クタビレ爺イの山日記

諸先達の記録などを後追いして高崎近辺の低山中心に歩いています。

吾嬬山から薬師岳は撤退 H-26-10- 8

2014-10-09 18:34:10 | 中之条・小野上・みなかみ・沼田・渋川
今日は前回より又少し歩数を延ばすために「らいおんさん」で有名になった
トレランの「おーちゃんさん」のお膝元、中之条の吾嬬山と薬師岳。
但し、薬師岳は途中で余計なことを考えた末に疲労と時間切れで惨めに撤退。


r-35で槻ノ木、西進して原町駅手前の信号無し三つ角を右折、吾妻線を越えて
「御殿」信号直進。次の原町ベイシアの見える信号を右折し右に原町小、左に
大宮巌鼓神社をみてr-234(下沢渡原町線)に合流。

道なりに進んで山田地区で信号の無い四つ角を左折。右には1342年創建と伝わる
「善福寺」。ここの寺には県文化財指定で鎌倉時代中期の作と鑑定されている
「善光寺三尊佛」があると言う。12年に一回の開帳だから見たことは無いが
如来像を中尊として脇待として右に観世音菩薩、左に勢至菩薩が配されている
と聞く。



その対面には吾嬬神社。





その謂れを爺イの古いブログから再録すると
「関東の山の信仰の多くが日本武尊ガラミである事は「あずまはや」の伝承による
ものであるとは、論を待たない。第12代景行天皇と言えば神話の世界かも
しれないが、その第2皇子の日本武尊が吉備武彦などを伴って蝦夷討伐のため
東征した頃、群馬県は「上毛野国」と呼ばれ、北部山岳地帯は「上野(ウエノ)」
と呼ばれていた。ここに「上妻姫」という絶世の美女の娘を持ち、上毛野一の
富力を誇る上野長者が居た。
東征の帰りにここに立ち寄った日本武尊に対して当時の貴人への礼として
娘を差し出し歓待したので武尊は長期に滞在、娘も武尊の皇子を身ごもる。
別れの時、「吾妻姫と名乗るように」と言い残し「我妻や 妹背と契る言の葉も 
これぞ別れの形見なるらん」の一首を残す。
武尊はこの後、碓井峠に至って亡き妻の弟橘姫を偲び「あずまはや」と
三嘆するが不幸にも父天皇と再会する事無く病のため伊勢の国で没する。
但し此れは日本書記の話であり、古事記では三嘆したのは「足柄山坂本」
と書いてあるのだが。
姫の生んだ皇子は「大宮」とか「巌鼓尊」と言われて大切に育てられたと言う。
この尊を奉ったのがさっき通過した原町小学校の近くにある「大宮巌鼓神社」であり、
母の上妻姫が亡くなるとその霊は後ろの山に飛び去ったのでその山を
「上妻嶽」又は「吾妻嶽」と呼ぶようになった。此れが今の「吾嬬山」である。
そして麓の山田地区に上妻神社を建てたと言う。これは吾嬬山中腹の奥宮と
麓のこの吾嬬神社であるそうだ。 尚、大宮巌鼓神社は里宮で奥宮は四万の
「稲裏いなつつみ神社」である」と言うことになる。

神社前から川沿いの右岸を西進して橋を渡って左折して今度は左岸。間もなく
山田簡易水道前を通過。



三叉路、中之条園芸への道が右を指示しているが此処は迷わずに直進。
右への道を行けば北上して上沢渡でr-55(中之条草津線)にぶつかる筈。



この先は未舗装の悪路となり何となく不安になる田舎道。



特に駐車予定地の数百メートル手前からは草茫々で轍の跡が沈んでいるので
車の腹を擦りそうになったり周辺の草がボデーを激しく叩く。



漸く駐車場所の小広場に到着(10.01)。グレーの車が一台、先客ありだ。
左手には南に向かう林道があるがゲートは閉められている。



林道の表示は「蛇野(大竹)林道」。蛇野とは沢渡温泉の少し西の地区、大竹地区は
さっきの神社の近くの地域。



支度をして路傍のこの道標に従って走行してきた道を更に上に進む。この場所は
標高811m程度だから水平直線距離で僅か1kの吾嬬山頂まで370mの差であるから
年寄りには一寸きつい。



