表し記すこと、表し記したものの、あらわしかたを議論する。
表し方であり、表された結果である。
文字表記による表記史に文体の視点を持つと、日本語の文体史がわかる。
文体史とは表記体史のことであると、訓点語学の泰斗はみた。
ちなみに文学作品が言語資料であると、おおよそのことがわかる。
歴史書の、古事記には変体漢文としての漢文体、日本書記は正格漢文にも見られる漢文体である。
和歌の詞華集に、万葉集 . . . 本文を読む
ツーリズム tourism を、どうとらえるかという話になって、観光事業、旅行業などのビジネスと、また、観光旅行の意味合いがあるのかということになった。広くとらえれば、観光事業であることに対する、非営利目的の観光が含まれるようだ。ウイキペディアは、その違いを解説する。>使い分け
特に近年、「観光」という用語に物見遊山的な、あるいはビジネス的・事業的なニュアンスを感じる場合、あえて「観光」を用いず「ツーリズム」という用語を充てることも増えてきた。原義であるtourは、ろくろで回すという意味があるとされ、そういう意味では「周遊」に近い概念と言える。ただ、今日では「ツーリズム」は、「観光」とイコール、さらに広義では業務も含む「旅行」そのものと解釈されている。 . . . 本文を読む
ぼかしコトバを取り上げた国語に関する世論調査は、使用頻度が15年前より増えているという。9月17日、文化庁による。ぼかし言葉は、だれがそう呼ぶのか。みたいな、の言いかたを指し、若い世代に増えているというのだ。その場の雰囲気を壊さないように断定することを避ける風潮から生まれたと、新聞記事。ぼかしは、暈しとかく。動詞、ぼかす にすると、その意味内容は >ぼか・す[動サ五(四)]
1 輪郭や色の濃淡の境目をきわだたせないで、ぼんやりさせる。「―・して描く」
2 意味や内容をはっきり言わずぼんやりさせる。表現をあいまいにする。「肝心な点を―・して話す」
[可能]ぼかせる となる。日本画で、色を濃い部分からしだいに薄くしていく技法、色を次第に濃くしたり薄くしたりして陰影をつけるもの、とある。暈し言葉は、あいまいにする、はっきり言わない、ということではない。染物にある、ぼかし染めは、伝統にある、日本独特のものとなるから、その暈し方は絶妙である。 . . . 本文を読む
日本語表記法は正書法と比べて文字種に合わせた書き分けがある。正書法が正書であるゆえんは文字種による制約を持たない、あるいは一つの文字種についての発音表記を決めることにあるようであるから、言葉における発音と表記を一致させるものであった。日本語発音は、したがって、一つの言葉に表記を充てる、まさに仮名文字と漢字を用いてかき分けることをするので、正書法と異なる、表記法が求められることになる。文字種ひとつに発音が対応する書き分けは、書記者によって漢字を充てるか、仮名文字を用いるか、その書き方が異なることを許容している。言葉 について、ことば と書く、コトバ と書く、その表記法には正書法とは異なった書き分けがある。言葉に漢字を充てる、仮名文字を用いる、ひらがなか、カタカナか、それについての書き分けの規則は原則がつくられているが、発音を音韻に基づいて仮名表記する場合の音対応が定められているのをもとにする。その書き分けは現代仮名遣いとして定着し、日本語の正書法と言えるのは、仮名遣いをもとにした表記である。カタカナは外来語発音をかき分けることになるので、日本語音韻としての原則に外れる書き方が現れる。 . . . 本文を読む
表記はその行動を議論する。
いま国名をどのように書くか、その表記を対象にする。
日本、にほん、ニッポン、Nipponn と、いずれも、書き分けることがある。
それは、やまと を、大和と書き、日本と書いたようなことである。
倭であるし、いっぽうで、山門である。
一つの語、ことについて、いくつにも書き分ける、言い分けることができるのは、日本語の学びである。
