愚ダメ記、真誤付き、思い津記

日記?趣味?妄想?

新規感染20万人越え

2022-07-31 | 日記

全国の新型コロナの新規感染者が3日連続で20万人を超えたそうだ。「第7波に突入か?」という話題が出てから、あっという間の急激な感染拡大。まだ、いつになったら拡大スピードが落ちるのかすら分からないようだ。

 次の感染の波に対しても「万全の策を講じる」、「これまでの経験を基にして十分な準備を」していたはずだった政府は、ただただ呆然と見ているようにしか思えない。既に第5波・第6波で、市中感染がどれくらい進んだら「医療崩壊」の危険があるのかということは経験済み、そのデータはとっくに集まっていたはずだ。

 新たな波で重症化率が下がり、症状が軽くなったり、無症状者が増えれば「行動制限」は控えるというのは決めていたようだが、その場合には、1)感染の拡大スピードが格段に上がり、2)市中の検査機関や一般外来、救急外来、救急システムのキャパシティーを易々と超えてしまう、という危険があることを見抜けてなかったのだろうか。もしそうならば、「体験に基づく準備体制」は極めてお粗末でしかなかったことになる。

 結局、毎回の波が来るたびに思うのは「対処が遅い」「予測が甘い」「国民任せ」という印象がますます濃くなっていくということ。政府の対応を見ていると、何となく「次の波が来ても、おそらく重症化率は低くなるだろうから、敢えて既存のシステムを強化したり新たな仕組みを考える必要も無いだろう」と高を括っていたという気がして来る。

 せめて「波」の冒頭に「検査キットの配布」とか、コロナ以外の診療や救急体制をどのように強化・補強するかという「対応案」を作っていて欲しかった。今聞こえて来るのは「結局のところ、これまでの繰り返し」でしかない気がする。そりゃぁ、少しは変わっているのだろうが、実際に起きている状況は過去の2つの大きな波と同じ。

 感染規模は確かに過去を上回るが、「軽症・無症状が増えて感染者が気付かないまま出歩く。まして行動制限も無ければ、過去の2回の波よりもずっと拡大スピードが上がり、ピークも格段に高くなる」ことは当然予測できたはず。唯々、「ああ、またしても口だけだったか・・」と嘆くのみである。

 


極早生リンゴ「南部魁」

2022-07-30 | 日記

8月に入って夏が本格化しようという矢先、テレビでは極早生リンゴの話。県の奥、山間地域のリンゴ産地では極早生種の「南部魁(まとう)」がもう食べられるという。すでに国道わきのリンゴ販売店では「数を限定して」売り出すのだとか。8月半ばにはリンゴ園の「リンゴ狩り」も早生リンゴから始まるのだとか、

 「秋の味覚」とばかり思っていたリンゴは、部分的には「夏の味覚」へと食い込んで来ているようだ。夏休みの日記に「リンゴ狩り」が載っているのも妙な気分だが、夏は海も山も楽しめて、ついでに「おいしい果物」にかぶり付けるのなら最高だ。

 8月に入るともうスイカは時季外れだ、と八百屋の人が言っていた。「夏休みは冷やしたスイカを食べて始まり、冷えたリンゴを齧りながら終わって行く」なんて、思い出を子供たちに作ってやりたいような気分になって来た。テレビによれば、リンゴは気温が高いほど甘くなるのだとか。これまでは秋じゃないと季節外れの感じて無視して来たリンゴ狩り、これを機会に「秋が来て季節外れになる前に、夏休みのリンゴ狩り」に出掛けて見るのも良さそうだ。


寒冷紗

2022-07-29 | 日記

毎夏の事だが、今年も庭一面を被うように寒冷紗を張った。2階のバルコニーから庭を被うように拡げて、敷地の端の柵に紐を縛り付けている。3枚を並べて張っているが、風が吹くとユラユラと揺れて隙間が拡がったり重なったり。隣同士を結合する試みもいろいろやってみたが、結局、風の力には抗えず留め具が外れたり壊れたり。下手に強く結合し過ぎて寒冷紗そのものが破れては困るので、結局、3枚が自由にはためくようにしている。

 以前、梅雨前のかなり強い日差しの晴れの日に、庭の鉢植えの木の大半が一日で葉が茶色くなって枯れてしまったことがあった。それで寒冷紗を張ることを始めたが、やはり寒冷紗があると無いでは庭に出た時の日差しの「痛さ」が違う。真夏でも「安心して」庭に出られるようになった。今年は梅雨明け後に雨や曇りが続き、寒冷紗を張るタイミングが見つからず、7月の終わりになってしまった。

