愚ダメ記、真誤付き、思い津記

日記?趣味?妄想?

武力の均衡による平和

2022-02-28 | 日記

「平和は武力の均衡によってもたらされるもの」という言い方を、何度聞いたか分からない。「武力均衡がなければ平和が実現できない」とするならば、今回のウクライナ侵攻も「米国・NATO軍とロシア軍の均衡が崩れかけた」ことが原因だと説明されるのかも知れない。「本当に均衡している」かどうかを判定する第3者は居らず、「武力均衡」は当事者の主観に委ねられるしかないからだ。ロシアはその「軍事的均衡」を回復しようとして、言い換えれば「平和の再構築」を目指して隣国に侵攻したという説明しているわけである。

 「もちろん、軍事力の行使も戦争も悪いことに違いない」というのが当然なのだが、「平和を力の均衡によって創り出す」という考え方を否定しなければ、結局は「力を行使した側」の「行使された者達には不都合な理屈」をも成立たせてしまうことになる。今、ウクライナの大統領は米国・NATO軍の直接的支援を待望しているように見える。それは、「ロシア軍に拮抗できる軍事力によってのみウクライナの平和が得られる」という思いによるのだろう。

 でもそれは「NATO軍がロシア国境に武力で迫る」状況を作り兼ねず、それが「平和を創り出せる」のか、「さらなる核戦争をも引き起こす」のか分からない。少なくともロシア軍は「核戦争の必要性」をも感じ取っているように見える。つまり、ウクライナ軍の抵抗がNATO軍の参戦に繋がるなら、NATO軍からの直接攻撃も有りうると考えているように見える。もしそういうことになれば、双方が「相手がいつ核攻撃に踏み切るのか?」という疑心暗鬼を生むことになり、ロシアとしても「核戦争への即応態勢に入る」という指示を出したのだろう。

 今のロシアが通常兵器だけでNATO軍を撃退できるとは思えず、唯一均衡を保てる可能性は核兵器による共倒れの恐怖を用いるしかない。そのまま進めが、プーチン氏がNATOとの「力の均衡による平和維持」を狙うならば核戦争の可能性を持ち出し兼ねないと考える。当然NATO軍もそれを予想するならば、ロシアからの核攻撃の前にNATO軍が核のボタンを押さなければならなくなる。そんな疑心暗鬼が高まれば、米・NATO側からの核攻撃が先になる可能性だって十分にあるとロシア側は当然怖れているだろう。

 かつての冷戦時代と異なり、今回はNATO軍とロシア軍が近づき過ぎていて、米・ロのホットラインで敵方の攻撃を確認している時間的余裕は無くなっている。結局のところ、「力の均衡による平和」というのは片方が「自分の方が不利だ」と信じ込んでしまう所から崩れて行く。それが「本当に不利なのかどうか」は別にして、それが「回復不可能になる前に」「回復できるのは今しかない」という心理に陥れ、過去の多くの戦争の端緒となって来た。日本の過去の「無謀な戦争への道」が、そのことを端的に表している。

 その過去の無謀な戦争について、日本側から見れば未だに「欧米列強に追い込まれた結果だ」「日本だけが悪いのではない」と弁護する意見が絶えない。同様に、今回のロシア軍の行動への「自己弁護」が消えることも無いだろう。「力の均衡による平和の創出」という考えは、詰まる所は今回のように「力による(偽の)平和回復という手段」を選択させてしまう。それを今更ながら再確認させられた気持ちになる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

経済制裁による平和

2022-02-27 | 日記

ロシア軍の侵攻を止めさせるための「経済制裁」が行われるという。直接に軍事力を行使して止めようとすればNATOとロシアの全面戦争に発展する可能性がある以上、取りうる方法が「経済制裁」しか無いというのは納得できるが、その「経済制裁」にもそれぞれの国による「自国の損害を減らすため」の条件が設定される可能性があるという。日本も「経済制裁」には参加するが、北方領土問題における日ロ共同事業を停止するかどうかは今のところ否定的らしい。

