森さんの失言は今に始まったことではなくいまさら何をという感じだが、公の場で堂々とオリンピックの精神に逆行するような女性差別発言をやってのける、そのようなざっくばらんさが政治の世界では評価されるらしい。ある意味そういう「人間味」が、彼の調整型政治家としての力の源泉なのだろう。悲しいが、それが日本の実情である。
彼の女性蔑視発言は論外中の論外で当分の間マスコミに叩かれるだろうが、私はもう一つ「理事会に時間がかかる」のは悪いことかどうかということを問題にしたい。彼の暴言に対して、「あれは私のことだ。」と名乗り出た人がいる。ラグビー協会で初めての理事となった稲沢裕子さん(昭和女子大特命教授)である。当時の理事会でラグビーの素人は彼女一人だけだったらしい。もともと新聞記者だった彼女は、些細な疑問も遠慮せずにずばずば質問したらしい。周囲が当惑したことは想像に難くない。森会長に質問を制止されたこともあったと述懐している。しかし、そもそも彼女が起用された理由が「ラグビーの素人」としての意見を求められてのことだったという。
事情通だけなら話が早いのは当たり前である。素人が混じれば、玄人にとってはうっとおしくて面倒くさいというのはその通りだろう。しかし、その「面倒くさい」のが民主主義なのだ。玄人ばかりで事を運べばスムースに仕事が運ぶかもしれないが、所詮同じタイプの人間ばかりで基本的なことを見落としてしまう。現に、男社会の日本はいつの間にか世界の潮流から取り残されている。オリンピック憲章の精神と真逆のことを発言してしまう人が、東京オリンピック推進のトップを務めているという異常さに慣れてしまっているのが日本の現状である。
稲沢さんは「女性かどうかではなく、議論しなければならないことは時間がかかる。活発に議論することは必要。」と述べている。正論だと思う。民主主義は面倒くさいということを忘れてはならない。時には陳腐なやり取りがあるかも知れないが、陳腐であることは時に許される。しかし、平等とか人道というような根幹にかかわることは絶対にゆるがせにできないのである。