日本哲学16
考える 思う 明らかにする 字通の同訓異字を参照する。考には考較の意がある。校勘、勘契。次に、思う。心におもい、判断する意。
字通【同訓異字】
かんがえる
攷 考 校(〓) 核(〓) 較(〓) 覈 思 按 案 勘 察 稽
攷・考は〓(こう)声。古く〓・考は亡父の称に用いた。攷・考khu、〓ke〓k、〓k〓k、〓・覈ke〓kはみな考較(こうかく)の意がある。字の初義からいえば、攷を本字とすべきであろう。思は〓(し)声、思案することをいう。【おもう】の条参照。按・案(あん)は同義に用いるが、按は按撫、案は机案を意味する字である。勘(かん)は〔説文〕十三下に「〓(かんが)ふるなり」とあり、校勘・勘契のように用いる。勘kh〓mは甘kam、鉗giam系の語であろう。合うところを求めて箝入する意。察は〓中に祭って神意を問う。【あきらかにする】の条参照。稽(けい)はもと〓に作り、祈って神霊を迎え、これを拝する形。金文に「〓首」という。【いたる】の条参照。
おもう
以 為(爲) 謂 存 念 思 惟 意() 憶() 想 慕() 懐(懷) 顧()
以ji、爲hiuai、謂hiutは声近く、みな「おもう」とよむ。心におもい、判断する意を含む。存は在ることを確かめ、明らかにする。【あきらかにする】の条参照。念は今声、今は爪のある蓋栓(がいせん)。うちに深く思いこむ意。思は(し)声、は頭脳の象形。思惟すること。惟(い)は発語として用い、古くは隹を用いた。おそらく鳥占(とりうら)で神意をはかり考える意であるらしく、金文の発語に「隹(こ)れ」「唯(こ)れ」のように用いるのは、神意によってことを述べるという意の発想であろう。神意をはかりみることを「惟う」という。は(音)声。は言(祝詞の器)に対して、神の「音なひ」を告げる音を発する意。は神の「おとなひ」「おとづれ」で、その神意をおしはかることをといい、後になって思い出すことをという。想は相(すがた)によって思う、それを想像することをいう。(ぼ)は(ぼ)声。金文には(ぼ)を「慕」「大慕」のようにいう。はおそらくもと神に(はか)る意で、もと神威を慕う意。思慕の意はその転義であろう。懷は(かい)声、は死者の衣中に(なみだ)(涙の象形字)を垂れる形。死者を追懐することをいう。は(こ)(雇)声。は神棚に鳥の居る形で、鳥による卜いをいう。はそれを拝する形、神意を顧念する意。人の心意は、多くはもと神意を思いはかることにあった。
あきらかにする
在 宣 照 察
在はそのありかたを問い、あきらかにする意。字の初形は才(標識)に祝告の器((さい))を著けた形で、地霊のある所を示す。のち士を加える。士は鉞(まさかり)の形で、清める意。ものを清め明らかにすることを原義とし、在察という。宣は宣室・宣のように用い、宣室では獄訟、宣では射儀が行われた。その清明をあきらかにするという意があるようである。照は日照。察は中の祭事で、祭事によって神意を承け、ことを明らかにする意。