 NATO主要国においてもロシアからの天然ガス供給を受けている国々は、「エネルギー分野は例外とする」ように動いているようだ。基本的に「できるだけ自国に損害が及ばないように」というなら、今回の侵攻を「経済制裁」で止めることは難しい。そのことを分かっていて「最大限の経済制裁」でロシアを止めようとしているというなら、それは「ポーズでしかない」と言われ兼ねない。

 少なくとも、それは彼らを頼りに反ロシア政策を続けて侵攻を受けてしまった国から見れば、欧米の主要国は「ポーズ」を取っているだけと映るだろう。「武器援助」は「武器を上げるから、それで戦え」ということで、もちろん自分達の国を守るために自分達の命を懸けるのは仕方ないとしても、「最大の支援」を約束していた国々が、「経済制裁」ですら「ポーズだけ」となれば、「支援を信じて戦っている当事者」は騙された感を持つのではないか。

 やるなら文字通り「最大限の経済制裁」でなければ本気を示すことは出来ず、当然それが自らにも撥ね返ってくる覚悟も必要になるのだろう。全面的経済制裁でNATO主要国に起きるだろうエネルギー不足について、最大の産油国となった米国やそれ以外の「ウクライナ侵攻を非難する産油国」が全面的にバックアップする体制を早急に創るとか、「連帯して侵攻を止める」体制づくりが必要になる。

 但し「理想はそうでも、現実はそうでは無いのだ」という解説は良く分かっている。だからこそ、もしそうならばなぜ、これまで「空手形」を見せ続けてウクライナに頑張らせ続けたのかと言いたくなる。ウクライナの大統領と側近たちには、元々政治に関わって居なかった人物が多いということで、国際政治の「駆引き」や「騙し合い」など全く読めないで片方の言葉を信じ切っていたのかも知れない。ロシア軍侵攻直後に大統領が見せた、「世界で最強の国が、なぜ私たちを助けてくれないのか」と不満を訴える姿がそれを表しているようにも見えた。

 「経済制裁」で対抗するのなら、せめてその効果を最大にするための国際連携が損得勘定抜きにできないものか?。もしそうでないなら、結局は、少なくとも各国政府レベルの「国際政治」は未だに「マキャベリズム」で動いていて、「人権や平和を口にする国々」の連帯も結局はそのレベルで留まると思うしかない。既に米国もヨーロッパ主要国も、そしてロシアも気付いているように?、様々な思惑を持つ国を受入れ過ぎたNATOは、もはや加盟国が団結して「経済危機」を乗り切る態勢も取れなくなっているのだろうか?。あるいは、今回の事が「団結」の切っ掛けになるのかも?。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大きな転換点

2022-02-26 | 日記

自分にとって「自分が結婚した頃」を思い出させる2月のこの時期は、同時にいわゆる「2.26事件」として知られる軍事クーデター未遂が起きた時期である。歴史の時間に教わったその日付は、やがて自分が家族を持った日を思い出す機会となり、その日付の軍事的な色合いを薄めて来ていたが、今年はその時を前に大規模な、もしかすると大戦争に発展しかねない軍事行動が起きてしまった。

 別にこの時期に結婚記念の何かを続けて来たわけでもないが、毎年この時期になるとテレビやラジオでどこか2.26事件に纏わる話題が出て来て、それを聞くと「そう言えば、我々の結婚も我が家の大事件だった」と言って思い出したりする。今年は、その時期がウクライナ侵攻の話題で一色となり、昭和の時代に起きたこの国の軍事クーデター未遂事件を振り返る話を終ぞ聞かずに過ぎ去った。

 この国の2.26事件を振り返ると、それは日本政治が軍主導・軍事優先への傾斜を強め破滅的戦争に向かわせる大きな転換点になったという解説が多い。今回のロシア軍による「2月24日のウクライナ侵攻」は、ロシアの政治・ロシアの未来にとってどのような「転換点」となるのだろうか。これだけの大事件である、それが今後のロシアに大きな変化を引き起さないはずはない。

