愚ダメ記、真誤付き、思い津記

日記?趣味?妄想?

ホトトギス

2023-05-24 | 日記
朝夕にホトトギスの声が聞こえる季節になった。夕方、少し離れた森の近くまで散歩に行くと、途中の池の向こうや学校の近くの林からホトトギスの声が聞こえて来る。昔は「テッペンカケタカ」と鳴くのだと書かれていたが、最近はどうも「特許許可局」と鳴いているように聞こえてしまう。
 その声を聞くたびに、「ほととぎす 鳴きつる方を眺むれば ただ有明の月ぞ残れる」という百人一首の歌を思い出す。子供の頃はホトトギスも有明の月も知らずに、ただ札を取りたいために覚えていた。「何が言いたいのだろうか?」と時々思ってはいたが、鳥を見始めるまではホトトギスが身近に感じられることは無かった。
 今ならば、朝明るくなって来てホトトギスの声を聞くことも、明るくなった東の空に白っぽく有明の月を見つけることもできるだろう。ただ、それを和歌に詠んでみたいという風情が私にも、そして世の中にも無いのが口惜しい。今は「有明の月」に出勤途中の渋滞や遅刻を心配する気分が重なってしまう。
 まあ、その声を「特許許可局」と聞いてしまう現代なら、せいぜいホトトギスの声に子供の頃のささやかな発明?の思い出でも重ねることにしようか。

紫雲丸事故

2023-05-11 | 日記
車で走りながらラジオを付けると、「紫雲丸事故」に関連するニュースが流れて来た。一つは島根の小学校、もう一つは高知県の小学校での「事故の犠牲者を追悼する催し」のニュース。リアルタイムではその事故を知らないが、瀬戸大橋以前の四国で育った人なら誰もが、その事故が「瀬戸大橋実現への願い」の根っこにある「悲劇」として語り継がれていたことを知っているだろう。
 ラジオニュースが告げた島根の小学校も、高知の小学校も、それぞれ30名近くの生徒が事故で失ったそうだ。これまで一つの学校の修学旅行列車と思っていたけれど、実際は幾つかの学校にまたがって修学旅行で犠牲者が出ていたことを知った。5・6月は霧の発生が多い瀬戸内海、濃霧の中で連絡船同士の衝突だったという。沈んで行く船に居た生徒達は、どれだけ恐怖の中で助かろうともがいたことだろうか。それ以来、連絡船に客車を積むことを止めたのだと、よく聞かされた。
 「台風でも霧でも安全に行き来できるために」と望まれた瀬戸大橋だったが、実際には「強風のため」「霧のため」の通行止めが少なくない。「淡路島を経由してトンネルで結んでおけば」という意見が、その度に耳に蘇る。いずれにしても、現在は3つの橋で四国と本州が結ばれている。瀬戸大橋完成と共に廃止された連絡船を懐しむ思い出は幾つもあり、個人的には昔懐かしい「思い出の連絡船」だ。しかしその思い出と共に、連絡船「紫雲丸」での修学旅行生の悲劇は永遠に忘れてはいけない「悲劇の思い出」だと再び思い知った。
 紫雲丸事故の犠牲者は百数十人だったというから、ニュースで聞いた2つの他にもその犠牲者を追悼し続けている学校があるだろう。ニュースを聞いて、60年以上前に修学旅行の楽しいひと時から一転して霧の海の底に沈んで行った十代前半の子供達のことを、いつまでも忘れずに語り継ぐ学校の追悼の思いを偲んだ。