
忠魂碑の右側を見ると上に行く道がありました。
登ってみることにしました。

しばらく登ると少し広い場所に出ました。

小さな赤い実がなっていました。

萩の花も咲いていました。

忠魂碑がありました。

字が薄れかけていましたが、日露戦争で亡くなった方たちの名前が書かれていました。
子供の頃から「あの石段の上はどうなっているんだろう?」という疑問は解けたので一応すっきりしました。
けれど日露戦争に関しては子供の頃、少し悲しい思い出があります。
まだ小学校4~5年生の事だったと思います。
家の蔵の2階に古い新聞が大事に取ってありました。
その新聞には半分のスペースで、絵だったか写真だったかよく覚えていませんが、
兵隊さんが片手で日本の国旗をあげて高台に立っている写真が載っていました。
その新聞の事を父親に聞くと、祖父の弟が日露戦争で場所はどこか忘れましたが、一番乗りで敵陣に日の丸の旗をあげた写真だと教えてくれました。
その後、敵に銃で撃たれて倒れて亡くなったそうです。
分かりやすく言えば、名誉の戦死です・・・
その話を聞いて、子供ながらにとてもショックでした。
・・・・おじいさんの弟が一番に日の丸を立てたけれど、すぐに敵に銃で撃たれて死んだ・・・・
まだとても若かったと思います。
その話を聞いた、祖父の両親はどう思っただろうか?
母親は特に辛かったのではないだろうか・・・
兄だった祖父もどう思っただろうか・・・
あの時の新聞は今ではもうなくなってしまったけれど、子供ながらにとても悲しくなった事だけは今でもよく覚えています。
祖父はこの土地で生まれた人ではなく、他村から養子に入った人だから、日露戦争で亡くなった弟もここに名前は当然ありません。
けれど、ここに名前の書かれている方達の親や兄弟も同じ辛い思いをしたことだと思います・・・
私は戦争を知らない世代ですが、たくさんの方の犠牲の上に今の時代があるのだと思っています。

さらにこの上の山に登る道があるかどうか覗いてみましたが、どうもないようでした。
もし、あっても怖いので止めました。


逆光ですが、岩殿山の方角です。

もうすぐ日が沈みそうです。

こんな低い山でも、少し紅葉した葉っぱがありました。
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これで「忠魂碑までの散歩」は終わります。
ご覧いただきありがとうございました。