長電話
久しぶりの家族からの電話で、つい長電話をしてまった。同じ家族でも、長電話になり勝ちな相手とそうでもない相手がある。いつもはそれほど長くならない方の相手だったのだが、1時間近くになってしまった。
話が弾んだわけでもないが、あれこれと聞いたり話したりしているうちに気付いたらかなり長くなっていた。いつもは要件だけで短く終わっていたが、いつもあまり話さないだけに気になっていることを残して置きたくないという気持ちが働いたのかも知れない。
長電話のせいで、これからやろうとしていた用事が何だったのかはっきりと思い出せず、とりあえずこんな感じだったのかなということで進めることになった。しかし、あまりにも長くなったせいで、結局、一から考え直してやり直すことになった。それが良かったか悪かったかは、両方を比べることが出来ないので分からない。
確かに、何かを頭に描いて取り掛かろうとしていた矢先の電話は、気もそがれるし、中断されたという嫌な感じも残る。逆に長電話になってしまえば、途中で諦めてしまうので、中断のイライラは無くなって行くのかも知れない。中途半端に長くなったり、長くなっても良いと腹をくくった所で急に終わってしまったりすると、かえってイライラがつのるような気がする。
長電話はできれば避けたいものだと思いつつ、相手がどういう状況下分からない仕方ないのかも。だから電話は嫌いとか、メールにするとかという考えもあるが、電話で声を聴いたから話したくなるということもあるので、全てをメールにするわけにも行かない。「時間を決めて電話する」というやり方もあると思うが、仕事関係ならばそれで割り切れるのだが、私的な事、特にある種の思いを伝えたいような場合には、時間を決めてそんな気分になるというのも難しい。
もちろん、明らかに相手が忙しい時間帯や、職場への電話は控えるが、休みの日の比較的自由な時間帯と思われる時に電話をしても相手がたまたま何かをしている最中ということは珍しくない。電話を受ける側になっても、何となく、忙しい時の方が長電話になってしまうような気もして複雑である。特に家族や友人の場合は、電話の用件だけでなく思いが伝わることが多いので、それを目の前の用事のせいで中断したくない気持ちも働く。
いろいろ考えてみると、長電話もやはり必要なものなのかも知れない。時として、長電話の後で気分が変わって用事がはかどるということもなくもない。不意に掛かって来る電話は時として「迷惑」な存在だが、かと言って、世の中がメールや留守録再生だけになってしまってはやはり味気無い。坦々と過ぎる人生の中で、不意の電話というのは、「自分の人間性を思い出し強調してくれる貴重なアクセント」なのかも知れない。