金曜の夜、仕事の後。
別の部署に異動になった上司の送別会がありました。
その上司は 私が面接を受けた時の面接官でした。
今の団体を受けた時、正直日本語教師としてまた海外で働きたいという気持ちが
すっごいあって、日本語教師という職に未練がすっごいあった。
けど、事故で体のことや、家族や大事な親友達に心配をかけたくないという思いや、
日本社会に国際援助で気づかされる途上国の素晴しさを伝えたい、等など
いろんな思いがあって
この事故を 自分の人生の転機にしなくては!と
必死に自分を言い聞かせていました。
で、
そういう状況と選択制限の中で自分が一番理想とする仕事が運よく見つかって、応募した。
面接のとき、
「最後に 何か質問はありますか?」と聞かれ、
「みなさんがこの仕事に携わっていて 一番笑顔になる瞬間はどんな時ですか。」
と質問をした。
何故なら 私にとって人生で一番大切なことは“笑うこと”だから。
ただ 笑うってだけじゃなくて “誰かと一緒に笑うこと”。その“誰か”は自分の生徒だったり 現地の人だったり、家族だったり 友人だったり。
私の質問に対する上司の答えは
「途上国から訪日団(年齢は高校生~30代)が日本に来日して10日間一緒に過ごし、
最後、何事もなく無事に帰国する姿、ホストファミリーと涙を流しながら別れる姿を見る といつも涙がとまりませんね。“すばらしいプログラムだった!ありがとう”と言われると本当に本当に嬉しいんですよ。」
その他 いくつかのエピソードを挙げてくれた。
お話を聞きながら、なんだか自分の生徒と重なって 目頭が熱くなりました。
(今、日本語教師以外の仕事で、この日本という国で、体のことなどいろいろな制約の下で、自分らしく 情熱を傾けられる仕事は きっとこれしかないだろうな)
と その上司のお話を聞いて 思いました。
その上司が、わずか2ヶ月一緒に働いただけで 異動になってしまいました。
私は新人のくせに、三線が弾けるという理由で送別会のサプライズ演奏をすることになりました。
お昼休みや仕事後に、別の階にある会議室をこっそり借りて
「昼練」「放課後」と称し、同じ部署の先輩達と三線、クラリネット、ネパール太鼓、ヤギの爪など様々な楽器を持ち寄って練習しました。
歌は 「島人ぬ宝」です。
送別会当日、演奏はとても上手くいきました。盛り上がりました。
で、その後、その上司にウクレレを渡し、
上司自身が好きな歌、「涙そうそう」を歌ってもらいました。
「涙そうそう」
この歌を聴くと、私はいつでもトンガの学生を思い出します。
トンガ語にも訳して 日本語Verとトンガ語Verを 学生と一緒に歌った日々。
この歌は私にとって 一番の宝物の歌です。
その上司にとっても うちの団体が取り組んでいるプログラムの思いを乗せて
歌う大切な歌なのでした。
(プログラム中 訪日団が日本人へのプレゼントとして歌ったりする)
「涙そうそう」って 国際協力関係の人の多くが いろんな思い出を持っている歌なんだなと思いました。(途上国の人と歌ったりする機会が多い歌だから)
上司は挨拶で、
「この仕事は大変だし、事務作業がとても多いけど、訪日団の滞在する10日間はそれまでの苦労が全てふっとぶくらい楽しくて 嬉しくて 幸せなんです。このプログラムが本当に大好きでした。」
と言っていました。
10日間の訪日団の滞在中は、“嗚呼、どうか帰らないでくれ”って思うほど
訪日団の学生達の笑顔が好きだったそうです。
私はこの上司に共感するとても部分が多かった。
この上司が 私と同じようにトンガに赴任していたら
きっと私と同じような素晴しい日々を送り、呼吸ができなくなるくらい涙を流してトンガを去ったのだろうなと思う。
私のような若輩者が言うのは恐れ多いけど、
とても似ているところが多い気がした。
でも 異動。
とはいえ 異動先は、一階下のオフィスですが(笑)
けど、もう同じプロジェクトに携わることはない。
― いつの日か この島を 離れてく その日まで
大切なものをもっと 深く知っていたい それが島人ぬ宝 ―
やっぱ BEGINは すごいさぁ~
今 密かに「オジー自慢のオリオンビール」を三線で練習中!
―夢はいろいろあるほうがいい 夢の数だけ あっり 乾杯!!―
なんくるないさ やってみれ!!
