クタビレ爺イの山日記

諸先達の記録などを後追いして高崎近辺の低山中心に歩いています。

高崎市内三角点探訪(13) H-21-7-14

2009-07-15 05:49:34 | 三角点・宮標石その他標石
梅雨明けも近いらしいが、嬬恋や長野方面は未だ雲が多いので相変わらず
の三角点でお茶を濁す。狙いは、あと4件になった高崎市の残りの内の2ヶ所。

(1)三等 點名・尾根山 800.77m N-36-25-40-3 E-138-45-01-8



R-406で倉渕地区を西進し、郵便局前信号の1.7K先の石津地区で松井田
方面への道標で左折。橋を渡ると四つ角、右は烏川の右岸を進んで東善寺前で
再びR-406に合流、左は33号線に繋がり地蔵峠と榛名方面へと二分する。
ここを直進して坂を少し登ると右側に天満宮、その鳥居脇に双神道祖神。
かって二体あつた物が例の倉渕道祖神盗難事件のとき、享保年間の一体が
被害に会い今は一体のみ。



道はやや狭いが舗装状態は良く走りやすい。やがて姉妹観音の案内。



現地まで350mもあるので今回はパスだが河原にこの観音二体がある。



この謂れは地蔵峠手前の林道入り口の「殉難碑」に記されている。



5月のブログに載せた物を再録すると
「塚本真彦の母と娘が1868年(明治元年)の戊辰戦争の最中、権田から
避難しようとしてこの地で力尽き自決とある。もっと、詳しく述べれば
真彦は小栗の用人だが、小栗の従者として渡米から世界一周視察をしている
倉渕・水沼の逸材。真彦が小栗と共に処刑されてから、夫人は母と娘三人(3.5.8歳)と
長男を連れて富岡の七日市藩の知人を頼ってこの山中を通って松井田に出よう
としたが、谷合で道に迷って力尽き母と8歳の娘は自決、夫人は残る二人の
幼女を「相間川」に沈め、乳飲み子の長男だけを背負って松井田に達し
助けられて七日市藩まで辿り着いたという聞くも涙の物語」
相間川に沈んだ二人の幼女の為、河原に慰霊の石像が建立されているのだ。
自決した母と長女を偲ぶ仏像は殉難碑の隣に建てられている。



やや細くなった道は工事現場事務所風の建屋の前で舗装切れ。だが、路面は
しっかり固まっているし凹凸も無いので爺イのボロ車でも全く問題なし。
突然、前方から大型ダンプ出現。下り優先なので慌てて路肩に避難。
そう云えば左の河原では何やら工事中らしいし、地形図に採石場のこの
マークがあったのを思い出した。



暫く進むと河原の工事現場がはっきり見えた。ダンプの往来を予測して
幅広の所に駐車して、歩く事に変更して出発(9.40)。古い堰堤補修とあつた。



数百㍍で分岐、右は地形図の採石場だから左を選択(9.45)。



やがて目標の林道入り口。皮肉にもこの林道は完全舗装で幅広。山手への
入り口まで直線で1.2k、蛇行があるから1.5k程の登り。車を置いてきたのを
悔やむ事、しきり(9.50)。



緩い傾斜の蛇行道を進むと右手に採石場の一部が見えた。山全体を崩して
いるようだ。




相当嫌気がさしてきた頃、左手に国有林林道の分岐、もう少し。



其の僅か先の大きなカーブが破線の入り口の筈だが、唯の叢(10.29)。



地形図で確認すると右岸を暫く行ってから左岸に移ることになる。叢を抜けると
際どい沢筋。



右岸が詰まったところで沢渡り。帰途のため渡河点にマーク付け。



左岸には道跡もあるが完全に雑草で覆われている。稜線まで直線で0.4k位。
上に行くに従って沢の分岐が多くなり、其の都度、慎重に方向確認。この辺が
藪山歩きの醍醐味かも知れない。やれやれ、再び草が深くなる。



やがて稜線に接近、急登が始まるが標高差は30mなのに直線距離が50mきり
無いので大分息切れ。稜線には道跡もあり左への登りに入る。
小ピークに着くと、何と意地悪く叢。捜索10分で埋もれた三角点発見(11.17)。




直ぐに下山に掛かり、付けて置いたこのマークから急傾斜を滑り降りる。



沢筋を無事に下って林道着(11.47)、こんな立派な車道をテクテク歩く。



恒例になったカーブミラーでの本日の爺イ。



約16分で林道を下って駐車場所に急ぐ。途中で河原の工事現場に入ったら
こんな感じで工事進行中。



到着は12.13、昼食と休憩。


(2)三等 點名・水沼 599.33m N-36-24-23-9 E-138-47-29-4



今度は登路がハッキリしない。目印は地形図上の送電線が僅かに角度を変える
尾根。そこには必ず送電線鉄塔がある筈で、鉄塔があれば管理道がある筈との
想定。
R-406に向かってから、四つ角を右折、R-33の分岐は左を選択して水沼橋手前を
右折。この細道にはこんな道標。



前面に見え出した送電線を注視しながら、鉄塔位置が近づくのを確かめ。
東電独特の鉄塔案内の黄色ポールを探すが見当たらず、山手への道を
見つけて入り込む事にする(12.55)。道と言ってもこんな草の道。



途中で東電管理道ではなく唯の作業道だと気が付いたが方向が同じなので
そのまま進む。やがて道形が判別できるようになってやれ安心。



現在地を推定すると、窪に入っているので不安。やはり、崩落でドンつまり。
仕方なく左手の斜面に突撃。等高線6本の急傾斜。這い上がった稜線に何用かは
不明だが赤リボン(13.24)。



稜線の東に確かに鉄塔がある事を確認して尾根道を西進。殆ど平坦で次の
稜線の末端に取り付くまでの距離125m。登りつくとあと三角点まで330m。
稜線は左に湾曲しながら軽い登り傾斜。手前の小ピークを越えるとあと75m。
だが、現地は又藪でガッカリ。



周辺をぐるぐる回って捜索すると幸いにも叢に白ポールと三角点(13.55)。





帰途にさっきはパスした鉄塔へ(14.26)。



展望は良いが生憎と霞みで写真にならない。僅かに東方の集落。



下山は急降を避けて適当に緩斜面を拾って林道へ(14.44)。



本日、唯一の花。これで残りは二つだが、簡単ではない。



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