愚ダメ記、真誤付き、思い津記

日記?趣味?妄想?

「させていただきます」

2021-06-26 | 日記

「させていただきます。」という言葉の誤用が多くなっているそうだ。本来は謙譲の意味と相手からの許可を「いただいた上で」という丁寧な表現が合わさった言葉遣いだという。丁寧な表現を外せば「させてもらう」ということになるので、その言葉遣いが当てはまる場面でのみそれを「丁寧に言い換えた表現」も成立つというわけだ。それが最近では、相手の許可を伴わない場面にも多用されるようになっているという。

 例えば知り合いの家を訪ねた時、相手に「どうぞ上がってください」と言われて初めて「上がらせてもらいます」という言葉遣いが成立する。丁寧な表現の「上がらせていただきます」であっても、同じ場面、つまり相手に上がる許可を受けて初めて成り立つはずである。もし応対に出た相手が「上がってください」という前に「上がらせてもらいます」と言って上がろうとすれば、それは「・・・いただきます」と丁寧に表現したところで、「強引に、勝手に上がろうとした」と受け取られて当然だろう。それは「勝手に上がり込んでも、どうせ相手は嫌と言えない」との意識を表す態度でもある。

 相手が受け入れを表明する前に、事によっては相手の拒絶や困惑を予測した上で「・・・と決めさせていただきます」と一方的に宣言することも、同様に「勝手な押し付け」の印象を持たれて仕方ない。さらには「表面上だけ丁寧な言葉を使っておけば良いのだ」という、かえって無礼で見下した態度ともなり得る。かつて尊敬語・謙譲語であったはずの「御前」や「貴様」が、今は相手を見下す表現となってしまったように、「させていただきます」という言葉も、多くの無見識な乱用を経て「相手を見下した無礼を承知の表現」へと意味が変わって行くのかも知れない。

 しかし、それはそれで「言葉は使われるうちに意味が変わっていくものですから」と専門家は言う。確かにそうかも知れないが、一方では青森のように「おめ(御前)」という言葉が今も目上に尊敬を表す言葉遣いとして生きている地域もある。おおかたでは元々の意味が変化してしまった一方で、正しい使い方を守って来た人々もまた居るということだ。不幸にしてそのことで、東京に就職した青森出身者が目上に「おめは・・・」と話しかけ、「おめぇ、とは何事だ」と、礼儀知らずとの間違った印象を持たれてしまうこともあるという。問題の「させていただきます」は、今後、果たしてどの世界でどのように変化していくのだろう。

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ある専制主義の人々

2021-06-25 | 日記

当代を代表する専制主義政府が国外からの非難を「民主主義を口実にした外国による内政干渉」と言い換え、あるいは「ジャーナリズムとはいえ法律は守らなければならない」と自らの行為の正当性を説明しようとしている。一つは「選挙で選ばれた政権を軍事力で転覆し、その行為に抗議する無防備の市民には銃を発砲する」という勢力、また一つは「武力をちらつかせて民衆の意見を封じ込め、反対する意見を力で封じ込めても良いとの法律を自ら制定し遵法を強制する」という勢力。

 自らを憲法の外に位置付け「治外法権」を軍事力で押し付けた勢力が、民衆が選挙で選んだ政権を武力で強奪した場合、その武力強奪の「正当性」とは「強者は常に自分に都合の悪い者を排除して良い」という「正当な理屈」なのだろうか。片や、民主主義を守ると言いつつ自らを批判することを一切許さず、自分の権力を押し付けるために一方的に作った法律に従うべきという「正当性の主張」もある。

 民主的手続きによらず専制的に制定し押し付けられた専制政治のための「掟・定め」は、「民主主義に則った法」とは別物であり、民主主義を前提とした「法治国家」とは全く異なる。ましてや、自分達は法の外に置いてその支配を受けず「都合が悪い時にはいつでも武力で全てをひっくり返す正当性を有している」などというのは、まるで映画の中で村々を襲って支配する山賊集団や野盗集団と変わりがないだろう。自分に反論する者、自分に意見を言う者、自分と異なる考えを持つ者の全てを「敵」として殲滅の対象とする考え方は、数世紀前の専制君主時代の遺物である。

 世界にはまだそのような武力集団・専制主義信奉者による支配が無くなってはおらず、彼らににはその「正当性の主張」、つまり「弱者を虐げる支配者同士の共感・共鳴を声高に募る行為」が有効だと思えるのだろう。専制主義の政府が民主主義社会に向けて「自らの行いは法律に則っている」と主張するのなら、まずその「法律」が「民主的プロセスによって成立した法律」であると証明しなければならないことを知るべきだ。

 反対意見との十分な議論の末に制定されたものでなく、反対者を捕え・意見を封じ・武力と権力で脅して成立させた法は、反対者にとっては「法」ではなく弾圧の「口実」でしかない。権力者が自分の都合で制定した法を万人に押し付け、「私が法律だ」と言うに等しいやり方で人々に武力を振るう姿が「法治」と言えるだろうか。

 頻繁に彼らが論うように、民主主義を信奉する社会においてすらその全てが民主主義の理想に沿っているとは言えない状況が確かにある。しかし、少なくとも民主主義を信奉する社会においては、その欠陥を指摘したり自分なりの批判を展開する自由の範囲は圧倒的に広い。そのことを、彼らは認めなければならないだろう。「現実は理想に達していない」と民主主義信奉者の欠陥を論っても、それは専制政治を正当化する理由にはなり得ない。

