愚ダメ記、真誤付き、思い津記

日記?趣味?妄想?

どんぐりの花の香

2024-04-27 | 日記
夜、ふとドアを開けると湿った空気に「どんぐり」の花の香を感じた。そう言えば、何日か前に仕事で走っている途中、近くの山のあちこちでどんぐりの花が白く咲き始めているのを見た。まだ4月半ばを過ぎたばかりだというのに、いつも5月の連休の頃に見ていたどんぐりの花が、我が家の近くでも咲き始めたのだろう。
 今年、桜が散る頃にはツツジが花盛り、そして雑木林に野生の藤の花が咲いているのを見掛けたのも4月半ば、その2・3日後には近所の庭にハナミズキが咲いていた。5月を待たずにどんぐりの花が咲くのなら、連休明けにはもうホタルでも飛びそうな勢いだ。
 そうすると、6月には夏が来て、7月は?、そして8月は?、それはもう「日本の夏」とは言えない「熱帯の夏」が2カ月近く続くのだろうか?。それならば、今からその「恐ろしい季節」をどのように過ごすか、計画を考え準備を始めなければならないような気がして来た。北の国へと「避暑旅行」に出られない私などは、いっそ深い地下の住処でも作って暑さをやり過ごすくらいしか、逃れる術がないように思えてくる。
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「地上の星」中島みゆき

2024-03-29 | 日記
かつて話題を集めた「プロジェクトX」が「新 プロジェクトX」というタイトルで4月から始まるらしい。初回は東京スカイツリー建設の話。確かに「失われた30年」と言われた時代にも、日本発の新技術や、世界に誇れる一大プロジェクトは少なくは無かった。それを思い返すと、その時代が決して「失われた時代」では無かったのだと気付く。
 それなのに、何故、日本は世界の中で地盤沈下して行ったように感じられるのだろうか。GDPで中国に抜かれたからか?今は4位?でも、GCPで世界1位や2位でなければ「地盤沈下」と言われるというわけではないだろう。この30年間を見ると、日本のスポーツ事情は随分よくなったと思う。別に、サッカーが強くなったというだけではない。W杯サッカーで予選通過が当然に要求されるような国になるなんて、30年前に誰が本気で思っていただろう。野球でも然り、陸上競技でもまた然りだ。「親プロジェクトX」はそんな日本を振り返って、何とか元気づけようとしているようにも思える。
 ところで、主題歌「地上の星」も番組で取り上げられたが、その歌詞中で「地上の星はどこにあるのか」を問う相手が何故に「ツバメ」なのか?という疑問には答えを見つけられなかった。「高い空から・・」と言うのだから、鳥に訊ねるのは分かるが、普段に見るツバメはそんなに高い所を飛んでいない。
 むしろ、地上すれすれに飛び去る姿の方が印象的。渡りの時などは高い山を越えて飛び去るアマツバメは確かに印象的だが、「高い空から」というならばむしろトビやタカの方が合ってる気がする。でも歌詞にするにはトビは少々かっこ悪いし、タカはそれほど身近じゃない。やはり「人間に近い所で飛び回っているツバメの方が親しみを覚えるし、人に何かを人間に教えてくれるような気がする」と言えばその通り。はるばる遠い国へと渡りを繰り返すというのも、どこか「広い世界を見ている」というイメージを与えるのかも。
 何故「ツバメ」を選んだのかは作詞した本人に聞くしかないが、久々に「地上の星」を聞きながら、ふとそんなことを考えた。
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サッカー・アジアカップ日本敗退

