クタビレ爺イの山日記

諸先達の記録などを後追いして高崎近辺の低山中心に歩いています。

高崎の伝説・和田の三石 H-18-6-27

2006-06-27 19:48:58 | 伝説・史跡探訪
高崎に「和田の三石」という伝説がある。現物があるのでお話だけの
ものではない。ところが資料によってその記述が違うので困ったものだ。
この三石とは「和田の立石」・「上和田の円石」・「下和田の方石」
の事。その記述記録とは「高崎の名所と旧跡・田島武夫」と「上州の史話
と伝説・根岸省三」における相違である。「和田の立石」が高崎神社に
あると言う事は一致しているが、「高崎の名所と旧跡」では「方石は
下横町・佐藤病院敷地内、円石は成田山・光徳寺と元紺屋町・善念寺
にあり」としているが「上州の史話と伝説」では「方石は成田山、
円石は所在不明」としている。
天候不順の中、これらを一巡して見て来る事にした。
(1)「和田の立石」
先ず、高崎神社内に置かれている「和田の方石」を尋ねた。その昔、
この石は赤坂の木戸口にあったという。赤坂の木戸とは赤坂が中山道
街道筋の西の入り口であった事による。和田氏の築城、井伊直政の
改修でも名石と言う事で使われなかったという。その後、赤坂観音堂
に移ってから東隣の高崎神社に落ち着いたといわれる。神社境内の
右側に名石の表示と共に見られるが周囲の植木に邪魔され、目立たず
地味である。雑談した宮司さん、慌てて植木屋さん開業。
又、「大師石」とも言われるのは全国にある弘法大師伝説の一つであろう。

(2)「上和田の円石」
高崎神社から少し戻って「成田山・高徳寺」に向う。上和田の畑中に
あった言うこの石は築城に使われなかった事は「立石」と同様。
かって善念寺の門前橋に使われていたものを明治の初頭に土屋老平氏
が買い取り、この石を父親の「武居世平」の碑文として建立、成田山に
置いた。この時、石は2面に切られており、その一面は善念寺庫裏脇にある。

(3)「下和田の方石」
古い「高崎志」に「前菜町紅雲寺の南畑の中に方石なる石、屹然として
立る是也」とあるが前菜町とは今の「下横町」であり、畑の中と言うのは
今の「佐藤病院」の敷地内。
頼政神社訪問の足を伸ばして佐藤病院へ。佐藤病院といっても柳川町では
なく若松町との境にある内科病院である。石は正面入り口の右隅に何の
標識も無く置かれている。せめて高崎神社での立石並の処遇をして欲しい
ものである。勿論、市の教育委の仕事とは思うが。

(4)「上和田の円石そのニ」
再び戻って「元紺屋町」の細い小路を辿って「善念寺」に向う。真新しく
改修されているが井伊直政築城前からある由緒ある寺で「観応の青石塔婆」
がある事でも有名。寺内の築山近辺には同様の石が多くで判別できなく、
家人に聞こうとしたが留守だったので多分此れだと思われる石を撮って
引き上げ。

この散策と同時進行で内村鑑三の史跡を尋ねたが、其れは別稿。

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