愚ダメ記、真誤付き、思い津記

日記?趣味?妄想?

桜、舞う

2021-03-31 | 日記

桜はどこも真っ盛りで、今日は近くの山に小鳥を探しに登ってみた。桜を背景に小鳥の写真が撮れるかも知れないとの期待を持って。山に上る道の両側に桜が植えてあり、山に近づくと緑の山をピンクの塊が螺旋状に飾っていた。どの桜も満開状態なのだが、駐車場に着くと山に続く道は、桜の花びらで被われ始めていた。日当たりが良く山陰で風が弱い場所ではほんの少し早く満開を迎え、一足早く散り始めたのだろう。

 山を登りながら、所々で風に舞う花びらや桜色に染まった道を写真に撮っていた。ところが、ある場所に来た時、奇妙なことに気が付いた。そこまでの道では桜の花弁だけが散りばめられていたのに、その辺りだけは花弁に混じっていくつもの完全な桜の花全体がパラパラと散っていたのだ。桜の種類が違うのかと不思議に思って上を見上げるが、種類の違いはよく分からない。そこで立ち止まっている間にも、時々、完全なままの桜の花がクルクル回転しながら、あるいは速度を落としてふわふわと上から落ちて来た。長年桜が散るのを見て来たが、そんな光景は初めてと不思議な気持ちで帰って来た。

 帰ってからも、桜の木の病気によるのか、あるいはそういう種類のなのか、などいろいろ気になってインターネットで調べてみた。すると、同じ事を見て気になった人は結構いたようで、いくつかのブログや解説が見つかった。結論として、スズメの仕業だということが分かった。花に嘴を突っ込んで密を吸うヒヨドリやメジロと違い、スズメは花をちぎってその根元の当たりを吸うのだという。実際ちぎった桜の花の根元を加えているスズメの写真も載っていた。

 例の山にスズメが居たかどうかは分からないが、少なくともスズメの声はしていなかった。おそらくスズメ以外にも同じことをする小鳥がいるのだろう。下からは見えなかったが、木の上の方ではその鳥が盛んに桜の花の蜜を味わっていたのだと思われる。何十年も桜を見て来てまだ知らないことがあったことに、同じことに気付きその不思議さに捉われた同好の士が居たことに、子どもに戻ったような気分を味わい、何となく嬉しい春の一日となった。

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黄砂

2021-03-30 | 日記

今日は黄砂が多いようだ。昨日も空が霞んでいて黄砂のせいかも知れないと思ったが、今日は空が黄色味を帯びていて明らかに黄砂のせいだと分かる。黄砂は気象現象なのでずっと昔から飛んで来ていたのだろうが、子どもの頃は空の色など気にしていなかったのか、今のようにニュースでいちいち報せていなかったのか、ほとんど気にした記憶がない。どこで聞いたか記憶は無いが、高校生から大学生の頃に黄砂を意識して空を見上げるようになった。

 なかでも記憶にあるのは、大学での授業中のこと。何気なく窓から眺めていた景色が、西側から急に黄色く霞んでいったことを覚えている。窓を通して見えていた景色の中を、突然、黄色い砂塵のベールがカーテンが引かれるように左から右へと進むのが見えた。まるで砂漠地帯の砂嵐のように、嘘のようなはっきりした黄砂の境界線が進んでいき、数秒前まで奇麗に見えていた緑の山を左端から黄色っぽい霞のベールで覆い隠して行った。その時初めて「ああ、これが黄砂というものか」と感動したが、それほどはっきりした現象にはその後出会ったことがない。

 黄砂は中国の黄土高原から巻き上がった細かい砂だと思い込んでいたが、最近になって、そのおおもとは中東の砂漠地帯から始まり偏西風に乗って来ると聞いて驚いた。またアフリカ・サハラ砂漠からの砂塵の方貿易風に乗り、大西洋を渡ってアメリカ大陸に達することもあるらしい。もしかすると、自分の車のフロントガラスに溜まった微粒子の中には、中東から飛んで来たものもあるかも知れないと思うと、不思議な気持ちになる。

 中東から中央アジアにかけての砂漠化には、人類による羊放牧の影響があるという説を聞いたことがある。それが本当なら、黄砂誕生には人類の影響が関わっていたことになる。様々な人工物が地球上に蓄積されていく現代、それに続く未来にはマイクロメートル単位に研磨されたマイクロプラスチックが砂の粒子に混じり、風に乗って地球上を飛び回っているのだろうか?

