愚ダメ記、真誤付き、思い津記

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豪雨の証

2023-07-04 | 日記
四国に居る間にこちらでは「線状降水帯」が掛ったとかで、豪雨が報じられていた。家に帰った次の日、庭に出て見ると、庭に出しっぱなしだったバケツや水洗バットに目一杯の雨水が溜まっている。出掛ける前には空っぽだったのを見ているので、四国に行っている間の警報が出た一晩の豪雨で溜まったに違いない。
 バットの方は不可さ15cmくらいだが、バケツの方は25cmは超えるだろう。それが一気に一杯になったということは、その間の雨量が約30cm近くになったことを意味する。つまり、すべての地面に平均水深30cmの水が覆うほどの水が天から降ったということだ。
 近所の人から「雨がひどかったですね」と声を掛けられ、「いや、ちょっと留守にしていたのでよく知らないんです」と答えたが、バケツを眺めながらきっと凄まじい豪雨だったに違いないと思い知る。

帰路

2023-07-03 | 日記
四国からの帰路。葬儀を終え、お世話になった施設のスタッフ・医師に挨拶を終えると3日が過ぎていた。葬儀に集まった甥や姪が去り、兄弟姉妹で一息つきながら早めの昼食。昼過ぎに我が家への帰路に付くと、見慣れた城山が遠ざかる。これまで実家に戻ることのシンボルだった城が、以後は一つの旅先の城になってしまうのだろうか。
 子供から青春までを過ごした町に友人や思い出は残っているが、やはり「実家が消えた」という思いは景色を通して心に届いてくる。どこか心の一部をDeleteしたような気分になる。次にこの町に来る時には、少なくとも実家に戻るという思いは湧かず、旧知の町・旧知の人々を訪ねるという気持ちで来るのだろう、と想像したりする。
 海を渡り、本州の山並みが近づくと、そちらの方に「帰って来た」との実感を持つ自分がいた。青森で暮らした10年足らずの間、青森に向けて上野駅のホームを踏む度に抱いたあの感覚。やはり今住んでいる町が自分の町だと思うのが当たり前、と、自分の中で復唱。
 親を失くした今、次は自分が子供達にとってはそのような存在になると考えてみたりする。生き物である限り、世代交代は避けられぬ。家に帰れば、明日からまた日常の一日である。その日常の中、予告なく与えられる「人生と向き合う旅」。走り慣れた高速道に入り、その旅も終わろうとしている。