 孤立化したロシアがさらに強硬な戦争に世界を引きずり込むきっかけとなるのか、孤立・弱体化するロシアが中国との結びつきを強め、今後は米・NATO vs 中・ロという2大軍事力によって世界が分断されるきっかけになるのか?。中・ロ連携が頓挫し、弱体化したロシアの資源・市場が米資本の「草刈り場」となる結末が待っているのか?、そうなった時、逆に、ユーラシア大陸にそこまで発言力・影響力を拡大する米国の正義・正当性は人々にどう映るのだろうか?。・・・つまりそれは、米国は世界の「誰もが頼れる警察」だからなのか?。

 1・2年で急激な変化は起きないだろうが、10年20年後には取り敢えず結果が見えて来るだろう。その時に、歴史家はこの2月24日「2.24のウクライナ侵攻事件」をどう意味づけることになるのだろう。いずれにしても、その時の世界はもう少し平和であって欲しい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ウクライナ侵攻

2022-02-25 | 日記

ウクライナに侵攻したロシア軍は、地上兵力でも主要な都市に向けて進み始めたようだ。今のところロシア政府・プーチン氏は、制空権を奪い主要都市近郊に兵力を配備して圧力を掛ければ、ウクライナ政府が平和への交渉を受入れるだろうと踏んでいるのだろう。そうなれば、最低限ウクライナの中立を力づくで認めさせることが出来るだろうと。ウクライナにNATO軍のミサイルを配備しモスクワを狙わせることが、どれくらいロシアを怒らせるかを「思い知らせる」つもりでの軍事行動なのだと思う。

 しかし、実際に隣国の軍隊に国境を越えて侵攻され、軍の施設だけでなく(意図していない攻撃だとしても)民間施設や民間人の命に損害を与えられたウクライナ国民が、ロシアに対する一層の反感と恨みを抱くことは確かだ。いかにプーチン・ロシア政府でも、そのことに気付かないで軍事侵攻を始めたとは思えない。おそらく、その反感や恨みは「大したことじゃない」と無視できる程度と、高を括ってのことに違いない。たとえそれがロシア軍を追い出す程の力にならなかったとしても、ウクライナ人の多くに徹底抗戦を決意させるには十分かも知れないことを、もう少し真剣に検討すべきだったのではないか。プーチン氏が言うように「兄弟国」からの軍事侵攻であれば尚更のことかも知れない。

 この先の展開がどうなるかは予断を許さない状況で、彼らが米国・NATO諸国からの支援を受けて本当の徹底抗戦を始めれば、やがて市街戦の様相を呈して来るだろう。そうなれば、民間施設や市民に多くの犠牲者が出ることになる。ウクライナ政府は市民にも武器を取って戦うようにと促しているが、そうなればロシア軍にとってウクライナ人全員が敵となるゲリラ戦の様相を呈して、泥沼の殺傷戦に突入することになる。果たして、ロシア軍自体もロシア国民も、そのような事態を受入れることが出来るだろうか?。

 この戦いがどういう結末を迎えても、ウクライナだけでなくロシアにとって利益となることは無い。この事態を「米国が誘導した」かどうか分からないが、おそらくさらにロシアという国を弱体化させる結果となり、プーチン氏が嫌う「米国が利益を得る」結果になるのだろう。プーチン政権が続けば、ロシアは米国に対抗するために中国との関係をさらに密にする道を選ぶのだと予想するが、そうなれば三者で核のボタンに手を掛けながら、互いに自分の勢力を有利に配置しようとゲームをやるようなことになる。かつて、20世紀の後半にそんな「冷戦」が存在していたことを思い出す。今、それぞれの勢力圏と利害関係が変化した世界情勢の中で、再び世界を2分する対立が激化していく前触れが聞こえて来るように思えて身も凍る思いになる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ウクライナ問題

