愚ダメ記、真誤付き、思い津記

日記?趣味?妄想?

春の終わり

2021-04-30 | 日記

4月最後の日と言っても、いつもならまだ春が終わった気がしない。だが、今年は4月の終わりとともに春が終わったような気分になる。久々に近くの公園を周ると、すでに藤棚の花は先端の半分くらいが散ってしまっていて、近くの牡丹も終わり近づいていた。水連や菖蒲の花が咲さき、5月中頃の雰囲気だ。そう言えば、庭のサクランボも食べ頃を過ぎて萎んで来た。

 やはり今年は春も夏も早くやって来そうな予感がする。暖かくなるのが早くても、初夏から梅雨にかけてはどうだろうか? もし、初夏の五月晴れが長続きしてくれるなら嬉しいが、早い梅雨入りはあまり嬉しくない。何となく最近は頻繁に天気の予測が変わるようなきがして、先の読めない季節の進み具合が不気味でもある。コロナ禍の状況変化にしてもオリンピックにしても、これほど先の読めない年に、季節の進行まで読めなくなるとは。

 気象の仕組みも大自然の仕掛けも知らず身の回りの変化だけを見つめていただろう太古の暮らしを想像し、目の前の一日を生き抜くことの大切さを見つけた気持ちになる。しかし考えてみれば、それこそが人が一番に考えなければならない大切な命題だ。今の状況がずっと続くと思うのなら、続ける為の努力を一日一日欠かさずに続けなければならない。日々新たな努力を重ねなければ、描いた先の日々には辿り着けない。昔、山を歩いた頃に何度も再認識した「歩き続けなければ目的地には着かない」という大原則が、また蘇って来る。

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SAKURA

2021-04-29 | 日記

車のラジオから、いきものがかりの「SAKURA」が聞こえて来た。桜は花の時期がもうとっくに過ぎ、青々と広げた葉の上にシトシトト晩春の雨が降り注いでいる。車庫に入れた車の中で、しばし歌が終わるまで聞いていた。歌詞は時期に合わないが、肌寒く過ぎて行く春を告げる雨を車から眺めている気分に、その歌声と曲調がなんとなくぴったりと嵌まっていた。

 聞いているうちに分かったが、いきものがかりの「SAKURA」は卒業式の季節が過ぎた後で咲く桜のことを歌っているということ。近年は桜=卒業式と結び付けられがちだが、それには強い違和感がある。いわゆる「桜ソング」が世の中を賑わす中で出て来た「SAKURA」もやはりいつもの「桜=卒業→別れ」パターンの歌だと思い、きちんと歌詞を聞いたことが無かった。

 「君がいない日々を超えて・・」「この街も春を受入れて・・」と、つまり一人で満開の桜を見ながら過ぎた日の事を思い出している。日本の多くの場所で桜と別れを結び付けるなら、「満開の桜の下でさよならを言う」というよりも「一人で桜の花を見上げながら過ぎた別れや、離れた場所で生きている人を思う」という取り合わせしかない、と共感できる。あるいは、大学に入って初めて家を離れた4月の時のように、晴れた空の下で一面に咲き誇る桜を一人で見ている寂しさを。

 そう言えば、そんな4月の初め大学構内の大きな満開の枝垂桜の前に立ち、校舎と同じ高さのてっぺんから流れ落ちる桜の滝に圧倒されながら「明日からはどんな流れにも一人で立ち向かうしかないんだ」と悟ったことがある。続く5月初めの肌寒い日、満開のツツジに落ちる雨粒を見ながら、過ぎた一カ月のひんやりした一人暮らしを噛締めていた。車の中でぼんやり雨と昔の思い出を見つめ、4月を過ぎようとしていることを思う。此の年も多くの若者たちが「ひらひらと舞い降りて落ち」る花をくぐり、「春のその向うへと歩き出す」決意を刻んだのだろうと。

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大規模ワクチン接種会場の設置

2021-04-28 | 日記

国が主導して、東京と大阪に一日1万人の接種が可能な集団接種会場を作るのだという。ワクチン接種を急ピッチで進めることには賛成だが、果たして一日に1万人を一箇所に集めることが得策なのだろうか?という疑問が湧いてくる。一日に10時間接種したとしても、1時間当たり千人、問診・順番待ちに接種後の30分待機を入れると一人がその会場に40~50分は留まる計算だ。つまり、同じ接種会場に常に約千人が集まっている状況になる。どのくらい広い会場かしらないが、ビルの一つか二つの階を貸切ったとしても入口やエレベーターはかなりの密状態が出来てしまうと思われる。

