クタビレ爺イの山日記

諸先達の記録などを後追いして高崎近辺の低山中心に歩いています。

八塩あじさいの里 R- 4 - 6-17

2022-06-19 15:58:04 | 神流・上野村
梅雨の晴れ間が続いている。その間に未だ少し早いとの
情報もあるが今日は八塩アジサイの里を訪問。

拙宅から現地までは幾つかのルートがあり、r-13バイパスで
藤岡市街地を抜けてR-254の「上大塚」を南進しても良いが
爺イは走り慣れた道で「本郷」から南下する。
やがて「浄法寺」信号でR-462と合流して進み
「ふるさと通り入口」を右折して市道を約1km弱戻ると
左に駐車場。

近くには「八塩温泉郷」の幟が目立つが所謂「温泉街」は形成され
ていなく「八塩館」「鬼石観光ホテル」「神水舘」の三軒が
浄法寺地区に東西に並んでいる。
この地は藤岡市浄法寺と藤岡市鬼石の境目でアジサイ園の住所は
浄法寺だが広大な園は鬼石地区へも入っている感じ。

道標に従って沢の様な地形を下ると園内に入るが
危惧した通りあじさいの影は薄く一目見た感じは
「殆ど咲いてない」。

それでも参観に来た園児たちと前後しながら「八福神」や
最奥にある大滝などを見物してから国道下の野鳥観察場所で
野鳥の姿は捉えられなかったが鳴き声のみ録音したりして、
その間に出会う僅かなアジサイを撮影してオシマイ。

八塩あじさいの里



時間が余ったので帰路途中「浄法寺」を参観して帰路に就いた。
浄法寺の記録は何れ別稿で纏める積り。

蛇足

この鬼石は「おにいし」ではなく「おにし」と読むんだそうだ。
古くは尾西と称したこの地は「上毛風土記」「上野志」には
鬼子の名が見られると云う。地名の由来について、
「上野国志」は昔、弘法大師が御荷鉾山に住む鬼を調伏した
折に鬼の持っていた石を放り投げ、その石の落ちた場所が
鬼石であると伝えているとか。

「八塩温泉」の名前の由来は、次のような言い伝えによる
と云われる。
昔、怪我をした村人の前に、滝壷の水しぶきの中から大黒天が
現れ、村人を「傷口に効く水(塩水)の湧く場所」へ導いて
くれた。その場所は、沢の底から塩水が吹き出ていて、この塩水
を傷口に塗るとたちまち完治したと言う。
そして、「塩の湯口」が八ヶ所あることから「八塩」という
地名になったとも。国土院地形図にも八塩の地名が
記載されている。
この八塩なる温泉は「塩分濃度(約70%がナトリウムイオン
と塩素イオンの全成分)の高い全国でも珍しい化石海水の
湯で、冷鉱泉水。
第三世紀(6500年前-200万年前)当時の海水が地中に
閉じ込められていたものが地上に湧き出たらしい。

1889年町村制施行に伴い、緑野郡に鬼石町誕生とあるが
この鬼石町は1889年以前から存在した鬼石町と浄法寺村の
合併であった。つまり、浄法寺村はこの時点で鬼石に
飲み込まれたのである。鬼石町は1896年に緑野郡・南甘楽郡・
多胡郡が合併したことで多野郡鬼石町になり1954年には
三波川村・美原村と合併して大きくなり2006年の
藤岡市に編入となった。
所が新藤岡市の地域表示は「藤岡市鬼石」と並んで
「藤岡市浄法寺」が昔の名前で表に復活している。
同様に鬼石町に吸い込まれた三波川村は
「藤岡市三波川」として表に再登場して名を残しているが
「藤岡市美原」の名は無い様だ。
所で藤岡市浄法寺も藤岡市三波川も番地の頭に「甲」とか
「乙」が付くのはなんでだろう?

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