異動になっても やってみれ!!
別の部署に異動になった上司の送別会がありました。
その上司は 私が面接を受けた時の面接官でした。
今の団体を受けた時、正直日本語教師としてまた海外で働きたいという気持ちが
すっごいあって、日本語教師という職に未練がすっごいあった。
けど、事故で体のことや、家族や大事な親友達に心配をかけたくないという思いや、
日本社会に国際援助で気づかされる途上国の素晴しさを伝えたい、等など
いろんな思いがあって
この事故を 自分の人生の転機にしなくては!と
必死に自分を言い聞かせていました。
で、
そういう状況と選択制限の中で自分が一番理想とする仕事が運よく見つかって、応募した。
面接のとき、
「最後に 何か質問はありますか?」と聞かれ、
「みなさんがこの仕事に携わっていて 一番笑顔になる瞬間はどんな時ですか。」
と質問をした。
何故なら 私にとって人生で一番大切なことは“笑うこと”だから。
ただ 笑うってだけじゃなくて “誰かと一緒に笑うこと”。その“誰か”は自分の生徒だったり 現地の人だったり、家族だったり 友人だったり。
私の質問に対する上司の答えは
「途上国から訪日団(年齢は高校生~30代)が日本に来日して10日間一緒に過ごし、
最後、何事もなく無事に帰国する姿、ホストファミリーと涙を流しながら別れる姿を見る といつも涙がとまりませんね。“すばらしいプログラムだった!ありがとう”と言われると本当に本当に嬉しいんですよ。」
その他 いくつかのエピソードを挙げてくれた。
お話を聞きながら、なんだか自分の生徒と重なって 目頭が熱くなりました。
(今、日本語教師以外の仕事で、この日本という国で、体のことなどいろいろな制約の下で、自分らしく 情熱を傾けられる仕事は きっとこれしかないだろうな)
と その上司のお話を聞いて 思いました。
その上司が、わずか2ヶ月一緒に働いただけで 異動になってしまいました。
私は新人のくせに、三線が弾けるという理由で送別会のサプライズ演奏をすることになりました。
お昼休みや仕事後に、別の階にある会議室をこっそり借りて
「昼練」「放課後」と称し、同じ部署の先輩達と三線、クラリネット、ネパール太鼓、ヤギの爪など様々な楽器を持ち寄って練習しました。
歌は 「島人ぬ宝」です。
送別会当日、演奏はとても上手くいきました。盛り上がりました。
で、その後、その上司にウクレレを渡し、
上司自身が好きな歌、「涙そうそう」を歌ってもらいました。
「涙そうそう」
この歌を聴くと、私はいつでもトンガの学生を思い出します。
トンガ語にも訳して 日本語Verとトンガ語Verを 学生と一緒に歌った日々。
この歌は私にとって 一番の宝物の歌です。
その上司にとっても うちの団体が取り組んでいるプログラムの思いを乗せて
歌う大切な歌なのでした。
(プログラム中 訪日団が日本人へのプレゼントとして歌ったりする)
「涙そうそう」って 国際協力関係の人の多くが いろんな思い出を持っている歌なんだなと思いました。(途上国の人と歌ったりする機会が多い歌だから)
上司は挨拶で、
「この仕事は大変だし、事務作業がとても多いけど、訪日団の滞在する10日間はそれまでの苦労が全てふっとぶくらい楽しくて 嬉しくて 幸せなんです。このプログラムが本当に大好きでした。」
と言っていました。
10日間の訪日団の滞在中は、“嗚呼、どうか帰らないでくれ”って思うほど
訪日団の学生達の笑顔が好きだったそうです。
私はこの上司に共感するとても部分が多かった。
この上司が 私と同じようにトンガに赴任していたら
きっと私と同じような素晴しい日々を送り、呼吸ができなくなるくらい涙を流してトンガを去ったのだろうなと思う。
私のような若輩者が言うのは恐れ多いけど、
とても似ているところが多い気がした。
でも 異動。
とはいえ 異動先は、一階下のオフィスですが(笑)
けど、もう同じプロジェクトに携わることはない。
― いつの日か この島を 離れてく その日まで
大切なものをもっと 深く知っていたい それが島人ぬ宝 ―
やっぱ BEGINは すごいさぁ~
今 密かに「オジー自慢のオリオンビール」を三線で練習中!
―夢はいろいろあるほうがいい 夢の数だけ あっり 乾杯!!―
なんくるないさ やってみれ!!
異動になっても やってみれ!!