禅的哲学

禅的哲学は哲学であって禅ではない。禅的視座から哲学をしてみようという試みである。禅を真剣に極めんとする人には無用である。

中庸ということの大切さ

2022-02-11 15:25:50 | 雑感
 私は1960年代の終わりから70年代の前半にかけて学生時代を過ごしている。いわゆる学生運動が盛んな時代でもあった。私自身は典型的なノンポリ学生であったが、おそらくそれは私が怠惰な人間であったからだと思う。学生でありながら勉強は全然せず、かといってアルバイトに打ち込むというほどのことはしない。日がな一日部屋でごろごろと転がって日向ぼっこをしているような毎日であった。 私はその頃学生寮に住んでいたが、寮にはいろんな人が住んでいた。思想的にはいわゆる左がかった人も多く、日共系、反日共系のどちら側の学生も住んでいた。そして、活動らしいことはしていなくとも、いわゆるシンパ系の学生は相当いたはずである。何気ない雑談中に思想的な話題になると、普段は温厚で気弱そうな人の口調が急に変わって過激なことを口走りだす。そんな経験があって、私はイデオロギーというものの人を駆り立てる力というものを感じた。

 私は信州松本の大学に在籍していたが、時々都会の空気を吸うために東京に行くことがあった。中学時代からの友人のいる東京水産大学(現在の東京海洋大学)の学生寮に投宿するのが常であった。寮の掲示板には常時アルバイトの募集があったので交通費と食事代は稼げるし、飽きるまで滞在できるのである。そのようにして私は何食わぬ顔して水大生然として振舞い、顔見知りになった連中の部屋へも自由に出入りしていた。そんな調子で、その日も私は寮のある一室でマージャンを打っていた。お互い相手がどういう氏素性のものかは分からないが、そこは学生同士の気楽さで和気あいあいと談笑しながらマージャンを楽しんでいた。しかし、私はそこで地雷を踏んでしまった。少し以前に日本赤軍が世間を騒がした頃であった。私はそのことについて、「なんであんなあほなことやるんやろなぁ」と軽口をたたいてしまったのである。対面の男が身を乗り出してきて、いきなり私の胸倉を思い切り掴んだのである。部屋の雰囲気が仲良しムードから一挙に険悪ムードになってしまった。私は思い切り力を入れて相手の手を振り払うと、相手の男は「でていけっ!」と怒鳴った。私はとても気まずい思いをしながらすごすごとその部屋を引き払った。あとで友人にそのことを話すと、「お前、よう無事に帰って来られたなぁ。あの部屋は京浜安保共闘のアジトやでえ。」と言われた。団塊の世代以降の人はあまりご存じないだろうが、京浜安保共闘というのは日本赤軍の母体の一つとなった過激派組織である。

 しかし、私は今思うのである。彼らと私は友達になれたはずなのだと。過激派と言ってもやくざではない。人情も誠実さも持ち合わせていた人たちである。ある意味誠実すぎるとさえ言える。私と彼らを分断したのはイデオロギーだった。イデオロギーは言葉である。言葉が私達を分断するのである。

 さて、ここからが本題である。大乗仏教の創始者である龍樹によれば、言葉に依って真実を表すことは出来ないのである。私は今年の一月後半に概念(≒言葉)についての記事をいくつか書いたが、概念は必ず抽象化されているゆえに言葉が現前するものに的中することはありえない、そこにロゴス中心主義の危うさがあるという趣旨のことを述べた。イデオロギーは革命を正しいものと位置付けるが、「革命」という言葉には実は権力の交替という意味しかないのである。あまりにも矛盾した社会を変革するためには革命が必要であると思う。革命を起こすにはイデオロギーの力が必須となる。しかし、イデオロギーは人々の暮らしの中の多くの細々したことがらを捨象するのである。ロシアや中国や北朝鮮で成し遂げられた革命を振り返ってみれば、その事は歴然としている。

 学園紛争盛んなりし頃、「とめてくれるなおっかさん 背中(せな)のいちょうが泣いている男東大どこへ行く」という文句が流行ったことがある。背中のいちょうはやくざの代紋、代紋がやくざのイデオロギーである。代紋を背負っているかぎり、育ててくれた母親の情も振り切って男の道を進まなければならないのが任侠道である。革命という正義のためにすべてをなげうって進まなくてはならない活動家にとって、やくざにシンパシーを感じるのは自然なことなのだろう。学園紛争盛んな時期の東大駒場際にこのキャッチコピーが生まれたのも必然だったかもしれない。

 任侠道もそうだが、革命を目指すイデオロギーにも日常性というものがすっぽり抜け落ちている。産まれてからこのかた母親は自分のおむつを何回かえてくれたか、乳を何回飲ませてくれたか、むずがる自分を何回あやしてくれたか、人間の生活誌にはそのような無数のことどもが刻み込まれているのであるはずなのである。そのような日常性そのものが本来の人生ではなかったか。それらをすべてなげうって、母親の涙をふりきってまで、革命という建前に殉ずるというのはやはり間違っている。まさにやくざと同じ生き方である。純粋な生き方をすればそれでよいというものではない。日本赤軍のやったことが何をもたらしたか、その結果を見てみれば彼らの主張に理が無かったことは明らかである。彼らの一人一人を見ればまじめな人がほとんどであった。生まれてくる時代が少しずれていたならば、社会にとっても有用で幸せな人生を送ったのではなかろうかと思わせるような人が多い。

 時には革命を目指さなければならないという事情がある場合もあるだろう。しかし、絶対の正義というものはないということも肝に銘じておかなければならないと思う。そこで仏教では中庸とか中道というのである。それは右と左の真ん中ということではない。単純な言葉で割り切らないということである。決定的な間違いを起こさないように、反照的均衡を保ち続けるということに他ならない。私たちはイデオロギーに安住することは出来ないのである。

ホー・レインフォレスト (アメリカ ワシントン州)
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