クタビレ爺イの山日記

諸先達の記録などを後追いして高崎近辺の低山中心に歩いています。

高崎市内三角点探訪(2) H-20-12-7

2008-12-10 09:53:15 | 三角点・宮標石その他標石
第二日目

(9)将軍塚 三等三角点 中大類 88.78m N-36-19-23-9 E-139-04-07-6



今日は先ず駒形線を東進、高崎インターを過ぎた「京目」で長瀞線に
乗換えて南進、再び高速下を潜って島野町南信号先の右側に高崎
東高入り口看板。そこを左折すると直ぐに将軍塚古墳。
全国に著名な「将軍塚」は多くありそうだがここは余り有名ではなさそう。
説明では井野川流域では初の前方後方墳で四世紀後半のものらしい。

その登り口には数個の石像物。



古墳の上に三角点。





直ぐ脇に小さな島名神社。創立不祥とされているが、四世紀後半に東国統治に
活躍したと伝えられる7代孝霊天皇(神話の世界)の皇子・彦狭島命を祭った
と言われる。但し、島名神社との命名は昭和27年。




(10)上中居 三等三角点 上中居町 91.34m N-36-19-07-6 E-139-01-52-1



元島名町から一転して市中に戻り競馬場通りの上中居町の正観寺。
何やら大工事中で駐車に苦労。



墓地の中の探索は時間が掛かったが漸く埋もれた不遇の三角点発見。




(11)塚沢 三等三角点 芝塚町 95.73m N-36-19-49-8 E-139-00-44-4



芝塚町に来て「江木西」信号から西進して上越線の線路際。
高架下の開発や付近のマンション新築状態を見て早くも諦め。こんなに
新規開発が進んだところの三角点は見付る可能性は低いから。
果して現地は新駐車場として完全にコンクリートで整地され目標は
見当たらない。やたらとこんな境界杭多数。



このままでは面白くないので本町の水準点を見に行った。
高崎市内には19ヶ所の水準点がある。一等水準点14、二等水準点2、
道路水準2、交点1である。三町目交差点近くのこれは「交点522」の
点名が附けられている。




(12)大八木 三等三角点 大八木 113.53m N-36-21-49-2 E-139-00-09-5



さて、今度は大八木工業団地に向かう。
途中の飯塚町追分の三叉路にある八坂神社前。



ここに一等水準点 点名3518 標高 99.19mがある筈。探し回って
漸くこの鉄蓋の下にひっそりと鎮座しているのを発見。




高渋線の大八木信号を右折してコンビニに駐車。団地内の細道から現地を探すが
そこは大手鋼材会社の敷地内。裏門の隙間から入って捜索するも駄目で撤退。
明くる日の月曜日、会社を再訪問。施設課のベテランさんを紹介してもらって
案内を依頼、何と敷地内南端の独身寮の屋上にあつた。
地形図では地表になっているのに。




(13)長町 四等三角点 行力町 129.07m N-36-22-18-4 E-138-58-25-8



浜川を通過して行力に向かう。新幹線高架の手前のG.S裏が現場。
更にその東は新規開発の真最中で山積みの土砂。脇の細道で発見。
この様に標柱付きなら三角点も見つけ易い。




(14)正観寺 四等三角点 正観寺町 108.79m N-36-22-13-0 E-139-01-08-6



もう一度R-17に戻って前橋に向かい小八木信号から斜め左に入って
正観寺地区に入って諏訪神社に駐車。



畑の中の細い舗装路を現地へ。元々が国土院記録で「不明」だが
果して資材置き場に変わっていて見当らずに断念。




(15)富岡 三等三角点 榛名町 204.4m N-36-23-07-8 E-138-56-48-2



最後は鳴沢湖南の白岩観音への道へ。右に湖が見え出す手前で
広場風の所に小さな旗、その下に三角点。




二日目はこれで切り上げ。
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