語とは語ることであると、わたしたちの祖先は漢語に学んだ。文字を受け入れて漢字を訓じ、言は言うことであるとし、言語は、言い語ることとし、口から出る音すなわち、ことばを指示した。言語のままに、語言とはならなかったが、語は、ことば自体をとらえる。その語る内容をやり取りする。語はことばの全体となるが、語り合うと双方を示す語となる。日本語はこの語の変遷で話すということばでとらえるようになる。
語は言語のことであり、ことばの総体である。したがって語を見ることはそこにあらわれた言語現象を捉えることである。言は言い、語は語るのである、その語にまず現れたのは辞である。いまも辞書なり辞典となる。次いで詞があり、この詞には歌のことばを捉えた。漢詩は語についてことばの現れとみたものである。詞は語の具体的な一つ一つとなった。その詞は、ことばを素材として表す。
詞と辞とは、ことばの現れとして同じように見え、日本語は、辞を日本語の言葉遣いに、詞を漢字の文字づかいに見て、歌詞を表し、それを受け継いで日本語の言葉遣いに及ぶ。そして詞を日本語のことばとして、品詞の訳語を当てて現代に至る。辞は、一方で、ことばの性質と働き、役割に求められるようになる。