2022-02-24 | 日記

ロシア政府はウクライナ東部の「親ロシア派が独立宣言した地域:共和国」を承認した。米国の軍事援助を受けて強力化していくウクライナ政府軍から、ロシア系住民と彼らの「共和国」を守る手段を手にするのが目的だろう。ソ連邦の解体やユーゴスラビア崩壊の中で、「民族の自決権」を旗印にいろいろな地域が「独立」を宣言したが、それがまたその地域内の一部に住む人々の「独立」宣言を誘発していった。

 ソ連邦の中の「共和国」がどの程度本当の意味で「一つの国」であったのか、よく分からない。大きな共和国の中にはまた別の集団が多数を占める地域が存在するし、どこまでの「まとまり」であれば独立を宣言して良いかという国際的基準があるわけでもない。結局、「強い国から承認を得られれば独立国家になれるのだ」という、暗黙の了解?というか現実理解というか、があるだけなのだろう。

 NATOが「コソボを守るため」にセルビアを攻撃したとき、「コソボを独立させる為ではない」と言ったが、その後ほとぼりが冷めるのを待って?コソボ自治州が一方的に独立宣言すると、米国は早々に承認している。その時にセルビアとロシアは「騙された」と強く非難したのを覚えている。現ロシア政権は、コソボと新ロシア派地域の独立承認は同じだと考えるのだろう。実際、アメリカ主導と思えるコソボ独立承認の波は西ヨーロッパの主な国を巻き込むことに成功したが、自国内に民族紛争を抱える国の多くはコソボ独立承認に踏み切れなかった。

 ロシア・プーチン大統領はウクライナの親ロシア派が独立宣言をした時に、「コソボと同じだ」と言っていたように記憶する。紛争拡大を怖れたフランス・ドイツが間に入って「ミンスク合意」を作り停戦したが、ウクライナはその合意内容にある「親ロシア派地域の自治権」を認めて来なかった。その間に、米国はウクライナ軍強化のための援助を続けており、今の時点でどこまで強化されたかは別として、やがてはウクライナ政府軍が親ロシア派地域を制圧する力を付ける可能性があるとロシア政府が考えても、単なる妄想とも言い切れないだろう。

 当然、ロシアはそうなる前に親ロシア派地域への武器支援を行うことになるだろうが、それを考えても「独立を承認してしまった上で、その国の要請に応じて軍事支援を行う」と言う方がやり易いと言うことだろう。ロシア政府・プーチン氏は「アメリカがやるなら自分達も同じことをやる」という考え方で一貫していて、「詳しく見れば同じではない」という反論は受け入れるつもりが無いだろう。要するに、ロシア政府が「アメリカがやった」と言っていることは、「ロシアもやる」ということなのだ。何故ならロシアは米国と張り合っているのであって、「米国もロシアを弱体化させようと様々な手を使って来たし、これからもそうだ」と考えているのだから。

 ロシアにとってNATOはアメリカ主導の「ロシア封じ込め」を目的とする軍事同盟だと考えている。それを被害妄想だと言っても、ロシア政府を納得させることは不可能だろう。ソ連邦崩壊で一旦は仮想敵国が消えたように見えたNATOだが、セルビア攻撃によって「欧米が必要性を認めた場合は加盟国以外の紛争であっても軍事介入する軍事機構に変貌した」とロシア政府は受取ったのだろう。その軍事機構がロシア人の住む隣国国境からミサイルで10分足らずのモスクワを狙っている、という状況を思い浮かべただけで「それならば、いっその事今のうちに」という決断を下したのだろう。

 いかなる軍事行動・戦争も賛成するつもりは無いが、ロシア政府・プーチン氏が演説でも語ったように、「ロシアが国として成り立つかどうかの瀬戸際にある」と分析しているのだとすれば、軍事行動はかなりの規模で強いものになり兼ねないと危惧する。ロシア政府にそう思わせるような米国の「見えない動き」が果たしてあったのかどうか、それは闇の中だ。少し前だが、ウクライナの大統領が「中立でも良い」と弱気になっていると聞き、米国が慌てて「中立を受入れてはいけない」と説得するための特使を派遣したというニュースを聞いたが、自分としては「米国は、なぜウクライナが中立ではいけないのか?」が分からない。

