愚ダメ記、真誤付き、思い津記

日記?趣味?妄想?

第5波収束の原因

2021-09-30 | 日記

新型コロナ感染の一日の新規感染者が東京でも200人程度に減少し、第5波はほぼ収束に近づいていると言えるだろう。しかし、マスコミ報道によれば、一時期は東京の一日新規感染者が5000人を上回った第5波がその後約一カ月で十分の一に減少した原因は不明なのだという。

 おそらく単一の原因では無く、いくつかの原因が複合的に作用した結果とされているが、その中で大きいと考えられているのは「感染拡大の勢いを怖れた人々が個々に少しずつ危険性を避ける行動を取ったこと」で、もう一つはワクチン接種の拡がりが挙げられている。一方「人流」は少し現象が認められたものの、目だった減少は無く感染者減少の主な原因では無いと考えられているようだ。

 幸いにも第5波がようやく収束の様子を見せている時に、このまま何となく「ワクチンと個人の行動自粛」だけが感染減少の原因だとされていくと、もし第6波が起きた時には再度「飲食業、イベントの規制」と「マスク・手洗いの奨励」だけがクローズアップされることになるのだろう。「マスク・手洗いの奨励」には何の文句も無いが、繁華街やターミナル駅の人流減少と感染減少とのリンクが今一つ明確でないままに、行政的施策として再度「飲食業・イベントの規制」だけが強化されるということには疑問が残る。

 第5波が収束しつつある今だからこそ、政府はもう少し真剣に「第5波収束の原因」に関する科学的な根拠を調査するべきだろう。今それを行わないまま時間が過ぎれば、当然ながら感染減少の真の要因を明らかにすることは難しくなっていくと思われる。しかし政府からは、そのような努力を行う考えも方針も聞かれず、おそらく何となく「複合的な要因が考えられる」と当たり前でほぼ無意味な誤魔化しで終わるのかもしれない。

 第5波の感染者減少の原因としてほとんど挙がって来ないが、「感染する人の大半が感染してしまったから?」という考え方もできると思う。感染者増加の中で盛んに40才以下を中心とする若い世代の感染者増加が取り上げられたが、それら若い世代の全ての人が同じように感染リスクの高い行動を取っていたわけでは無いだろう。何万人くらいの比較的若い世代がリスクの高い行動を取り続けていたのかは分からないが、8月初旬からの東京での感染者累計は15・6万人にもなる。その3分の2程度が40代以下だとすると10万人程度。

 若い世代の全人口はもっとずっと多いだろうが、いろんな原因で感染リスクの高い生活を送っていた人々の中での感染者が10万人ならば、ワクチン接種者に加えて10万人の高リスク集団が対新型コロナ免疫を獲得したことになるはずである。感染者がどの程度の免疫を獲得したかという調査は、血中抗体価が下がってしまうまでに行う必要があり、もしその調査をするのならもう既に始まっていなければならない。また、若い世代の感染者が必ずしも「言われているような高リスクの生活」をしていなかったのだとすれば、既定の「行動による感染リスクの評価」は根底から考え直さなければならなくなる。どちらも極めて重要な事なのに、誰もどの番組もその事を取上げない(気付かない?)。

 多くの疑問・質問にワクチン接種という一言で切り抜けようとして来た政府だが、現実に何が起きていて、どのような要因が感染者数の減少に働いたのかを今すぐ真剣に科学的に調査する必要があるだろう。第5波収束の要因に関する科学的な分析は、今後可能性のある新型コロナ感染の第6波だけでなく、今後も起きるかもしれない「未知の感染症・パンデミック」への対策や政策評価方法の改善にとって極めて重要と思われるだけに、残念。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ワクチンパスポートは何のため

2021-09-29 | 日記

ワクチンパスポートの話が具体化しそうな雰囲気だ。しかし、それを導入する目的や理由についての吟味がほとんど為されてない印象がある。 ワクチンパスポートの本来の意義は、「ワクチン接種を終えて感染・重症化のリスクが十分に軽減した人であれば、一定の感染の危険性がある機会・場所への立入り制限を緩和できる」という目的であるはず。

