連載マンガ「あしたのジョー」を取上げた番組があった。主人公のジョーに思いを重ねた学生運動家たち、「全共闘」のリーダーが「あしたのジョー」の名前を叫んだという話。ジョーのライバルだった力石徹の「隠れたモデル」と言われる人物が、まさに当時の学生運動を抑える側に立たされた学生でもあったという話。フィクションであったはずのジョーが人々の意識の中で独り立ちし、やがて実際社会の動きの中で多くの人々の心の中に強烈な存在となって行ったことが分かる
番組では、マンガの中の登場人物「力石徹」の葬儀を行った劇団「天井桟敷」主催者・寺山修司の思いと、葬式に多くのファンが実際に参列したことも取り上げられた。寺山修司を知る人物の一人が「それは寺山修司にとって、それまでの時代への決別だった」と語った。「力石が死んだ!」という言葉が、当時の漫画ファンの子供たちの間でも大きな衝撃を拡げた。「なぜ力石は死ななければならなかったのか?」、子供たちは理由など考えることもせずに、ただ予想も付かないストーリー展開にショックを受けていた。
だが、今になって作り手側の思いがどうだったのかを聞き、「ストーリーの中での必然性」を納得できたような気がする。「人気連載マンガ」以上の空前の作品となった「あしたのジョー」が背負っていた「もの」を、あらためて大人の目で振り返った気持ちだ。寺山修司による現実世界での「力石徹の葬儀」の意味も、寺山修司という人物がその時代に放っていたオーラも、やっと分かったような気がする。そして、同時に、その「力石徹の死」は、「あしたのジョー」の中での前半での出来事に過ぎなかったことが思い出された。その後のジョーはどうしていたのか?、はっきりとした記憶がないのだ。
マラソン選手の有森裕子が「あしたのジョー」の熱心な読者だったということを知った。年代から見て連載マンガでのリアルタイムの読者ではないと思うが、それでも彼女の競技人生や人生観に影響を与えたようだ。番組では「あしたのジョー」のラストシーンについて語っていた。バルセロナ五輪でのマラソンで銀メダルを取った時、あのラストシーンに「ジョーは死んだ」と感じていたそうだ。「すべてが燃え尽きた」というのは「もう生きる必要が無い」ということに思えたのだろう。彼女も銀メダルを取った後、死んだように感じていたと思い返していた。しかし、アトランタ五輪のマラソンで銅メダルを取った時には、同じラストシーンのジョーに「ちゃんと生きていて、これから何かを始めるのだろう」と感じていたという。最後に「燃え尽きたら、生きていなきゃ。」と締めくくった。
自分はあのラストシーンをリアルタイムで読んだ。ホセとの試合は最後は毎週1ラウンド分しか進まず、試合終了まで数か月間、マガジンの発売日を心待ちにして行きつけの喫茶店に入り、長い間の順番待ちの末に「あしたのジョー」を読んでいた。その試合が終わった時、どちらが勝つかも興味大ありだが、最終的に「あしたのジョー」を終わらせるのか、まだ続けるのか、終わるとすればどう終わるのか、に関心があった。あのラストシーンのジョーを見て、その台詞を見て、自分も決して「ジョーが死んだ」とは感じなかった。ただ、そこまで闘い続けて来たものに納得し、自分が全てを尽くして闘うことが出来たという満足、というか安堵を噛締めているのだと。有森裕子が語ったように、「生きていて」、いや「生き抜いて」、「きっと、何かをまた始めるのかも知れない」という期待を感じたラストシーンだと思って来た。
随分長い時間を経て、またそのことを思い出す日があるとは思わなかったが、同時に、ジョーの生き方や「あしたのジョー」の物語がずっと生き続けているということに、感動させられたひと時だった。