前に首相退陣速報というのはどうなのだろうか。大臣クラスや連立与党ですらテレビで見て、マスコミの騒ぎで初めて知るという状況だ。

 夕方の総理記者会見は、最大の関心事がすべて "既知の事実" となった上での確認の会見となってしまった。実際、辞意を発表する側にとってむしろその方がやり易かったかも知れないと思うが、やはり、その速報の元となる情報がいつどこから出たのかと疑問が湧く。いくら番記者の勘が冴えていても、責任ある立場の裏付け無く「総理辞任」のような重大時を速報するなどできるはずはない。どこか責任ある筋からの確定的情報が、(意図的に)マスコミに流されたと考えられる。各テレビ局ほぼ同時のニュース速報だが、どの速報にも、それがどこからのどういう形で流された情報か書かれてない。

 つまり、政府からの正式発表でも与党の公式発表でもない(少なくとも、どこもそのように報道していない)のに、その「非公式の情報」で国全体、いや全世界が知ったことになるわけだ。その後の成り行きを見る限り、この「フライング」を政府も政治家も問題にした様子もない。他にも、このような情報ルートや情報公開の責任がどこにあるのか分からない「非公式な正式発表」が日本では多すぎる気がする。報道する側も、政府筋とか情報筋などとしか言わないルールとなっているようだ。せめて一国の首相の辞任という重大情報くらいは、「正式発表」で初めて公にされる状況が作れないものか? この国の公式発表とか情報公開に見られる「情報管理」のやり方が、どこかおかしい気がしてならない。

 

 


一万円

2020-08-27 | 日記

生協の出資金が戻って来た。生協発足の時に出資したことになるが、もう20年くらいも前になるので出資したことも金額も覚えていなかった。多分大した金額じゃないだろうし面倒だとも思ったが、今回手続きをせずとも事務的チェックの要毎にハガキは送られて来るのだろうと思い、出掛けることにした。返還された金額は一万円で思ったより多かった。当時、生協発足にあたって標準的な出資金がそれくらいだったのかと思い出す。

 一万円の返還なら足を運んだ甲斐があったと思いつつ、帰り道に当時と今の価値の違いを考えた。あの頃一万円だった教科書が、今は一万二千円くらい。専門の洋書を選ぶ時も、一万円を超えるかどうかで購入の判断をしていたことを思い出す。文献コピーについても、ひと月に一万円を超えないようにを目安に、部数や文献を選んだことを思い出す。あの頃の一万円は今より少し有り難味があり、一度の出費でそれを超えるには抵抗があった。学生だったこともあるが、今の何倍ものあいだ我が懐に留まってくれたように感じる。その頃は既に聖徳太子から福沢諭吉になっていたが、調べてみると当時の裏面は雉、今のは鳳凰の絵に代わっていた。

 最近の一万円札は随分と懐の滞在時間が短い気がするが、裏面の像が変わっていることに気付かなかったのも無理ないか。これからはもっと一枚ずつをじっくり眺め、別れを惜しんで使わせてもらわねばならない。