名辞でいえば、一つのこと、また、モノに . . . 本文を読む
ぎしょ、たわむれがき、ざれがき、と言葉を見る。
戯書を中国語としてはおかしい、日本語の造語と見る、というふうに、香坂順一氏の言及がある。
たわむれは、言葉の遊戯である。
ざれ書きは、てなぐさみである。
九九による表記が戯訓としての興味をもたせるが、それを中国伝来とした説明がある。
古代人に算数の知識があった、それをまた、言葉に応用したのである。
また、次のような和語の読みもある。
左右 二手 . . . 本文を読む
凡そ55年前の記憶である。長い時間の経過がある。未だそのころのことを覚えているか、心許ないことである。脳の記憶は上塗りされて自身の能力に、記憶違いを起こすこともありそうだが、それは正しい記憶によることのようで、ひとたび覚えれば、それは脳のどこかに仕舞い込んでしまっている。漱石の愛読は中学校2年生になる。夏目漱石全集を読んだ。全集読みを始めたのは、亀井勝一郎の影響だった。未だラジオで学ぶようなことで、その読書論に傾いた。それは小説から詩集、評論に至るまで、全集で読むことをした。さきの記憶という点では、それを取り出すのに時間がかかる。新聞の連載を読んで、やはりあの時の、吾輩に、坊ちゃんに、それをはじめとして、そしてこの期の、心にしても3部作にしても、思春期に這入る少年に小説が与えた影響は、いまも判然することがある。いまも、長い時間かかっての、漱石の用字と文体に馴染んでしまったこのかた、文章は替わり映えしないが、そのルビに、通行字体の漢字で奇妙さがあるものの、これで漢字をよく覚えたことだったと、懐かしい。 . . . 本文を読む
漢字を日本語でどう読むか。古代日本語で漢字に訓読みをあてた、その用字法である。ただし、正訓にしても漢字の字義に日本語の読みを正しく充てるのであるが、それははまた、漢字文字を日本語発音にしていたので、用字という捉え方になる。そこから、のちに草仮名の文字になる、まず万葉仮名が工夫されるようになる。義訓には、日本語と漢字の文字の意味が対応するが、正訓ではないものがあるので、その用字法を言った。正訓に対して義訓が現れるのは、万葉集の歌謡に文字についての意識があり、記録者に修辞として現れたと考えてよい。読み、訓み、詠み、というふうに、文字を充てて意味をとらえようとしたのである。漢字と日本語読み、漢語に相当する日本語、そのようなとらえ方をして、そのうちに、ことばの遊戯とした用字をする、戯書があった。 . . . 本文を読む
渡御、出御とある。
お出ましである。
神輿にある神、あるいは天皇、三后の旅行である。
行幸と言った。
后位は朝廷で天皇の配偶者、母、祖母を、太皇太后・皇太后・皇后のことである。
神輿は何を担ぐか、社祭礼でご神霊の憑依したものを担ぐ。
神輿、船など、巡幸する。
神輿による神輿渡御、陸渡御また船による船渡御、海中渡御がある。
お旅所に宿がある。
>①神輿などに神霊を移す神事 ②神社から御旅所 . . . 本文を読む
漢字の日本語読みを意味内容とする。字音は漢字音とする。字訓の関連キーワードに、> |仮借 |訓読 |転注 |音仮名 |音訓 |訓 |訓仮名 |訓義 |国音 |国訓 などを挙げる。白川静の漢字研究の成果に、書名として、字訓がある。日本大百科全書(ニッポニカ)の解説より。 >訓
くん 漢字の原義に対応する日本語で、それがある程度固定化したものをいう。本来は、漢字のもつ意味、字義をさし、字義を解釈すること「訓詁(くんこ)」をも訓と称したが、さらに転じて、日本における漢字の読み方のうちの一種をよぶようになった。たとえば「山」についていえば、「やま」がその固定化した日本語にあたる。漢字を中国語の原音(またはそれに近い音)で読んだもの、すなわち音(おん)(字音)と対立するもので、字訓、和訓ともよぶ。 . . . 本文を読む