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平成の三四郎

2021-03-29 | 日記

先日急逝した古賀稔彦氏の葬儀が行われたとのニュース、平成の三四郎と呼ばれた雄姿と謙虚で外連味の無い朗らかな表情が思い出された。「平成の三四郎」という異名は柔道家をモデルにした昭和の長編小説「姿三四郎」に由来し、小柄な体で大きな技・一本背負いを繰り出すところから名付けられたのだと思う。体重性の階級がなく無差別級で行われた全日本選手権で、自分より大きな選手を倒して決勝に勝ち上がった姿には、姿三四郎に重なるイメージがあった。

 さすがに20kgの体重差があった小川選手には敗れて二位の成績だったが、対戦が予想された以上、その20kg思い選手を背負い投げで投げる練習を重ねていたに違いない。有名なバルセロナオリンピックでの膝を負傷しての一本背負い、背中に釣り上げた相手選手が技を逃れようと足を振り負荷を掛けるのをものともせず、一気に腰を折り畳んで背負い投げを完成させた体幹の筋力は、体の思い相手を投げ続けて来た古賀選手ならではのものだったと感じる。

 本来なら東京五輪で昨年見られるはずだったコーチとしての古賀選手の姿が、もう見られないことも寂しい。指導者として若い選手達を見る眼差しには、柔道と後輩に対する愛情が溢れていたから。仲が良かったという小川選手を交えて「畳の上(柔道場?)で死にたい」と笑って語るシーンがある番組で流れたが、本当に柔道が好きでたまらないという人間がそこに居た。不振が続いた柔道界を背負い、さらに日本選手団の主将として乗り込んだバルセロナで膝を負傷し、様々なプレッシャーの上に怪我との闘いを克服して勝ち取った金メダルは、今も多くの人々にとって忘れられないオリンピックシーンの一つとなった。

 バルセロナから長い年月が経ち、古賀選手の闘いも伝説となった感がある。古賀選手の生の姿を見られなくなって、古賀選手の闘いや業績が精神論の象徴のように使われないことを願う。古賀選手の魅力は何よりもその人間性にあり、柔道を愛して打ち込んだ人間が放つ素晴らしい「人間臭さ」にあると感じるのだ。

 

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スエズ運河で座礁

2021-03-28 | 日記

スエズ運河で巨大なコンテナ船が座礁し、運河を完全に塞いでいる。またもや日本の会社が所有する船、モーリシャス沖で座礁し深刻な重油汚染を引き起こした日本の船の事を思い出した。ニュース映像で見ると、船がひっくり返るのではと心配になるほどにコンテナを積み上げた巨大な船だった。運河の両岸に船首と船尾を乗り上げ、運河を完全に封鎖していた。こんなに大きな船が運河を通っていくとは思えないほどに大きい。

 今は重油流出こそ無いが、船首も船尾も砂に埋まって、離岸させるために無理な力を掛けると船体が損傷するのではないかと心配になる。せめてそんなことにはならぬよう、慎重に離岸させてほしいものだ。運河の両端の海域には、運河の航行復活を待つ数百隻もの船が待ちぼうけを食らって貯まっているとか。損害賠償の仕組みなどはよく知らないが、ともかく膨大な賠償になりそうだ。

 「日本の貨物船」が立て続けに世界的に重大な場所で事故を起こすというのは、これまであまり聞いたことがない。それぞれに日本人の乗組員はほとんどいないようだが、日本の船であることには変わらず、何とも不名誉な気持ちになる。今回は岸から離れさえすれば問題ないのだから、船体が壊れたり積み荷が崩れたりと悪いことが重ならないうちに早く離岸し、運河を再開させて欲しいものだ。

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桜満開

2021-03-27 | 日記

久々に車で100kmほど遠出し、往復で200kmくらい走った。朝のうちはそれほどでもなかったが、昼頃から随分と温かくなって、車の中ではカーデガンも脱いでしまった。4月中旬の陽気だったそうだ。桜はもちろんそこそこに咲いては居たのだが、昼過ぎて帰り道にかかってから、見る桜すべてが満開となっていることに気付く。桜並木や川の両岸、道路わきに現れる小・中学校の校庭の桜もすべて満開だった。山間を走るところでは、薄い桜色の塊が山のあちこちに散らばっている。

 山裾の民家の庭や裏山の桜が満開となり、家の屋根を取り囲んでいる。海岸地帯も山間部も、どこを走ってもすべての桜が満開に咲き誇っているという光景は、今までに見たことがなかったような気がする。それも、いつもならやっと開花宣言が出るかどうかという時期に。異例の暖かさ、異例に早い桜満開だ。そして暖かな日差しの中の花見となった。いつもなら桜の入学式となるのだが、この分だと、入学式まで桜が持たないだろう。

 桜を前にこの地を離れる渡り鳥や、渡りの途中に訪れる鳥、彼らも今年は少し早く通り過ぎたようだ。車のタイヤもかなり前に夏タイヤに戻して、春はもう来てしまった感がある。新型コロナさえなければ、さぞかし賑やかな花見会が催されているだろうに。こんな時に此の花盛りとは、皮肉なものだ。が、もしかすると、これは「コロナ見舞い」の桜満開なのかも知れない。車の中から、あるいは静かに歩きながら見上げると、沸々といろいろな思いが湧く今年の「桜満開」である。

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