2024-02-08 | 日記
 サッカーのアジアカップ、日本は準々決勝で敗退しベスト8進出までで終わった。予選・グループステージでも日本はイラクに負けてグループ2位での決勝トーナメント進出であり、終わって見ればイラク・イランという中東の強豪に2敗したことになる。決勝は同じ中東のヨルダンとカタールの対決であり、日本に勝ったイラクはヨルダンに、イランはカタールに負けている。サッカーに限らず戦いには相手との相性があり、日本vsヨルダン、日本vsカタールというのは実際に対戦して見ないと分からないが、少なくとも、仮にも「戦っていたら勝てた」と言えるほどの実力を今回のアジアカップ日本チームは持ってなかったことだけは、確かだと思う。
 全体的に今回思い出されたのは、かつて日本はイランなど中東のチーム、中東のサッカーに対し大きな脅威を持っていたということ。もちろん韓国に対するライバル心は言うまでも無いが、日本・韓国は比較的似た東アジアタイプ(と分類して良いか分からないが)のサッカーをする。対して中東は、全体的にスピードを落とさない単純なサッカーをするという印象がある。
 おそらく、日本のイラク戦を見たイランは中東のサッカーの特色を強く生かせば日本の守備ラインを何回か突破できると確信していたのではないか。あるいは、日本に勝つにはそれが最も有効な方法だと。対して日本は、イラク戦で露呈した守備(チーム全体の守備)の修正・強化が出来ていなかった。一部の外国メディアの言を借りれば、「運の良さで予選を勝ち残れた日本」は「その運を使い果たした」ということだと思う。守備の選手を換えただけでは、スピードに乗った一気のカウンター攻撃の脅威を抑えることはできなかった。
 失点はいずれも、相手チーム2人のパスと走りのコース選択の良さが、守ろうとする4~5人の日本選手を掻い潜ってのシュート。読みとタイミングが合わなければ実現しない、絶妙なシュートだったと思う。今の日本側にしてみれば、一人一人の守備陣の「足の速さ」ではなく、相手の攻撃への「読み」と全体としての守備陣形構築の「速さ」が課題なのだろう。ゴールキーパーを含め「アジアの壁」の強固な守備の復活を願いたい。
 近年の日本代表の試合で寂しいのは、試合後にかつての「セルジオ越後さんの辛口批評」がないことだ。セルジオさんがどうだというのではなく、あのような「的を得て容赦のない苦言」を大きな声で語る存在が居ない寂しさと危機感。かろうじて厳しい批評?と言えるのは岡田元日本代表監督くらい?か。サッカー界のご意見番?の中に、専門的立場から「的確かつボロクソ」な酷評を語る人物がもっと居て欲しいと感じる。大きな試合を前にして、その酷評を聞かされ気を引き締めた上で、当日中継では松木さんの「応援一辺倒の解説」を枕に試合を楽しみたいと感じるのだ。
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能登半島地震