 ワクチンパスポートがその意義で使われるなら、「感染・重症化リスクが軽減していないワクチン未接種者には、同様の感染危険性のある機会・場所への立入り制限を続ける」という考えに「差別」という議論が湧き上がるとは思えない。「ワクチン未接種者をも接種済みの人と同じ感染機会に晒すべき」と主張する人は多く無いだろう。

 何を目的にしてそれを導入するのか?という議論を深めないままで、何となく「皆が良く口にしているから」という理由だけでの導入。何故かというと、「何となくだが、皆がよく口にすることを採用すれば支持を得やすい」という安易な世論読み的な政治判断が見て取れるような気がしてならない。

 背景には、ワクチン接種済みの人々の活動を利用して経済の活性化を図ろうという考えがある。経済を動かす上では感染による重症化リスクの低い人々に担ってもらう部分が多くならざるを得ず、その期待は間違っているとは思わないが、「経済の活性化」と唱えさえすればワクチンパスポートの目的や意義、そして未接種者の制限を続けることの問題点に関する議論を避けられるわけでは無い。世界でワクチンパスポートが話題になって半年近く経つが、国内では「良し悪し」の2択を迫る世論調査や論点のずれた解説程度しか目にしない。ワクチンパスポートの意義に正面から向き合う議論をしないことが問題の根幹なのだろう。

 議論を混乱させるのは「未接種者もコロナ陰性証明があれば立入り許可を与える」という「妥協策?」だ。それは「ワクチン未接種者はコロナ感染を拡げるから、PCR検査を行いコロナ陰性を証明しろ」と言うことである。既にブレイクスルー感染が広く知られているように「ワクチン接種済みの人も感染し、また感染源となり得る」のだから、「感染源の立入りを制限する」のならば接種済みの人にも「陰性証明」を求めるべきだ。

 ワクチンパスポートと未接種者の陰性証明を併用する提案では、「ワクチン接種済みならウイルスを持ち込んでよいけど、未接種者はウイルスを持ち込まないでね」と言っているに等しい。あるいは「ワクチン接種済みなら感染源と一緒に過ごすことを許すけれど、未接種の人がそこに混じるならば自らはウイルス陰性であることを証明すべきだ」と、訳の分からないことを強いているにすぎない。それでは「不当な差別性」を訴える声が出ることは当然だろう。マスコミもコメンテーター(と言われる人々)も、誰もその矛盾や不合理性を取上げようとしないことが不思議である。もう一度、原点からワクチンパスポートの意義と目的を整理して考えて欲しいものである。

 実際、ワクチン接種が拡がり2回接種者に広く制限を緩和した国々では、接種できない事情を持つ人々がウイルスに晒される機会の増加を怖れる声もあるという。そこにおいて、未接種者の「陰性証明の携帯」が一体どのような解決策となるだろうか?。今やこの国においても、一部のイベントや公共場所においてそれを真似ようとしている。自分も既に2回接種を終えているが、レストランや映画館に入って「未接種者にだけ陰性証明を課す」という仕組みの合理性を見いだせない。むしろ「未接種者を守る」ための「より感染機会を少なくする特別待遇を与える」というやり方が正しいのではないか、そんな気がしてならない。

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山頭火の句

2021-09-28 | 日記

鷹見の山に登る入口付近の曲り角に山頭火の句が書いた立て札があることに気付いた。ここ数年はこの時期に必ず通っている道、今年もすでに10日近く通りかかった曲り角なのだが、こんな所に種田山頭火の句が掲げてあることには全く気付かなかった。

 自分が育った土地には山頭火が晩年を過ごしたという庵があるという。子供の頃から退屈しのぎに時々登った小さな山の入口近くに、その庵の名を記した案内板がある。いつの頃からかそこが山頭火という俳人に所縁の場所だと知っていたが、その庵にまで行ったことは無い。