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マンションの崩落事故

2021-06-24 | 日記

米国、フロリダ州マイアミでマンション(コンドミニアム)の崩壊事故が起きたというニュースだ。最初のニュース映像では、崩壊した建物の残がいではなく、崩壊せずに残った側の接続部分の様子だけが映し出されていた。各階の部屋の途中が剝き出しに壊されていて、まるで引きちぎられた建物の傷口のような印象だったが、元々どれだけの大きさの建物がそこに建っていたのかが分からなかった。

 その後、監視カメラらしき映像で崩落の瞬間の動画と崩落後の建物の空からの映像を見て、どれだけの規模の建物が崩壊したのかを初めて知った。かなりの大きさのコンドミニアムは、倒壊ではなく、下の階が次々に潰れていくような崩落で、現場には潰れた各階が何重にも重なっていた。そのような大規模なビル崩落の映像を見て、25年前に韓国で起きたデパートの崩壊を思い出した。マイアミの事故の際にどれくらいの人数が建物内に居たのかはよく分からないというが、既に死者や多くの行方不明者が出ているという。

 韓国の時も今回の崩落も、まるでビルの爆破解体のような崩れ方で、先進国の建物がそのような崩れ方をするとは信じられない。建築後40年くらい経っていて補修工事も行われていたようだが、建物の点検や補修が入っていたとなるとなおさら、崩落が起きる危険性やその予兆が見つけられなかったのかと不思議に思える。これから詳しい調査が入って原因も解明されるだろうが、全く予想も付かない危険が、日常の思わぬところに潜んでいるのだと見せつけられた思いがした。自分は為すすべもなく見守る立場にいて、悲惨な事故に巻き込まれた方々の無事救出と犠牲者の安眠を祈ることしかできない。

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再抽選

2021-06-23 | 日記

オリンピックの観客制限に具体的数字が出て来たので、いくつかの会場では入場できる人を決めるために抽選を行わなければならないそうだ。そこで話題になるのが抽選方法とコロナ感染の動向。

 だが、組織委員会は「キャンセルは抽選を終えてからだ」としているとか。コロナ感染を危惧して既に競技の観戦を諦めている人もいるはずなので、その人たちがキャンセルして残った「観戦を望む人たち」のチケットについて抽選すべきという意見が出るのは頷ける。そうしなければ、キャンセルを決めている人が何人か当選するという可能性がある。払い戻し後の抽選というのは時間的に間に合わない、と組織委員会は言っているらしいが、何も払い戻し手続きまで終えてからでなくとも、キャンセル予定チケットを抽選から外すことは可能ではないのか。

 数日間のキャンセル届け出期間を告示し、キャンセル希望のチケット番号をネットで登録してもらうだけで良いのでは。必要なのはキャンセル予定チケットの番号だけで、その番号を再抽選対象から外すだけのこと。代金の払い戻しは抽選漏れのチケットと同様に、その後でまとめて行えば良いのではないか。何となく、組織委員会の体制に柔軟性に欠けている気がしてならない。あるいは、ここでもデジタル化の遅れを露呈しているということか。

 さらに、今の状況で再抽選を行っても、現在の感染状況では大会までに非常事態宣言が必要な状況になれば、結局、再々抽選が必要になったり無観客開催になるのではないか?という見方もある。これまた、日々の感染者数が増加に転じた現在の東京を見れば誰もが想像することで、当然そのような状況が起き得ることも想定しなければならないのだろう。それを考えても、まずは「既にキャンセルを決めた人」のチケット番号を集約してみればどうなのだろうか。

 東京から離れた地域に住み「オリンピック観戦を兼ねての旅行」を考えた人々の中には、感染増加が続く東京・首都圏への旅行を既に断念した人も一定数いるのではないか。また、昨年からのコロナ禍での生活変化により、競技観戦を楽しむ状況でなくなった人もいるかもしれない。キャンセルが既に決定しているチケットを外せば、再抽選が必要なくなる会場だって出て来るかも知れない。組織委員会を外から見ていると、「状況の変化に際して、素早くより良い方向性を判断・決断するシステムを持ってない組織」のように感じられてしまう。これからの一カ月、その弊害の相乗効果で問題が増えて行くような気がして、少し怖い。それでもオリンピックを開催するのなら、もう「大きな禍にだけはならないで欲しい」と神頼みするしかない。

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太陽光発電の今後

2021-06-22 | 日記

近年の太陽光発電施設の建設が盛んだ。だが、その用地利用については地元住民との軋轢が生まれたり、土砂災害発生の誘因になったりと、いろいろ問題が出て来ているようだ。さらに、広い土地で発電量の多い施設を作る際に、(故意に)大きな土地をいくつかの小区画に分けて別々の施設として登録し、大規模施設に義務付けられた管理員や変電設備の設置を逃れて費用節約をはかるケースも多いという。

 大規模施設への厳しい規定は、一箇所で大きな電力を発生させる際の安全管理が目的なので、それを小分けして登録したからと言って一定面積から集中して発生する電力が少なくなるわけでは無い。ガソリンの保管に関する安全規定を逃れるために、タンクを小分けして別々の人物の持ち物として登録したからと言って、同じ保管場所に同じ量のガソリンが集中していれば同じ危険性が発生することに変わりはない。

 表面上の法規制では取り締まれないので黙認されてしまっている場合も多いと言うが、「一定面積内で一定以上の発電設備は集中する場合は安全管理の人員・設備の設置を義務付ける」という規定を加えれば良いだけの事と思える。要するに、たとえ持ち主が異なっもても、一定面積内に一定以上の発電設備を集めた場合は、所有者が共同して一定の安全管理を行わなければならないようにすれば良い。法律制定後10年近くが過ぎ、既にその抜け穴的な問題点も明らかになっているにも拘らず、「法規制は難しい」と言って言葉を濁す人々が責任ある立場にいるとは信じ難い。

 

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