教育落書き帳

教育とは何か…子どもの視点を尊重し、親、伴走者、市民の立場から語ります。子どもを語ることは未来への信頼と希望を語ること。

<I am different.>(私は違う)をどう思いますか?---<不登校>を生み出す日本の教育風土

2014年05月10日 | 日本の教育
伝統的な灰汁巻き(チマキ):きな粉と砂糖で食す
一般のチマキと比較すると随分大きい。孟宗竹の皮で包む

I am different.>(私は違う)をどう思いますか?---<不登校>を生み出す日本の教育風土

▼ある方が、ツイッターで自分の子どもがアメリカの現地の小学校の1年生でいた時に(私は違う)という授業があり、みんなが自分の違いを次々と喜んで発表し合っていたという記事を流した。アメリカにももちろん人種差別主義者はいるが、同時に「みんな違ってみんないい」という風土があるというような趣旨。それは同質性を強要する日本社会に対する批判ともなっていた。それについて様々な人達が色々な角度から意見を出し合っている。で、ちょって覗いてみた。

▼「それは面白い。日本でもやってみたい」という人や「日本ではあり得ない」という人も。香港の幼稚園でまだ小さな自分の子どもが同じような経験をしたという方の声も。また、ある講演で日本の小学一年生の教科書とアメリカの小学校一年生の教科書を比較検討した話を紹介し、日本では「みんな同じ」、アメリカでは「みんな違う」と書いてあると紹介する人も出てきた。
 一つの意見に集約せず様々な意見が飛び交うところがツイッターのいいところかも。

▼「みんなと同じになりたい」と「自分だけ目立ちたくない」とは同義かと問いかけ、日本では「出る杭になるな」を推奨しているのかなと、日本の学校教育に疑問を投げかける人がいた。それが「あなたは私と違うから認めない」という差別主義者の考えに繋がると他の人が受ける。自己肯定感が低い日本で苦労して大人になったという人も同調する。
 ある人は、「実際にはみんな違っているわけで、それを認めることが必要ではないか」と言い、「違っている」とか「同じ」とかではなく、その存在そのものを認める姿勢が大事という考えだ。
 これらツイッターへの投稿から、結論めいた形のものをあげれば、どちらか一方が正しいとかお勧めということではなく、「どちらもレスペクトされていい」となるいうことになるのかもしれない。

▼これらのツイッターでのやりとりから日本社会のある特殊性が浮かび上がる。一方はアメリカ等の大陸的な風土であるのに対し、日本の場合は島国的精神風土、閉鎖的な緻密性などが特徴だ。「日本は島国で、権力に従わなければ生きられなかった」とある人は言う。ただし、集団主義、同質性、単一性、村八分、形式主義や儀式---それは本当は幻想に過ぎないのだと

▼そう言われて振り返れば、正倉院の御物に見られるように日本の文化の多くが海外との交流からもたらされていながら、日本特有の文化風土は、平安時代や江戸時代に隆盛した国風文化に典型的に見られるように海外との交流を遮断したり鎖国状態に置かれた中で醸成されている。しかし、それらは内部からの要請で発展的に海外に開かれたことはなく、ほとんどが外部からの要請や侵入によって仕方なく門戸が開放されている。そして、海外との交流で日本は絶えず揺さぶられ翻弄され、時には激しく衝突している。日本は基本的に海外の国々と付き合い方を知らないのかもしれない。

日本は「みんなちがってみんないい」の金子みすゞが自殺しちゃった国だとある人はいう。学校教育には「みんなと同じ」を良しとする圧力がかかり、そこに息苦しさ感じる人達が出てくる。日本の子ども達は「どうやったら嫌われないか」を気にするが、海外の学校ではむしろ「どうやったら好かれるか」に心を向けるという。
 日本の小学校の教室の壁には、よく「話し方」のモデルが書かれている。参観日などでの子どもの発言でそれが披露される。「私も○○さんと同じ考えですが△△です」と言うように。それに親も教師も疑問を持たない。いや持っていても自分からは言い出さない。ここにも同調圧力がある。
 こういう風土から不登校が生まれ出るのは当然kも知れない。同調できない、同質性に染まらない、異なる意見を持っている---そういう子ども達はクラスに居場所を失い、学校を離れる。こういう教育風土であっるから、「どうやって国際社会での競争に勝ち残っていくのか」という日本の将来に対する不安が出てくるのも当然かも知れない。

▼「普通じゃない=イケてる」とされる国と、「私は違う」が良しとされても、クラス全体が「違うように頑張ろう」になってしまう日本という国と---その開きは余りにも大きい。日本では教科書などに載せてわざわざ「みんなちがってみんないい」なんて言わなければならない。だが、アメリカ等の国々では「いろんな人がいる(当然)」と、事実を淡々と述べるだけ。この差は余りにも大きいのだ。それが当たり前の風土になっていればあえてスローガンに掲げる必要はないのである。

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