クタビレ爺イの山日記

諸先達の記録などを後追いして高崎近辺の低山中心に歩いています。

惨めな撤退・梓山 H-24-4-29

2012-04-30 12:51:23 | 吾妻周辺
久し振りに東吾妻町の梓山に行く事にした。山頂台地に並ぶ神話の三石を
見るためだ。この山には泉沢林道から一回、榛名湖畔から烏帽子ヶ岳の
北尾根を使って二回訪れている。
この山は一般の地形図には山名の記載は無いが昔の特殊な地図には
はっきりと載っている。



何度もブログに書いたものを再び記すと「吾妻山、梓山トモ云。――山頂ニ
直立ノ大石三箇アリ、コノ中央ノ石ヲ日本武尊石ト云、東方ノ石ヲ妻石、西方
ノ石ヲ武彦石ト云」と地元史に書かれているからである。「武彦」とは
日本武尊の東征に随行した「吉備武彦」、「妻石」の「妻」とは日本武尊の
吾妻滞留に際して土地の長者が差し出した「上妻姫」の事。
日本の歴史は第15代応神天皇からと言うのが定説であるので、
第12代景行天皇の第2皇子の日本武尊の事は神話の扱い。

これは過去の記録から
日本武尊石



武彦石



妻石



特に爺イはこの「武彦」という現代風な名の大和に匹敵する古代豪族の武人に
興味がある。彼の子孫に吉備真備(695-775)がいて高橋克彦描く火怨のアテルイの
時代より少し前の世代を題材にした「風の陣」に活躍しているからだ。
橘奈良麻呂・恵美押勝・道鏡・和気清麻呂の時代だ。

今日の予定は旧東村の奥田川沿いの林道から行く事にした。このルートは
ネット情報では2008年頃の「山の本66巻・静山紀行」に、かの名刺判標識で有名な
G氏こと後藤信雄氏が署名寄稿しているし2009-2にはMHCのグループが
集団登山している。
が、何れもルート軌跡の記載が無いので取り付きは自分で探す事になる。

伊香保の裏を抜けて岡崎信号、約4.2K西進して奥田信号で左折し町道26号を南進。
約4kで「広域基幹林道北榛名線」とぶつかるが、右折(西)側は通行止め。



角にある手の込んだ造りの道標は未だ合併前の旧村道のまま。



榛名線を突っ切って細い舗装路に入る。僅かの距離で二股分岐、左の「弓ケトウ線」は
舗装だが進路となる右の道は未舗装のダート。路面は酷くは無いが安全のために
ここの空き地に駐車する。こんな所から歩くとは早くも誤算だ(10.00)。



林道は奥田川に沿って緩い登り。この名前だけは立派なボロボロの橋で左岸に移る。



路面は車を置いてきた事が悔やまれるほど程度はそんなに悪くなく、時々轍の跡が
深いところもあるが低速なら乗用車でも通行可能の感じ。



やがて右手へ林道が派生している。「基幹作業道・四林班線」と表示があるが
その先0.5k位に三角点・吾妻山があるので帰路に尋ねる積り。



再び分岐、左は直ぐ前に奥田川の河原が見えるので右を選択。



30分以上も歩いた頃、「平五郎線終点」の道標。さっきの榛名線との交点から
ここまでの林道名は平五郎線という事だが名前の由来を知りたくなる。
「山の本」に「平五良」とあるのは小字名「平五良」からの連想で間違いだろう。



そこから数分でゲートに到着。出発から推定で約2k位か(10.38)。



ゲート脇には「烏帽子林道」の道標、ここから先の名称らしい。



目立つところに「榛名山ハイキングコース」の看板、但しこの先には関連道標は
一切なかったので一体どんなコースを案内する積りなんだろか?



少し、入ったところで休憩。未だ林道歩きは登りで2kもあるので景色を見ながら。



再び、川沿いの軽い登り道を進む。この川にはこんな丸太造りの堰堤が多い。
切り出し材の有効利用なんだろうか? 倉渕の竜ヶ岳への途中でも沢山見た
記憶がある。



退屈しのぎにカーブミラーに自分を写して。



1kの道標を過ぎたのが11.16、1.5k道標では11.32、ペースはガクンと落ちている。



右斜面に何時も見るブルーの紐がひらひら、地形図上の952m地点を通過して
行くならこの辺が入り口かな。



だが、斜面は崖状で爺イなどの行くところでは無いので尚前進。



やがて崩落地点に差し掛かる。大小の岩が路面に転がっている。さてはさっきの
ゲートでの通行差し止めはこの崩落のためだったかな。
だが、2009-2のMHC会員さんの記録では林道末端まで車を乗り入れたとあるので
崩落はその後の事かも。





今にも落ちてきそうな岸壁の下を足早で通り抜け。



漸く2Kの道標、矢張り平地の二倍もかかって11.45。



林道は未だ先に伸びているが、末端はもう直ぐ先のはず。



ここが予定した地点なので斜面を調べると急斜面に入り込めそうな筋が二箇所ある。
その一つに再びブルー紐と樹幹に赤ペンキ。目でルートを探すと何か薄い摺れ跡も
ある感じなので思い切って登りだす(11.49)。



斜面はきつい登りだが下地は柔らかくて靴のエッジがしっかりと食い込み、掴まる
雑木も多いので左程難しくは無いが斜面登りにしては何しろ距離が長い。
帰路に備えて赤テープを付けながら行くが何時もの悪い癖で尾根の低いほうに
逃げながら漸く稜線に到着(12.18)。稜線は見た目にもはっきり急登の連続。



ゆっくりペースで一本尾根を進むが前方は際限の無い登りに見える。
ややゲンナリした時、
左への脇道を発見して少しでも楽をしようとして入り込む。これが本日最大の失敗で
途中撤退の元になった。あとから考えれば、途中のトンガリ突起や岩場を抜ける
脇道は有効だが、このルートのように急登巨大尾根に脇道などある筈もなく
あるのは水平か下降の獣道なのに(12.35)。



それでもこの時は、ちゃんとした段付きで踏み跡もあるのでぐんぐん進んだ。
稜線が急勾配なのに脇道の勾配が緩すぎておかしいと気付いた時はあとの祭り。
岸壁に突き当たって道は消滅、上を見て愕然。とてつもない窪の途中へ
落ち込んでいた。
細道の足場ばかりに気を取られていたための失策。
位置を計測すると脱出のための稜線までは等高線8本、出だしと同じ程度の
厳しい斜面登り。
直登は無理なので等高線6本の方角に向かって戻り気味に斜め登り。
気息奄々、疲労困憊で稜線に復帰。馬鹿馬鹿しくもさっきの脇道入り口から
100m来ただけ。

大休止の後、再開するが足が進まない。ここからの歩行距離が約400mは良いとして、
標高差が200m程度もある急登の連続が待っていると思ったら急に気力が萎えた。
気のせいか酸素の吸収も悪い。急いで気管拡張用のスピリーバを吸引。
少し、休んでいるうちに「80歳老人、吾妻で遭難」との記事にはなりたくないと
思い始めて本日は撤退に決めた。4kの林道歩きと窪から脱出が余計なことだった。
普通の人なら林道から約一時間で頂上に到達するというのに残念。

稜線を急降して往路でつけた赤テープから右折して林道に下降する。



林道着が13.28、遅い昼食をとり、十分休憩してスタートが14.00。
4kを下って14.46に駐車場、帰宅したら未だ阪神戦をやっていて2-0の完勝、
せめての慰め。





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