私は 日本の新聞に自分の名前や顔写真が載ったことはありません。
青年海外協力隊の中には、地方新聞に載った人も結構いました。が、私は 東京砂漠生まれ。地方新聞なんて ホットなものはないし 市報でも 協力隊のことは扱ってくれません。
しかし これまでの人生の中で 二度 海外の新聞に名前が載ったことがあります。
まあ 前回のブログに書いたので みなさん察しがつくかと思われますが、
そうです。私の Air Pacificに対する苦情文が Fiji Times に載りました。
同じ内容がネットにも 載りました。Fiji Times 6月2日(たぶん 今日中でこのページ消えると思う)
はっはっはー ざまあみろー だって 絶対バック開けたのAir Pacificか空港の従業員だもん!!
ということで フィジーの新聞に名前が載ったのが 1回。
んで もう一回は トンガ。
しかも これまた 「人々からの苦情コーナー」に載った。
これじゃあ どんだけ プリプリした人間だと思われそうですが、この記事は 私が書いたのではない!
遡ること 1年前ほど。 事件は 私の住んでいたエウア島の空港で起きた。
(空港っても 野原に 小さい小屋があるだけ。飛行機の発着時間1時間前からしか営業してない)
私は 日本からはるばる私に会いに来てくれる両親を 本島に迎えに行くため 夕方5時の飛行機に乗るはずでした。
ところが、ちょうど6時間目の授業をしているとき、学校の事務のおばちゃんが 慌ててクラスまでやってきて 「キョウコ!夕方の便が 今から出るって!急げ!」というので クラスもあと5分で終わりだったので 生徒にも「急げ!急げ!」といわれ 慌てて空港まで 学校の車で向かったのでした。
空港につくと まだ飛行機はきてない。 乗客がパラパラいる程度。
ほー 間に合った。
30分経過。
まだ かな。
1時間経過。
なんだよー 焦る必要なかったなー
2時間経過。
なぜ?
2時間半経過。
怪しい!絶対 あやしい!
私は これから英語の話せない親を 本島の国際空港に向かえに行かなくてはいけないし その後 また翌日の早朝飛行機に両親と一緒に乗ってエウアに戻って授業をしなくてはいけなかったので 一人 オロオロしだした。
空港の人に聞いても 「あと ちょっとで来る」との一点張り。
まじで 半泣きになってきた。
エウア-本島間の 飛行機は 勝手にキャンセルになることが多いからだ。
飛行機の発着時間になると、たいてい近所の暇なトンガ人達が 空港に 飛行機を見に集まってくる。
で 私を見つけて 「お?キョウコ 本島に行くの?」
「うん。両親が日本から来るから迎えに行くんだけど、飛行機が来ないんだよー。 どうしよー 両親英語 話せないのにー」
と 半泣き で 話すと さすが トンガ人。 暇なトンガ人。
即効 私の話は お涙物語となって そこら辺にいるトンガ人全員に広まった。
ちょうどその時、空港の人が
「あー なんか 今日のフライトキャンセルだって。」と 言うではないか。
もう 大変ですよ。
私以上に まわりのトンガ人が。 まさに 「飛行機一揆 2007」ですよ。
「ひどい!キョウコがかわいそう!」「キョウコの両親は 英語が話せないんだよ!」 「勝手にキャンセルなんて 許せない!」と ギャーギャー抗議してくれた。
しかも キャンセルの理由が 「パイロットが疲れたから」
もう これで この問題は エウア全土の問題になったのでした。
「本島から フライト時間たったの6分だよ?! 往復12分も 飛べないなんて エウアを軽視してる!」
と もう 収集がつかなくなった。
「私達は 飛行機がエウアに来るまで ここを離れないよ!」
「今までだって 何度も勝手にフライトキャンセルになってきたんだ!これは もう新聞に投稿するしかない!新聞に投稿するって 航空会社のヘッドに言え!」
と 凹む私をよそに トンガ人が一致団結し 「飛行機を飛ばせようの陣 2007」が 幕を切った。
トンガ人達の 相談の結果、新聞に投稿するには 写真があったほうがいいとのことで、どっからかデジカメをもってきて
「キョウコ!そこに座って、悲しそうな顔して!」と 乗客の荷物の上に座らせられたり 「ちょっと このみかん食べて お腹すいてる顔して!」と みかんを渡されたりした。
トンガ人的に、3時間も何も食べずに待たされた。ということは かなり大きいことらしい。 「3時間もお腹すかせて かわいそう!」というところが 読者の同情をかうらしい。
そして それから1時間半後。抗議デモの結果、
なんと、
飛行機が 来たのでした!!!
