愚ダメ記、真誤付き、思い津記

日記?趣味?妄想?

チャットGPT

2023-04-18 | 日記
チャットGPT(Chat GPT)という、AI(人工知能)の一般使用を提供するインターネットサービスが公開され、日々それについての解説・意見がマスコミに取り上げられ話題となっている。AIそれ自体は随分以前から多種多様な分野で使われていることが、マスコミやテレビ番組などでも報じられている。今回チャットGPTがホットな話題になったのは、それが(登録は必要だが)一般公開されている点と、尋ね手の要望に短時間で返答を返すことで会話(のようなもの?)が実現できるという点からなのだろう。
 チャットGPTはいくつかのIT企業が次々に公開を予定しているらしいので、サービス提供社による「返答の違い」や「ニュアンスの差」などもいずれニュースになるかも知れない。あるいは「A社」のAIはこう答えたが、「B社」のAIは違う答えを返したとか、「どちらが正しいのか?」とか、「私はA社よりB社の方が好き」とか。
 そうなると、チャットGPTにも個性があるということになり、「チャットGPTは常に正しいとは限らない」という手の議論の意味も変わって来るだろう。つまり、「評論家のAさんの意見がいつも正しいわけでは無い」というと極めて似て来るということ。但し、人間よりはるかに膨大な情報を学習・処理して、しかも「一時的な物忘れ」はシステム上起きないという点で、人間の評論家とは異なっている。逆に、人と違って「感情や立場を持たない」と言う点で、「機械的な結論」という冷ややかさを感じるかも知れない。
 チャットGPTのAIはインターネット上の情報を「機械学習」して、それを基にして返事を作るということだから、学習内容に偏りがあれば当然、返答もその偏りに影響を受けることになる。いずれ、どのAIに聞いたのかを銘記する必要も出て来るのじゃないか?、と想像。

入管法の改正

2023-04-12 | 日記
入国管理法を改正((出入国管理及び難民認定法改正)の議論が進んでいるそうだ。政府としては、入管局の下で収容者が死亡した事例などが問題になる中で、「もっと早く医療を受けさせるべきだった」という指摘には「関与する医師の数を増やす」という「対応」で済ませ、実質的には「早く本国送還すれば問題は起きない」という方向性を銘文化したいようだ。
 欧米に比べて「難民受け入れ」がはるかに少ない日本だが、仮に「難民認定の困難さ」については一定の理解を示すとしても、「入管収容中に死亡する例がある」ということへの反省・対処とは全く別次元の話。国として身柄を拘束していながら、「必要と思われる医療」を受けさせず死亡に至るということがあってはならないだろう。
 もしこれが欧米の国民であったなら、日本の国際的評価は地に落ちているはず。米国人であろうがアジア・アフリカの人々であろうが、その命は平等に守られるべき。今後「医師が増員」されたとしても、その医師の意見を軽視するような管理局の態度が続くなら同じ悲劇が繰り返され危惧をを感じるが、それは取り越し苦労だろうか。


今年の桜

2023-04-08 | 日記
4月の6日・7日と言えば、昔は学校の入学式があった頃。大学は最近、何かの都合か入学式が4月早々に行われているようだが、自分にとって記憶に残る入学式は「桜の花の下で」というもの。小学校の入学式の日、校庭を囲むように桜の花が咲いていたのを覚えている。また、かつて大学入試発表の合格電報の代表的電文に「サクラサク」が使われたのも、「桜の花の下での入学式を迎えられることになった」という意味だと思っていた。
 何故か「桜の花の下での卒業式?」というイメージが作られた近年、かと言って「桜の花と新一年生」というイメージも残っているので、3月の卒業式シーズンと4月の入学式シーズンの両方でニュースに「桜の花も咲いて・・・」というフレーズが使われるという、不思議な年が続いている。それに合わせてかどうか、近年は2月末に「どうかすると、梅に先駆けて咲く」河津桜という品種が増えて来て、2月末から4月初めまで「桜」を話題に出来る時代にはなっている。
 ところが、今年の桜はまさに「卒業式の花」になってしまった。入学式シーズンのこの4月6・7日には、近くの桜は既に散って「葉桜」になっている。今年の桜の下で入学式を迎えたのは東北地方だけのようだ。単純に「地球温暖化の影響」とだけ言っていていいのかどうかは分からないが、季節感はどうやらこれからも大きくズレていくらしい。俳句流行りの近頃だが、この「温暖化」の下で「季語」も季節の実態とはズレて行くのだろう。「季節のズレ」の違和感を表す言葉が、却って今の季節感を表すようになるのかも。

坂本龍一氏逝去

2023-04-03 | 日記
昔の友人が「坂本龍一逝けり花冷えの夜」という句のみをメールで送って来た。そのニュースは知っていたが、別に坂本龍一について語り合ったことも無く、普段はメールも交わさない昔の仲間からの句に、期せずして長文を送り返すことになった。
 自分としては坂本龍一がYMOの一員だったことよりも、NHKの音楽番組や東日本大震災被災地の若者たちとの音楽的交流の話題を通じて知り、感銘を受けたことを覚えている。かと言って自分とは音楽的好みは一致しそうになかったが、世界的な音楽家であることは十分以上に認めざるを得ない、失くすには惜しい人物だった。
 ニュースで聞いた「戦場のメリークリスマスはもう俺一人になってしまった」という北野武氏のコメントが印象的。考えて見れば、大島渚、デビットボウイに加えて、その後世界的「芸術家」となった坂本龍一と北野武が一つの映画で顔を合わせていたのだから、凄い作品だったことになる。感慨深い言葉だが、「たけし」にはまだ生きていて貰わなければならない。

NBAと八村選手

2023-04-01 | 日記
日本のスポーツニュースで、NBAロサンゼルス・レイカーズに移った八村塁選手の活躍が伝えられている。確かに「活躍」しているには違いないのだが、そろそろ日本のニュースでも、NBAにおける八村選手の位置と将来への期待について、すこし冷静・客観的?に、あるいは正確な?解説をして欲しいと思う。
 というのは、八村選手には一試合で「必要なら」20~30点を取れる選手になって欲しいからだ。「二桁得点」はかなりの得点力で、それが計算できる選手は「良い選手」には違いない。もし、彼がナンバー2かナンバー3の得点源で留まるのならそれで良い(それでも十分に画期的なことだ)が、自分としては八村選手には是非「エース級」の選手を目指して欲しい。レイカーズがシーズン途中で彼を獲得したのも、「あわよくば、次のエースに育つ可能性」を見たからだと思いたい。当分の間はレブロンジェームスがエースに君臨するだろうが、レブロンの後に続くエース級の候補として、八村選手には是非20点超えを期待したい。
 もちろん、それには有効なラストパスの供給が必要だし、それを受けられる位置に入ることがチーム内で許されることも必要。日本のスポーツニュースやバスケットボール解説番組でも、その辺りに注目した解説がもっと増えて欲しいと感じている。もちろん、渡辺選手についても同様なのだが、性格的に渡辺選手の方はエースを支えるナンバー2、マイケルジョーダンのシカゴブルズにおけるピッペンの役割が似合う気がしている。八村選手には、是非何処かのチームのエース、できればレイカーズのエースを目指して欲しいのだ。