風通しを良くするために窓を開けてパソコンに向かっていると、窓の直ぐ近くから毎日スズメの鳴き声が聞こえて来る。いつも同じ調子で、何度も同じ囀りを繰り返している。いかにも窓の外の庇にとまって鳴いているように声が近いので、ベランダに出て見るが、人影を見て逃げてしまうのか姿を見つけることが出来ないでいた。
今日も同じように鳴いていたので、そっと別の窓から外を覗いてみた。スズメの幼鳥らしき鳥が、向かいの家の屋根を往復しながら囀り続けていた。チュリッ、チュリッと一定間隔で囀りながら、屋根を上っては下り、下りては上り。もう大きさでは成長と区別できないが、飛び方が危うく、屋根を1つ超えるのがやっとという感じだ。
もう少し前の時期には、周囲の家の軒や屋根、そして庭木から庭木へと飛ぶ練習をしているようなスズメの幼鳥を何羽も見かけた。時々、道端の庭先から道路を渡ろうとして車の前を横切ることもある。飛ぶ高さが1mにも足らず、あまりにも低くて車にぶつかりそうになって驚く。成長のように車に気付いて咄嗟に上昇することも出来ないようで、同じ高さを維持しながら必死に羽ばたいて道路を渡っていく。
その様子は、まるで、地面に落ちないよう必死に羽ばたいているようにしか見えず、実際、道路の途中に下りて休んでいるスズメもよく見かけた。数羽が次々に屋根から庭木に、庭木から軒先へと短い距離を追いかけるように飛びまわるのは、おそらく兄弟の幼鳥だろうと思っていた。近頃はスズメも見かけなくなったという話を何処かで聞いたが、この辺りでは毎年、春になると軒先や屋根瓦の隙間を出入りして餌を運ぶスズメのつがいが見られる。
「スズメの子、そこのけそこのけ お馬が通る」という一茶の句のように、道の真ん中に下りて、餌を啄むわけでもなく、地面に下りてほっとして休んでいるようなスズメの幼鳥を見るのも、だいたいこの時期までだろう。自分が子供の頃に聞いた時は、一茶の句がピンと来なかった、「鳥ならば、人や馬を見ればすぐに飛び立ってしまいそうで、わざわざ追い払うような声を掛ける必要も無いだろう」と。
だが、梅雨から梅雨明けの時期のスズメの幼鳥を見分けられるようになってやっと悟った。確かに、この時期のスズメの子は、時々、飛びつかれたように道の真ん中で一休みしていて、かなり近づくまで飛ぼうとしないことがある。車で走っていると「引いてしまったかな?」と心配したことすらある。夏を越えれば彼らも、もういっぱしのスズメとして、田んぼや家々の屋根を幾つも飛び越えて自在に飛びまわるようになる。
人間の子供たちも同じように、幾つもの夏を越えるたびにそうして成長し逞しくなっていった。知り合いのいい歳の「おやじ」が主催する「夏の子供合宿」の様子が、写真や動画で次々にラインに届いてくる。それを見るたび、自分も一緒に遊んで、幾つ目かの夏を越えた成長をまた実感して見たかった、と思う。そんな「子供合宿」で年甲斐もなく子供たちと海ではしゃぎ、夜はごろ寝で蚊と闘うおやじが、何とも羨ましい。