 大人になるまでは、彼がどのような人生を送った人物なのか知らなかったが、大学生の頃に地元放送局の番組で聞いた彼の友人だったという男性の言葉が忘れられない。或る時、夜更けまで二人で飲み続けて寝てしまった明け方、目覚めると、その友人の身体の上に小さな卓袱台がひっくり返して載せられていたのだという。

 「彼(山頭火)が自分を気遣い、何も無くては寒いだろうと掛けてくれたのだ」と、その高齢の男性は昔を振り返っていた。友人の下宿で酔いつぶれて二人で寝てしまうこともあった学生時代、その話を自分に重ねて、彼の自由俳句の味わいがさらに深まったように感じたものだ。それ以来、自分も、飄々としつつ何か一つ「取り付かれたもの」と一緒に歩く人生を見つけたいと願って来た。

 むしろ、何か強烈な一つの思いに取り付かれたからこそ、それ以外は気に留めず飄々と生きて行けるのかも知れない。通り慣れた曲り角で何故か今朝は気付いた山頭火の句に、昔のそんな思いを思い出した。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

気候クライシス

2021-09-27 | 日記

「気候クライシス」という番組を見た。その中では「地球に優しく」とか「地球を守ろう」という段階ではなく、実際に自分の生まれ育った島が海に沈んでしまった人々、海岸が年々削られて海が自分の家の土台を洗う所まで追い込まれてしまった人々の嘆き・怒りも伝えられた。「温室効果ガスをほとんど出さない太平洋・インド洋の島々の人々が、最も温暖化・海面上昇による損害を背負わされているという実態だ。

 「シベリアで30度を超えた」という所まで来ている地球温暖化、海面上昇だけでなく、温度上昇や雨量の変動によって農作物の収穫量にも大きな変動が起きるだろう。もちろん、台風の大型化や予測を超える豪雨などによる洪水・土砂災害などにも襲われる可能性は大きい。それが、いつどこで起きるか、予想外の変動がいつ何処で始まるかも正確には分からない。

 つまり「地球に優しく」や「地球を守る」のではなく、「人の生存が可能な環境を守る」「人の命を奪われないように」という段階であることを、少しだが正面に打ち出す意図が番組には感じられた。これから少しずつこのような番組が増えて行くのだろう。「地球を守ろう」とか言ってる場合じゃなく、「地球さん、我々が悪うございました。温暖化は止められないとしても、どうかもう少しの猶予を・・・」とお願いしなければならない状況に入ってきた。

 もし「今更遜るのは不本意」と思うなら、いっそ「地球を調教し人が暮らしやすい地球で居続けるように乗りこなす」と腹をくくるのが良いかも知れない。だがそれを成すには人類の知恵も能力も未だほど遠く、お粗末ではあるまいか。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

視力

2021-09-26 | 日記

日曜日のせいだろうか、タカの観察地には多くの人がやって来た。中には子供連れのハイキングなどタカの観察目的でなく上って来たグループにも、肉眼で見える範囲に飛んで来たタカを見て楽しんでくれた人たちがいた。そこで痛感したのは、自分の視力の衰え。ハイキングに来た子供たちや、休日を利用して鷹の渡りを見に来た若い親子連れなど、若い人達の眼の高性能を実感させられた。

 いつも同年代より上の面々とタカを見ている時には、どちらかというとよく見える方に属しているつもりだったのに、こちらが双眼鏡で四苦八苦して数えている横で子供や若いお母さんに「肉眼で見えますよ、え~と、1・2・3…14羽です」と言われてガックリ。やはり、何事もちゃんと「基準」というものを傍に置いて自分の実力を測る必要があるのだと教えられると同時に、自分の身体の部品たちにも確実に使用期限が迫りつつあるという事実を突き付けられてしまった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする