禅的哲学

禅的哲学は哲学であって禅ではない。禅的視座から哲学をしてみようという試みである。禅を真剣に極めんとする人には無用である。

私は私です

2018-09-13 11:39:00 | 大坂なおみ

以前からアイデンティティーという言葉に抵抗を感じている私だが、大阪なおみ選手のインタビューを聞いていて、まさに我が意を得たりと感じる瞬間があった。 
周知のとおり、大阪選手のお父さんはハイチ系アメリカ人、お母さんは日本人、生まれは大阪で、3歳からはアメリカで育っている。そういうことを背景にインタビュアーは、「ご自分のアイデンティティについてどのように思いますか?」と訊ねた。それに対して大阪さんは「うーん、あまり気にしない。私は私です。」と答えた。 
その時私は「彼女は地に足を着けた人だ」と思った。地道に毎日を生きている人間は、アイデンティティなどという観念にとらわれることはない。彼女の素朴な答えが、私にはとてもさわやかなものに思えて、うれしくなった。彼女のことは前から好きだったけれど、ますます好きになってしまった。 

「『アイデンティティ』がわからない」 
https://blog.goo.ne.jp/gorian21/e/c90db6f0eaff317861c1782e21daa53f

 

本当の私というのは無規定なもの。それは日本人でもなければアメリカ人でもない。あえて聞かれれば、「私は私」と答えるしかなかった。彼女は意図せずして、仏教の本質にかかわる回答をしたのだと思う。

コメント (2)
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