 寒冷紗を張り終えてから庭に出てふと見ると、鉢植えの木瓜の葉が全て茶色く変色してしまっていた。先日・先々日と晴天が続いた時にやられてしまったらしい。寒冷紗を張るのが遅すぎたのだ。それ以前に気付いて庭木の陰にでも入れてやっていればよかったものを、と後悔。何とか、枯葉が落ちた後に復活してくれれば良いが。

 周りの家を見ても、庭の上を寒冷紗で被っている家など見当たらないが、一度張って見るとやめられない。部屋から窓越しに見る庭の景色も何となく涼しげに見えるし、窓越しのまぶしい照り返しに暑さの追い打ちを感じなくても良い。台風が来れば、柵に結んだ紐を外して巻き取り、ベランダの手摺りに括り付けておく。この黒い寒冷紗越しに見上げる夏の青空も我が家の夏の風物詩となり、風鈴の音と共に「これが無ければ夏が来た気がしない」という風情となってしまった。

風に煽られ、くっ付いたり離れたりする寒冷紗の隙間越しに夏の空が青い。今年は例年よりも猛暑が続くという。今年は、これを外すのがかなり遅くなりそうだ。


科学の力で地球を救う

2022-07-28 | 日記

「科学の力で地球を救おう」、「私たちは科学で地球の未来を切り開く」なんて、この10年どこでも聞くようなテレビコマーシャルの決まり文句になってしまったた気がする。どこかから、「科学で地球を救うって?、今の地球環境が危機を迎えたのは、その科学技術の使い方があまりにも我儘だったからじゃないの?」という声が聞こえてきそうだ。

 この先も「科学の力で何とかしよう」と言うのは、結局のところ「地球を救うという名目で科学と科学技術をさらに進め」ること、そして「新たな科学技術と製品を開発し、売りつけることによってさらに利益を上げようという魂胆」が隠されていると取れなくもない。結局のところ、「科学技術の使い方のお勉強」は後回しにして、さらに「科学技術で何とかなる」という傲慢さを拡大しているだけ、と受け取る人々が居ても不思議じゃない。

 明らかに、今必要な事は「科学技術の使い方の見直し」や「目先の利益追求の撤回」であって、それを実現するために必要なのは「政治力」や「明確な目標設定の能力」であることは間違いない。つまり、「これ以上の科学技術開発が無くても、現存の技術で炭酸ガス排出は減らせるし、環境破壊を止めることもプラスチックを減らすことも可能」なのだ。

 これからも科学が進歩・発展していくことに何ら意義は無いし、それを望みもする。しかし、まず政治・思想・人類愛・他者(ヒト以外の生物をも含む)への共感などを抜きにして、「科学の進歩・発展だけ」を口にしてはいけない地点に今は立っている、と感じる。人類が「今の科学技術」の使い方を間違っているとすれば、「さらに進歩した科学技術」を正しく上手く使えるわけが無い・・・、と思う心に、彼のテレビコマーシャルがやけに「空しく」消えていく。


ロシア、国際宇宙ステーション事業から離脱か

2022-07-27 | 日記

ロシアが国際宇宙ステーション(ISS)事業から離脱することを決めたとのニュースが流れた。そして、その後に「米航空宇宙局(NASA)はロシアから離脱の正式な通知は受けていない」とのニュースが出て、何とか共同開発を進めたいとする米国側の希望が述べられた形に。

 さらに、NASAは「ロシア側から独自の宇宙ステーションを建設・運用するまでは国際宇宙ステーション(ISS)からの離脱を望んでいないとの通知を受けた」と発表、ロシア側・ロスコスモスからも、「ロシアが計画する独自の宇宙ステーション(ROSS)が運用されるまでISSにとどまる必要がある」との発言があったようだ。ROSSが完成するのは28年の見通しだという。

 先だって25日には、中国が宇宙ステーション用の実験施設の打ち上げ成功を発表している。中国の宇宙ステーション・メインキャビンは2018年に打ち上げられている。ロシアが中国に協力するかどうかは今のところ何も話題に上がっていないが、ロシアはやがて欧米との宇宙ステーション共同開発路線を捨て、当面は独自での宇宙開発への道を探るのだろう。

 宇宙での技術共同開発にはいろいろな思惑も、技術的な複雑な絡みもあるだろう。すぐに決裂とは行かないまでも、袂を分かつ準備は始めておくという姿勢だと受け止められる。さらに、果たして2028年までは本当にISSに留まるのかどうかも、ウクライナ戦争・同戦争後の情勢の動き方によって微妙に変化するという兆しには違いない。欧米・中国・ロシアが独自に宇宙開発競争を進めれば、地球上での勢力争いはそのまま宇宙での勢力争いに発展して行きそうで怖い。

 だが、このウクライナ戦争を皮切りにいろんな分野で欧米・中国・ロシアの3者の危険な駆け引きが露わになり、また露わになる分だけ激しくなって行きそうな予感に落ち着かない気持ちにさせられる。