暗闇の中から 飛行機が見えた時 あたしゃ 泣いたね。
トンガ人達も もう拍手喝采ですよ。
おそらく こんなに飛行機が脚光を浴びたのは、初めて飛行機がエウアに来た以来ですよ。
んで 「ありがとう!ありがとう!」と 協力してくれたトンガ人全員に ウマ(kiss)をして 飛行機に乗って 無事 両親を迎えに行くことが出来たのでした。
もぅっ トンガっていうか エウア、サイコーーーーーー!ってな感じで 一揆の結末は ハートフルなエンディングだったわけですよ。
で その数ヵ月後。
本島にあるJICAドミトリーに泊まっていた時、トンガ人のセキュリティに
「キョウコ!キョウコ!お前 新聞に名前が載ってるぞ!」
と 言われ
えーーーーっ?!何?!何よ?!なんで?! と思って新聞をみると
エウア人 航空会社に猛抗議! みたいな 内容が 新聞の苦情欄に載っていた。
そして もちろん 私の名も被害者として フルネームで 載っていた。
(JOCV JAPAN)とまで 括弧つきで載っていた。
「新聞に投稿する!」なんて 航空会社に対する脅しかと思ってたけど
本当に 載ってしまった。
あわわわー JOCVって載っちゃったよー JICAに怒られるかなー
と ひやひやしていたが
悲しそうにみかんを たべる少女の写真は 紙面の都合上カットされていたので
救われた。
青年海外協力隊の中には、地方新聞に載った人も結構いました。が、私は 東京砂漠生まれ。地方新聞なんて ホットなものはないし 市報でも 協力隊のことは扱ってくれません。
しかし これまでの人生の中で 二度 海外の新聞に名前が載ったことがあります。
まあ 前回のブログに書いたので みなさん察しがつくかと思われますが、
そうです。私の Air Pacificに対する苦情文が Fiji Times に載りました。
同じ内容がネットにも 載りました。Fiji Times 6月2日(たぶん 今日中でこのページ消えると思う)
はっはっはー ざまあみろー だって 絶対バック開けたのAir Pacificか空港の従業員だもん!!
ということで フィジーの新聞に名前が載ったのが 1回。
んで もう一回は トンガ。
しかも これまた 「人々からの苦情コーナー」に載った。
これじゃあ どんだけ プリプリした人間だと思われそうですが、この記事は 私が書いたのではない!
遡ること 1年前ほど。 事件は 私の住んでいたエウア島の空港で起きた。
(空港っても 野原に 小さい小屋があるだけ。飛行機の発着時間1時間前からしか営業してない)
私は 日本からはるばる私に会いに来てくれる両親を 本島に迎えに行くため 夕方5時の飛行機に乗るはずでした。
ところが、ちょうど6時間目の授業をしているとき、学校の事務のおばちゃんが 慌ててクラスまでやってきて 「キョウコ!夕方の便が 今から出るって!急げ!」というので クラスもあと5分で終わりだったので 生徒にも「急げ!急げ!」といわれ 慌てて空港まで 学校の車で向かったのでした。
空港につくと まだ飛行機はきてない。 乗客がパラパラいる程度。
ほー 間に合った。
30分経過。
まだ かな。
1時間経過。
なんだよー 焦る必要なかったなー
2時間経過。
なぜ?
2時間半経過。
怪しい!絶対 あやしい!