 ウクライナの安全を第一に考えれば、ウクライナの中立を盾に「ロシアの軍事進攻が絶対に無い」という確約を取り付ける策もあったのでは?と。NATO加盟についても「NATO参入はウクライナ自信が決めること」の一点張りだが、米国やその他NATO諸国も加入に反対する権利は持っているのではないか、と思う。もしかして、加入要請があれば「自動的に加入」って、そんな奔放な軍事機構なのか?。それとも、NATO側が「ウクライナの加入は、NATO側の圧倒的優位の確立・・・軍事的勝利」とでも考えているのなら、その仮想敵国に当たるロシア側の「軍事的脅威・恐怖」は当たっていることになる。

 米国に「なぜ、そこまで軍事的な圧倒的優位が必要なのか」と問えば、それは「ロシアには米国を狙う核兵器があるから」という返事が返ってくるのだろう。カリブ海に新ソ連・新ロシアの国が出来るとそれは容赦なく叩き潰して来た米国である。人が異なると言っても、米大統領が「キューバ侵攻も有り得る」と平気で口にできるのは、米国においてそれが単なる個人的妄想じゃ無いからだ。結局のところ、米国もロシア同様に「核による脅し合い」を続けているということ。そう考えると、ロシアを冷たくあしらう反面でウクライナを「口で」支え、一方では「ウクライナには米軍を送らない」と、ロシア政府に「暗黙の了解」とも取れるシグナルを発信していた米国の「裏の思惑」も覗いてみたくはなる。

 引いて考えて見ると判るが、ウクライナが「泥沼の紛争」に陥れば、ロシアは資力と武力を浪費し、弱体化していくだろう。かつて米国がベトナム戦争で疲弊したように。ましてはウクライナはロシアの「兄弟国」「広く見れば、共通の歴史を持つ同胞」でもある。それが互いに泥沼の戦争を続けるとなれば、精神的にも社会的にもロシアが受ける打撃は「ベトナム戦争」の比ではない。当然、NATOはその片方に武器援助を続けながら見ていればいいわけで、かなり有利な状況を作り出せることになる。

 現在の米国やNATOの首脳陣たちは「素晴らしい人格者」なのだから、そんな悪どい計画は立てないとは思うが?、仮にこれが「戦国時代の武将同士の勢力争い」だったとすれば、歴史家は誰しも「その戦略家ぶり」に感心するはずだ。普段「武力が無ければ他国に攻撃されるのだ」と説いている政治家たちが、一斉に「現代は戦国時代とは違って人道主義の時代」?などと言い始めるとすれば、それこそ「裏に何かあるのでは」と疑いたくなる。

 但し、もしもロシアと中国が本格的に「同盟関係」を築くようなことになれば、行く行く「とんでもない悪手」と言われかねない惧れもある。北京五輪前の中ロ首脳会談、プーチン氏の目の座った「確信犯」ぶりを見ていると、「それもあり得るか」かと。今後は「経済も軍事も米・EU/NATOから切り離し、中ロ同盟の中で発展を目指そう(宇宙開発も?)」なんてことに?。国連での中国の態度が注目される。中国もまた、自国の利益を最大化するために米国とロシアを上手く操って漁夫の利を得ようとするのだろう。

 軍事作戦が始まれば人命が無くなることになるのだから、その事態を「命」と無関係の政治・戦略の面だけを上げて「ああだこうだ」と言うなんて、不謹慎に間違いない。しかし、これがさらなる大きな戦争の引き金にならないように、と思うと、「思いつめた強権主義の武闘派」を不用意に追い込んでほしくは無かったと思えてくる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする