愚ダメ記、真誤付き、思い津記

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オリンピック・ライブビューイング

2021-06-09 | 日記

オリンピックのライブビューイング(PV)をどうするかについての議論が続いている。オリンピックにおけるPVの意義を(今さら?)熱弁するコメンテーターもいるが、オリンピックそのものの開催をどうするかという時に、平常時のオリンピックPVについて解説してもらっても的外れ感が拭えない。もちろん平常時のオリンピックPVは(彼らが言うように)十分に意義深いと分かっているが、オリンピック自体を「バブル」に封じ込めて一般人との接触させないという「非常事態」にあるという切迫感に欠けている気がする。

 それなら「参加人数を限定してのPV」という提案も出て来たが、PV会場の人数を制限しても周辺部はどうなるだろうか? 野球やサッカーの一試合だけのPVと違って、時間を限定し会場の出入りを制限することは難しいだろう。朝から夕方までずっと続いているだろうオリンピックPVでは、おそらく、好きな競技だけ見る人や午前中だけ・午後だけ・あるいは1~2時間だけという観客が多いだろう。そうなれば、開いた人数だけ入れることになり、空き席待ちの人々が会場入り口や最寄り駅付近に屯するだろうことは想像に難くない。もちろん、会場に向かう電車路線もずっと混雑しかねない。

 街全体の人流を下げるためにという理由で様々な施設・イベントが休止・中止に追い込まれて苦しんでいる中で、単純なPV会場内だけの感染防止策をこの段階で提案してくるという「状況を判ってない」意見がオリンピック主催者に近い(直接には関わってなくとも)辺りから出て来るところに、オリンピック関係者達の想像力の欠失や予測される事態への(意識面での)準備不足が伺われる。オリンピックPVの一般的意義を急遽説明されたとしても、参加者・参加人数(さらに街の人流さえ)を極力制限するという時点でもはやPVではなく、その意義はほとんど失われていると思えてならない。

 ほぼ1カ月半しか残っていないこの時期に来て、未だコロナ感染拡大下に合わせたPV実施計画も具体的感染防止計画も当該自治体に示すことができないような状態で、「これから計画を建て、それに沿った体制を整えていただく」とお願いされても当該自治体は困惑と憤慨を禁じ得ないだろう。当然、そこには真夏のPV会場での不意の体調不良者に備える「医療体制」も加算されるはず。医療逼迫で、オリンピックそのものへの医療協力にすら困難が表明されている中、PV開催が医療負担をも増やすことに思い至らない提案が心に届かないのは当然のことだろう。

 オリンピック開催に向けて最大の努力を払うことには賛成したいが、その中核となって準備を進め世論をリードする人々がもっと実態に即した提案や制限を明示して行かないと、このオリンピックは迷走を深めて行くだろう。時期を得ず遅きに失した提案は、この際きっぱりと諦め、最大限の「安心と安全」の確保に徹する覚悟が必要ではないか。「デジタル化推進」を掲げる国で行うのならば、従来のPVを無理押しするよりも、どうせならもっとインターネットやSNSを駆使して多くの国内外の人々が応援・感動できる環境・サービスの開発・整備促進に目を向けて欲しかった。