2024-01-20 | 日記
元旦の午後、テレビニュースで能登半島に地震があったのを知った時には、まだどの程度の地震規模だったのか、どの程度の被害があったのか良く分からなかった。2,3日過ぎても、輪島での大火災以外には深刻な被害状況が伝わってこなかった。被害がひどかった地区への道路が使えず、行政や報道機関の要因が現地に入れなかったこと、さらに現地との通信設備も被害を受けていたことなどが原因だ。
 道路の復旧作業が開始されたころ、帰省先から自宅の状況を見ようと現地に向かった知合いと電話で話すことが出来たのは、地震発生から1週間以上経ってから。「金沢までは取り敢えず行けたが、そこから自宅のある能登半島先端までは車で10時間掛かったという。自宅は倒壊を免れたが、危険で住めないと判定されたそうで、結局避難所に寝起きしつつ避難所の運営にあたっているらしい。
 1年以上前から群発地震が続いていた能登地方だが、その延長上で一気に4mほども地盤が隆起する大きな変動が起きたことから推測すると、この数年の中小の群発地震は最後の大きな変動の前兆だったのだろう。数千万年かけて東西に圧縮され続けている地殻・岩盤が、徐々に変形を伴って崩壊し、最後に「最も強く抵抗していた」支えの岩盤が一気に崩壊して断面沿いに4m近くもせり上がったのだろう。その隆起の規模は地震学者もこれまで見た事がないほどの大きかったそうだ。それほどの地盤隆起が能登半島先端で起きるなんて、これまで聞いたことも無かった。つまり、専門家も日本のどこでどれほどの規模の地殻変動が起きるかなど、予想することすら容易じゃないということ。
 地震で地殻が動いている時間が数分なのか十数分なのかは知らない。少なくとも今回は、直後に4m以上と予想した津波が潮位計で1m強の変動に収まるほどに、陸というか港自体が持ち上がったと思われる。地震が起きている間に、ほぼ「あっという間に」自分が立つ、あるいは家々が建つ地盤が4mも持ち上がったなんてことになるのだろう。東日本大震災の時には、三陸の海岸線が数メートルも東に引っ張られたそうだ。台車の上に立ってる人が、突然台車を突き上げられたり引っ張られたりしてズッコケるようなようなものか。
 それにしても、国中どこででも大きな地震災害が起き得る国、そして数年ごとに実際に予想以外の所で地震災害を経験して来た国、加えて台風や大雨での水害・土砂災害による交通遮断・通信遮断、孤立者・負傷者の救助や病人の移送、避難所運営・災害住宅建設を毎年どこかで体験している国にあって、未だに災害救助に特化した「災害救助隊」創設の話が本格化しないことが不思議だ。
 能登の場合も海からの救助・援助体制が整っていれば、救助・援助はもっと早く行えたのでは・・・。「地盤の隆起で港が使えない」と言われたが、大規模なヘリコプター輸送能力を備えた「ヘリ空母」と「病院機能・臨時非難所を兼ねたクルージング観光船並みの母艦」があれば、島や半島だけでなく山間部からの救出や輸送も捗るだろう。「自衛隊は災害救助が専門ではないので」と言われるが、「災害救助隊」が生まれれば、半年に一度は様々な災害に見舞われているこの国で数年のうちに経験を積んだ「専門部隊」となるだろうに。


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銀行預金は”塩漬け”のお金だって、

2023-12-30 | 日記
最近NISA(個人投資家への税制優遇策)なるものが盛んに宣伝されるようになって来て、テレビ番組や他のマスメディアでも盛んに「個人投資家への挑戦」が勧められているようだ。気が付くと、いつの間にか「日本には莫大な額の個人預金が眠っている」という決まり文句が大手を振って歩いている。
 「日本では個人が銀行預金を貯め込んでいるので、その莫大なお金が経済活動への投資に廻らず眠っている」って説明され、一瞬「そうかも知れない」って納得してしまいそうになる。
 でもまてよ?、と、学校で習った「銀行の役割」というのを思い出す。確か、銀行は人々からの預金を「貸出し」や「運用」に廻すことで利益を上げているのじゃ無かったか?。無邪気なのか馬鹿なのか、私は昔からてっきりそう思っていた。銀行預金をすれば、それが経済活動への投資に廻るって。
 「日本には個人預金という莫大な資金が”塩漬け”になっていて投資に廻っていない」などと説明する方々は、銀行では預金を「ただただ金庫に保管し続けているだけ」と印象付けたいのだろうか。
 実際の処、現在の日本の銀行が個人預金を本当に”塩漬け”状態で保管しているだけなのか、それとも「運用・投資」しているのかは知らない。銀行が預金者から集めたお金を第3者に「投資」するか「運用」するかして利益を得、それが預金利息の原資になるという考えは「単なる誤認識」なのか「時代遅れ」なのか。
 テレビやラジオ番組でも、そんな疑問を口にする者は誰も出て来ない。まるで社会通念が全く異なる時代に取り残された浦島太郎の気分になる。この疑問の提起も、説明も無く、”塩漬け?”扱いの個人銀行預金を金融市場に取り込むためにあの手この手を繰出す今の社会には、どこか釈然としない気持ちを抱いてしまうのだ。
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