公的な相談機関は「やってますよ」という証明が必要。民間の相談機関はビジネス。どちらも費用は同じだが、前者は税金で運営されていて割安に見える。どちらも障害者の立場ではなくお客さんとして接する。理解のあるなしは二の次?
— Baba Akira (@ganbarujan) 2017年10月25日 - 06:58
お任せではなく… twitter.com/i/web/status/9…
当事者本人がこういう気付きを持っていると、周りの人間だけではなく本人にとっても生きるのがずっと楽しくなるだろうね。
— Baba Akira (@ganbarujan) 2017年10月25日 - 07:13
支援者としても、そういう接し方をしたいね。 twitter.com/1luvAsami/stat…
オラも聴きたかったな。そういう心掛けができる当事者は自分にとっても幸せなこと。
— Baba Akira (@ganbarujan) 2017年10月25日 - 07:24
事象は同じでも受け止め方で判断は大きく変わる。時には真逆にもなる。
挨拶や会釈自体には特段意味はないが、言わば社会を円滑にする潤滑油。出し惜しみする理… twitter.com/i/web/status/9…
この言葉「いただき!」です。「〈すみません〉を〈ありがとう〉に!」
— Baba Akira (@ganbarujan) 2017年10月25日 - 07:43
今は昔風の遠慮や謙譲はあまり通用しないと思うべき。腹芸より率直な言葉が大事。
「つまらないものですが…」より「これとっても美味しかったの。お一つ如何かと…」
人は… twitter.com/i/web/status/9…
これ、銘記。ありがとう。基本的な認識として。
— Baba Akira (@ganbarujan) 2017年10月25日 - 07:56
でも、固定的には考えない。すそ野の広がりや状況との兼ね合いもあろうから。 twitter.com/michisign/stat…
考えられない出来事!
— Baba Akira (@ganbarujan) 2017年10月25日 - 08:06
事情は分かりませんが、思いやりがあるなら返してあげて!(届くといいな!) twitter.com/okayu_400/stat…
国民主権が本来の姿なら、候補者の一方的な話を黙って聞くというあり方はおかしい。多様な住民の声を聴くことこそ政治家の基本姿勢であるべきではないのか?
— Baba Akira (@ganbarujan) 2017年10月25日 - 08:15
これは「お願い」ではなく、政治家を選ぶ際の判断基準の一つとすべし。それでなければ、… twitter.com/i/web/status/9…
「客観より主観が優先してしまう教育現場」…人治が優先する小規模校だから、教師の「声の大きさ」で生徒を支配する学校空間があったように見える。
— Baba Akira (@ganbarujan) 2017年10月25日 - 22:15
しかし、ここにはそれを住民が良しとする地域風土があったようにも見えるのだが。
news.livedoor.com/lite/article_d…