禅的哲学

禅的哲学は哲学であって禅ではない。禅的視座から哲学をしてみようという試みである。禅を真剣に極めんとする人には無用である。

真理について、まどろみながら考えてみた

2017-01-13 06:44:01 | 日記

今朝寝床の中で、ウィリアム・ジェイムズの言葉を思い浮かべていた。

≪ずっと信じてきたもの、実際にそれに基づいて生きてきたのだが、それを表現することばを見つけることが出来なかったもの≫

それが「真理」であると、彼は言う。

ロマンチックだが、実に含蓄のある言葉だ。確かにぼくらはなにかを信じている。哲学をかじりかけた若者が「真理とか真実というものはない」とうそぶくことはままある。しかし、哲学をするということ自体が、何かを信じそれを求める営為でもある。信じているからこそ疑うのだ。

信じることがなければ疑うこともできないということを、あらためて実感した朝だ。

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