私は これから英語の話せない親を 本島の国際空港に向かえに行かなくてはいけないし その後 また翌日の早朝飛行機に両親と一緒に乗ってエウアに戻って授業をしなくてはいけなかったので 一人 オロオロしだした。
空港の人に聞いても 「あと ちょっとで来る」との一点張り。
まじで 半泣きになってきた。
エウア-本島間の 飛行機は 勝手にキャンセルになることが多いからだ。
飛行機の発着時間になると、たいてい近所の暇なトンガ人達が 空港に 飛行機を見に集まってくる。
で 私を見つけて 「お?キョウコ 本島に行くの?」
「うん。両親が日本から来るから迎えに行くんだけど、飛行機が来ないんだよー。 どうしよー 両親英語 話せないのにー」
と 半泣き で 話すと さすが トンガ人。 暇なトンガ人。
即効 私の話は お涙物語となって そこら辺にいるトンガ人全員に広まった。
ちょうどその時、空港の人が
「あー なんか 今日のフライトキャンセルだって。」と 言うではないか。
もう 大変ですよ。
私以上に まわりのトンガ人が。 まさに 「飛行機一揆 2007」ですよ。
「ひどい!キョウコがかわいそう!」「キョウコの両親は 英語が話せないんだよ!」 「勝手にキャンセルなんて 許せない!」と ギャーギャー抗議してくれた。
しかも キャンセルの理由が 「パイロットが疲れたから」
もう これで この問題は エウア全土の問題になったのでした。
「本島から フライト時間たったの6分だよ?! 往復12分も 飛べないなんて エウアを軽視してる!」
と もう 収集がつかなくなった。
「私達は 飛行機がエウアに来るまで ここを離れないよ!」
「今までだって 何度も勝手にフライトキャンセルになってきたんだ!これは もう新聞に投稿するしかない!新聞に投稿するって 航空会社のヘッドに言え!」
と 凹む私をよそに トンガ人が一致団結し 「飛行機を飛ばせようの陣 2007」が 幕を切った。
トンガ人達の 相談の結果、新聞に投稿するには 写真があったほうがいいとのことで、どっからかデジカメをもってきて
「キョウコ!そこに座って、悲しそうな顔して!」と 乗客の荷物の上に座らせられたり 「ちょっと このみかん食べて お腹すいてる顔して!」と みかんを渡されたりした。
トンガ人的に、3時間も何も食べずに待たされた。ということは かなり大きいことらしい。 「3時間もお腹すかせて かわいそう!」というところが 読者の同情をかうらしい。
そして それから1時間半後。抗議デモの結果、
なんと、
飛行機が 来たのでした!!!
暗闇の中から 飛行機が見えた時 あたしゃ 泣いたね。
トンガ人達も もう拍手喝采ですよ。
おそらく こんなに飛行機が脚光を浴びたのは、初めて飛行機がエウアに来た以来ですよ。
んで 「ありがとう!ありがとう!」と 協力してくれたトンガ人全員に ウマ(kiss)をして 飛行機に乗って 無事 両親を迎えに行くことが出来たのでした。
もぅっ トンガっていうか エウア、サイコーーーーーー!ってな感じで 一揆の結末は ハートフルなエンディングだったわけですよ。
で その数ヵ月後。
本島にあるJICAドミトリーに泊まっていた時、トンガ人のセキュリティに
「キョウコ!キョウコ!お前 新聞に名前が載ってるぞ!」
と 言われ
えーーーーっ?!何?!何よ?!なんで?! と思って新聞をみると
エウア人 航空会社に猛抗議! みたいな 内容が 新聞の苦情欄に載っていた。
そして もちろん 私の名も被害者として フルネームで 載っていた。
(JOCV JAPAN)とまで 括弧つきで載っていた。
「新聞に投稿する!」なんて 航空会社に対する脅しかと思ってたけど
本当に 載ってしまった。
あわわわー JOCVって載っちゃったよー JICAに怒られるかなー
と ひやひやしていたが
悲しそうにみかんを たべる少女の写真は 紙面の都合上カットされていたので
救われた。