愚ダメ記、真誤付き、思い津記

日記?趣味?妄想?

いつの間にか、ズルズルと・・

2021-06-16 | 日記

いつの間にか「五輪開催」がニュースの前提となっている。開催中止・賛成の世論調査は単なる余興だったのか? 政府や五輪関係者はただひたすら「開催が前提」を言い続け、コロナ感染拡大の不安には「安心安全に行う」と当たり前の概念を答え続ける。そのうちにに開催時期が迫り、「どうせ、開催されるのだろう」という諦めが広がるとの読みだったのか。そして世論調査で「どうせやるのなら、せめて無観客で」の割合が増えると、今度は「無観客開催支持は開催賛成」だとすり替える。そしていつの間にか「観客上限は1万人」という話がどこかで流れ、「観客有りの開催が前提」という雰囲気にすり替わるのだろう。

 思い返しても、「何処かの時点で政府の説明が国民に受け入れられ、五輪開催に支持が得られた」という記憶がない。政府はただ「安全安心に開催する」と観念的な表現を唱え続けて来ただけ。とても、「それが国民に理解された」「安心安全の繰り返しによって国民が開催を受入れた」とは言えないだろう。国内の理解が得られないままに国際会議に出向き、案の定、「G7各国の五輪開催支持を得た」ことを「お墨付き」として国民に開催を受入れさせようとしている。あるいは、本気で「外圧利用」のつもりなのだろうか?

 つまるところ、政府は「政府が安全安心と言うのだから、国民は黙ってそれを信じ、とやかく言うな」と言いたいのだろう。これまでにも、世間からの多くの疑問・質問に対して、「公正に行う」「適正に判断する」と当然の規範を繰り返すだけだった。重要な具体的内容・考え方をほとんど説明せず押し通して来た。「政府のやることに間違いがあるはずが無い。国民は黙って政府に言われた通りにすれば良いのだ」が、日本の政府要人たちの考え方なのだろう。まるで、子分からの質問を一切許さない親分のよう。それも一種の専制政治になると思うが、徐々にその度合いを深めているこの国は本当にこのままで大丈夫なのだろうか?

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする