愚ダメ記、真誤付き、思い津記

日記?趣味?妄想?

遊覧船のずさんな運行管理がまた

2022-04-30 | 日記

遊覧船の遭難には、また更にずさんな管理実態が分かって来たとか。何故、事故が起きる前にそのようなずさんな運行管理が表ざたにならなかったのか。もしかして、地元周辺や旅行関係者の間には噂くらいあったのか?。いずれにしても、運航会社を信じて身を預け、犠牲になってしまった旅行者があまりにも可哀想だ。


対ロシア経済制裁の楽観論?

2022-04-29 | 日記

ロシアのウクライナ侵攻が始まって2カ月が過ぎる。当初は、時間が掛かっても経済制裁によってロシアの行動を変更できるかのように発言していた「専門家たち」も、次第にその時間軸を延ばしているような気もする。

 今になっても、次々に「追加制裁の発表」のニュースを耳にするが、見方を変えれば「それはまだ制裁に含まれてなかった」という報せでもある。「最大限の経済制裁」と言っていたような気がするが、未だ「最大限」では無かったということか。

 何となく、「経済制裁ではロシアの行動を変えられない」という雰囲気が拡がっている気がする。そして、当初はあまり告げられていなかった「経済制裁の反動」の拡がりが無視できなくなりつつあるようにすら思える。米国・西欧の先進諸国には大きな打撃じゃないのかも知れないが、低開発国や最貧レベルの国々の状況がさらに悪くなりそうだ。

 それらの国々を味方側に引き入れて対ロシア経済制裁の効果を上げるなら、それらの苦しむ国々に対する援助が必要になるだろう。果たして、日本と欧米諸国にはそれを遂行するだけの余裕と準備があるだろうか。最近は「戦争が終わっても、経済制裁は残り続ける」という共通理解が生まれつつあるような気配だ。もっと深いところで経済制裁に関する議論をしなければ、意気込んで始めた経済制裁が、掛け声と上辺だけで終わってしまいそうな気がする。


上海ロックダウンの無理

2022-04-28 | 日記

上海でのロックダウンが続いているそうだ。単に続くだけでなく、ロックダウンの為の強硬手段もエスカレートして来ているという。「完璧な外出禁止を確保するため」なのだろうが、家の扉を外からねじ止めしたり、家の出口に鉄柵を付けたりというニュース映像が流れていた。食料品の不足も、次第に深刻になりつつあるという。

 それでも上海での新規感染者は一日数千人に及ぶらしい。「もう、ゼロコロナ政策は無理なんじゃないの?」と言いたくたる。中国製ワクチンの接種もかなり進んでいるのだろうと想像するし、その上で、重症化リスクの少ない変異株の拡大ならば、ある程度を受入れた上での社会運営への転換を考え始めても良さそうな気もする。

 「完璧なのだ!」と言って見栄を切り、中国の政権の優秀性を主張するための「ゼロコロナ政策」だと想像するが、そのことで「体裁の悪い強硬対策」が知れ渡るようになれば、それこそ政府の判断ミスとなり「権威」も地に落ちてしまうと思うのだがどうだろうか。


知床遊覧船の遭難

2022-04-27 | 日記

知床半島を遊覧船で海上から観光するというツアーがあることを、遊覧船遭難のニュースで初めて知った。その遊覧船は、「知床旅情」という歌で知られる羅臼の側では無く、知床半島の北西側を観光するツアーだという。本州では春というが、北海道の北部やオホーツク沿岸では、まだ冬の気候が完全には去っていないだろうに・・・と、ニュースを聞いて思った。知床半島の北側なら、オホーツクから吹き付ける風はまだ寒く強いのだろうと。

 日々入って来るニュースの続報では、遊覧船はおそらく沈んていて、乗客は生存をかけて知床の北の海を漂う決断をしたものと思われる。しかし、荒れた海で救助は届かず、発見されないまま冷たい海を1日以上漂った10数人が命を落として見つかったという。「せめて海岸に流れ着けば」と思ったが、ニュースで見た海岸はほぼ絶壁で岩礁には強い波が打ち付けている。