正面に鉄塔、峠からの登山道にある11号鉄塔から数えて8番目。



ほんの僅かの距離で左手に登山道入り口の道標。



入り口は草むら。余り利用されていない登山口は大方こんな程度だから別に
なんとも無い。



檜の幼木地帯の作業道が登山道兼用。傾斜はややきつい程度。



植林地が終わると小さな丁字路、この落下寸前のマークを右に切り替えして
尾根に向かう(10.17)。



かって2005-9頃、未だここが伐採中のとき、爺イがつけたもの。当時の姿。



急登の尾根を暫く登るとやや平坦の場所。この腐った木杭と白柱の所が「池の平」の
入り口。折角だから寄り道(10.40)。



林の中は何処を歩いても良いが右の崖すれすれに踏み跡があるので西進。
歩行6分で見つけた池の平は残念ながら水は写真の右奥に僅かで完全に
湿原に化していた。



かってはこの写真のように満々と水があり、周りの木々を水面に映し出し
大袈裟に言えば「幽玄の世界」を作っていたのに。



がっかりしながらさっきの分岐に戻る。池から斜めにショートカットしても良いのだが
踏み跡が薄いので安全のために。



今度はこのマークの方向に林の中を進むが次第に傾斜が付いてくる。



進路の植林地はこんな具合。



やがて植林地を抜けると草地になるが踏み跡は極めて鮮明になる。



おまけに各色のマークが多くなる。



可なりの急登をこなすと前方に大岩のようなもの。近寄ったら岩の上に石宮。



手前に石段もついているこれが奥宮と言われる「奥の院」(11.16)。



表示は左サイドで降りてきた人に良く見える角度になっている。



奥の院の裏側から再び急登が始まるがマーク多数。



鉄塔との道との合流点。道標の「寺社平」とは沢渡の一地区。



南に回りこむように進むと又分岐の道標。「岩下」とは南の岩島駅近辺の地区。
もう、頂上は直ぐ目の前、南北に長い頂上台地の南端を目指す。



頂上に到着。沼田のN.G氏のものが樹幹に(11.45)。



三角点は三等で点名「上妻」 1181.47m。



真ん中に昔からの標識。



展望は北東が主だが少し霞が掛かっていて鮮明ではない。これは下沢渡方面。



鉄塔が見える近場はさっき通過した分岐辺りか?



ずっと東南を見ると薬師岳、974.5mと此処よりも200mも低いので小ぶりに見える。



台地の北端に何か表示物が在るかと思って行って見たが何も無し。戻って昼食。



本日の爺イ。後から二人の男性グループ、駐車場所に先行していた御仁たちで
早くも薬師岳に行ってきたとの事。暫し雑談。



十分休憩してこの看板に納得しながら下山開始(12.16)。



この分岐から東に向かって急降。



直ぐに歩き易い尾根道。



このマークでやや左によって進む。



赤ペイントが擦れているが矢印に見えるからこれも道標?



尾根道から右に少し外れて鉄塔が見えた。



近寄ると「11」の数字が読めるのでこれが目印の第11号鉄塔(12.35)。



尾根道を其の侭行っても管理道に繋がるのだが折角だから鉄塔の下を潜る。
鉄塔の出口に赤杭、若しかして珍品ゲットかと思ったら刻字は「東電」



極く短いプラ段を下るとこの道標で作業道に合流して左折。



間もなくこの境界杭のようなもの、直進しても林道に出るが峠の南になるので
左折。



左に旋回しながらさっきの尾根道と合流して長いプラ段の道を下る。



そして林道に飛び出す(12.59)。峠の表示は無いがここの通称は「林道峠」。
出所は300山の概念図かな。名が無いから唯の林道の峠と云ったのかも。



野の花に見送られて薬師岳に出発。まさかこの後で撤退の憂き目を見ようとは。





入り口は何時来ても変わらぬ数メートルの草薮。



道中は稜線下や偶には稜線の上などを歩くが小刻みなアップダウンが多くて
年寄り泣かせだ。



地形図上の895地点で図根点さがし。ピークから左に進行するところから
右に外れた所で発見。コレクションが増えて満足。



東南に進んでいたルートが南に向きを転ずるところから大きな登りが始まる。
そこに右へのわき道風の分かれ道。尾根向かいの方向には目印が数個ついているから
ここは右は駄目のサインなんだろうが一度行っているのでつい脇道に入った。



最初は水平道で幅広で良かったが段々と獣道程度になり崩落場所も何箇所か。



こんな倒木に難儀したりして神経が疲れる。



だが、こんなマークの所で前方に明るいところが見えた。



やっと南北稜線に近づいたようで一安心(13.41)。



やっと稜線着。ここは南進が終わった本稜線が東に向きをかえるコーナーから
南西に派生する尾根。ここから尾根の東側を北上して本尾根に接近する。
接近してそのまま本尾根に戻れば何事も起きなかったのに踏み跡が
更に東に延びているを見てこれは探検に値すると入り込んだのが運の尽き。
道は水平だった。ここで地形図を確認していればここからの水平移動は
次の大きな南北尾根に沿って南に流されると分かったのに確認を怠った。
途中で大きな崩落地帯を必死の思いで通過しているので戻るのも危険と
思って其の侭。漸く南北稜線に着いたが本稜線は上が見えないほど
離れてしまった。仕方なくゆっくりと少しづつ急尾根を登る。



疲労困憊に焦りが加わってやっと着いた位置は薬師から直線で260m、
二つの90度曲がりがあるから推定歩行距離は370m、標高差70m。
時間は既に14.17。ここからのピストンを疲労も加味して1時間とすれば
駐車場所に帰着するときは薄暗い。で、ここで情けない撤退。



登り返しにブツブツと文句を垂れながら林道帰着(15.10)。



直ぐに約2.5Kの林道歩き。峠の標高が894m位なので終着の815m地点までは
幸いにして全行程軽い下り道。本日の敗残兵。



見覚えのある大岩通過。



そして何とか無事に駐車場所に到着(15.42)。帰宅前に点燈走行だった。
18.000歩。



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