 都心に場所を作るという意義も明確に示されないと、単に自衛隊を動員して大量にワクチン接種を行うパフォーマンスに過ぎないと受け取りたくなる。もちろん都心にも一定の高齢者人口はあるのだから、その人々に対しては大規模接種会場の設置が有効だ。しかし、現在言われている場所まで電車に乗ってワクチン接種を受けに行く高齢者というのは、一体どの範囲を想定しているのかが良く分からない。高齢者という枠を外すならば、通勤によって住所を離れ昼間は都会に集中する人々に対して、昼間人口の大きさを逆手にとって出勤先でワクチン接種を行うやり方には一理ある。しかし、それにしてももう少し、例えば5・6か所に分散して行う方が現実的のように思うのだが。

 根拠や意義を明確に示しつつ一つずつ確実に理解と協力を得ようという態度が伴わないと、政府がいかに大きな手を繰り出しても人々には不信感だけが生まれてしまう。大規模接種会場の設置の話も、発表直後に湧き出た多くの疑問への答えが示されたとは思えない。何となく確かな計画性に基づかない思い付きそうな抽象的対策ばかりが並べられているようで、オリンピックも含めた今後の成行きが心許ない。

 

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晩春

2021-04-27 | 日記

今は「晩春」なのか「初夏」なのか? と誰かに聞かれた。ツツジが咲き桜の葉の緑が濃くなって来たので、「もう夏が・・」と言いたいところだったが、さすがにまだ4月。夏にはまだ早いと思って「晩春でしょう」と答えた。たしかに、例年なら木々の葉の緑が急激に増してくるのは5月の連休明けだったような気がする。5月に入ればもう初夏と言って全く違和感が無いのだが、今年はやはり季節の進行が一週間から十日くらい早い。

 なぜ季節を確かめたのかと思ったら、撮った写真に一言解説を添えたいという事。何の写真かと見せて貰うと、たまたま見つけたてんとう虫の写真だった。緑の葉の上を這う赤いてんとう虫は、たしかに暖かくなったことを教えてくれるが、晩春を思わせる虫と言っていいのだろうかと思った。念のため俳句の季語にあるのか?と調べると、「てんとう虫」は夏の季語でそれも晩夏の季語だとあった。まだまだ4月なのに、じゃあ春の陽気に這い出したてんとう虫を見つけて俳句を作りたくなったらどうすれば良いのだ?と迷う。取り敢えず「晩春のてんとう虫迷う句作」としておこう。

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ワクチン接種予約

2021-04-26 | 日記

我が町でもワクチン接種の予約が始まった。他県の予約開始日に「電話がつながらない」「電話がパンク状態」というテレビ・ラジオのニュースを聞かされ、朝予約開始直後に電話の競争でもやってみようかと思っていたが・・。夕方、車で帰宅する途中に「あとは何かやり残しは無いか」と考えてハッとその事を思い出し、「あ~ぁ」の一言だ。帰宅すると「ネットでやってみたら?、24時間対応と書いてあるよ」と、「朝、言ってくれたら良かったのに・・」との自分の身勝手な愚痴に対する応酬だ。

 夜、役所のホームページから「予約」のページを開けてみた。取り敢えず覗いてみるだけと始めたが、仕組みを知ろうと進む間に「予約成立」となった。その後、日程を考え直し一旦キャンセル、別会場の空きの有る時間に入れてやり直し予約も「予約成立」。簡単すぎて気が抜ける。「電話がパンク状態」というニュースは何だったのか。高齢者には、そうは言っても電話予約でという人が多いのだろうか。朝電話で競争などしていたら酷い目にあったのかも知れない。

 一方で、我が町の役所が特にデジタル化最先端を行ってるわけでも無いだろう、というか今時これくらいの予約システムってホテル予約と大した違いもないと思う。最近は高齢者のスマホ利用率も上がったし、旅行先のホテルに電話予約、なんてもう20年前。出張先の宿泊予約を若い連中に頼めた身分の人を除き、今の70歳代の多くがパソコンでの予約くらい経験してるはず。ならば電話予約の殺到など予約開始時の一時的な現象かも知れない。「予約電話の大騒ぎ」というニュースが何となく特殊ケースの一般化に思えて来た。大都市でもない限り、半日も待てばパソコンで「予約だけは簡単に出来る」のじゃないかと。ただし「摂取できるかどうか」はワクチンの配布・到着次第となり、未だ知る由もない。

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