 もしかすると、岸に近づいて岩に打ち付けられた人もいたのかも知れないし、たとえずぶ濡れで上陸できても体温を保つことは困難だったろう。「結局は何が何でも沈没を避け、船で救助を待つしか無かったのだ」と思うと、沈んで行く船を離れる時の乗客の絶望の思いが想像され、胸を締め付ける。そして、高波を予想できた中で船と船長・運航会社を信じて乗ってしまった後悔を、どう生きる希望に変えて頑張ろうとしたか想像されて涙が浮かぶ。

 海にしても、山にしても、どうしてこんなにも無茶で有り得ない遭難が起きてしまうのか。それぞれに、危険を承知し万全の策を取って挑んですら命を落とすことがある場所なのに、いかにも無責任な準備不足と安易な状況判断で行動し、多くの「慣れない素人達」の命を失う結果に導いてしまう。今回の遭難でも、分かってきたのは「天候の変化」「予想以上の波風」よりも「無線交信不能の状態での出航」「気象状況や海の変化の軽視」「多数の経験者・地元の漁師・船長たちの警告を無視」という要素の方が大きいということ。

 「判断を間違った」とか「経験不足だった」では説明できない行動だ。まさに「天気予報を無視した上に軽装での春山登山」などという常識無視での遭難・失命に通じるところがある。それが遊覧船を運行し30名もの人命を預かる立場の人間によって起きたということが、「どのようにして疎かに出来得るのか?」と信じ難いのだ。午後の天候変化を予想する天気予報や地元経験者の声に耳を貸し、その上でも無線連絡による状況報告を怠らないように運航していれば、出航したとしても途中で引き返すことや、少なくとももっと早い救助体制が取れたはず。

 北の厳しい気象条件も冷たく危険な海も知っているはずの、海の関係者による「有り得ない遭難事故」が起きてしまった。「山の経験者を自負する高齢者たちの非常識な登山による遭難」も相次ぐ中で、海でも同じことが起きるのを止められなかった「無力感」。そんな悔しさを多くの関係者達が噛み締めているに違いない。せめて、一日でも早い「行方不明者の発見」と肉親が待つ家への「帰還」を祈るしかない。


アレルギーと現代生活

2022-04-26 | 日記

「免疫とアレルギー」に関する番組を録画で見た。録画で見ると、聞き取れない所やよく理解できない所を何度も見返すことが出来るので便利。さらに、番組の結論辺りでもう一度それに関する部分を見返して確認することもできる。それで、「免疫とアレルギーという複雑な現象が理解できたのか」というとそうでもないが、少なくとも番組の言わんとすることはある程度把握できたと思う。

 意外だったのが、「アレルギーに関連して悪者のように扱われるIgEとマスト細胞の役割が、本来はアレルギーじゃなくて命を守る役割として存在する」と示唆する研究が紹介されていたこと。まったく蜂毒を投与されなかったネズミは致死量の蜂毒で死んでしまうが、予めアレルギーを起こす程度の蜂毒を投与されていたネズミは致死量の蜂毒の投与に耐えて生き残ったということだった。

 アレルギーは免疫系の過剰反応と定義されるが、IgEもマスト細胞もやはり本来は毒物などから命を守るために備わった仕組みだったということ。進化の中で残されてきた以上、生存に必要・有利であるのは当然なのだが、これまでその「有利さ・必要性」が良く分からなかった。アレルギーに繋がる体の仕組みが元々は「有利・必要」だったことが分かる一方で、現代社会に存在する「必要以上に多く・有害な量」のアレルゲンが「人為的」に作り出されてしまっていることも見えて来た。

 人間の都合で「自然には存在しない」偏った環境が作り出されたことで、逆に人間自身が「生きにくく」なっているわけだ。こうなれば、人間がその体の仕組みを変えるのか?、それとも「やっぱり自然環境を大切にする」のかの2つの選択しかない。人間の体の仕組みが変わるには、十世代もそれ以上もかかるだろう。とてもそんな時間の余裕はなく、選択肢はやはり、「元の自然の在り様を謙虚に学び、そこから離れないように文明を導いていく」ということなのだろう。ヒトは何十万年も自然の中で生きて来たが、ヒトが生み出した文明は未だやっと自然の有り方を学び始めたばかりだ。