>2006026 陸自撤収
カテゴリ:思い遥かに
雨が激しく降った。
西の地方では大雨となった。
気温が下がって、肌寒い。
寒暖の差がこたえる、と言っても、油断をしたら、のことだ。
自衛隊の撤収が始まって、撤退とどう違うかと、かつての用語をおもう。
首相の命令が出て撤収が始まる、ただの一声だったから、軍隊の規律とすれば、そういうものかと考えている。
3軍を率いる長の役割は、今回の陸自の作戦にみられるように、命令の発動がどこからあったかを思い知る。
クゥエートまで450キロを軽装甲車は民間の輸送車に積まれて一気に走りぬけたようだ。
>源語輪読会から
2006年06月26日23:4
モノガタリは54帖を数える一続きを
現存の冊数としている、巻名は54あるが1冊は物語がない
省筆といわれる、伝えられる雲隠れの巻名である
なぜか、巻名があり、ストーリーはない、作者がそうしたか
人々は50余帖の源語を確かめた、大部に冊数であるから
ひとつ、ひとつを数えたてたろう、長編の巻は分冊にした
巻物であった書物の携帯は、すでに帖付けにされていた、綴帖のものであったろう
更級日記の作者は五十余と記している
巻に秘められた、その名の由来には、作者はかかわらないと見る
桐壺は局の名として、桐壺更衣と呼ばれたから、物語りを人々がそう呼ぶとしている
この巻にはプレリュードの趣で奏でるストーリーがある
プレテクストに長恨歌を、さらに、そこには伏線を多く持つ、予言をする相人と、耀く日の宮が登場する
賜姓源氏であるがゆえに源氏の物語りとなる
光る君とコマウドが名づけたと、桐壺の巻末には、語り伝えたるとや、とある
ここに相人として登場した高麗人と同一とは限らないとの注釈がつく
渤海国使ではないのか、どうしてこの注がつくか
語る人は若宮の見事さにあきれてしまうと表現をする
語りの文、地の文を交互に、巧みに評を入れる、と読み進むのがよい
そこで語る人がいて、そう語ってきたと伝える、と聞き、それを書き記すのである
むかしむかしのことさ、そういわれてきたものさ、と
テーマはなにか
仏教の因果律に支配された男女の愛を語る、その愛の葛藤の物語である
作者はそれを許さない、と思う
日本古典文学の本質は世間人間、せけんにんげんにある
中国文学はと、はて、政治ドラマか、官吏登用にまつわる
西洋文学は、はてさて、そのくくりには、英雄の叙事詩にある
アメリカ文学には、はてさてこれまた、開拓精神か宗教の新天地か、奴隷による人種差別か、とかなんとか
源語にはスケールがある、親子、そして次代へと世代を渡る物語となる
時間の軸に歴史を捉えようとする視点と紀伝体の様相に
空間の展開には地を離れ海を越え、唐にも思いを馳せる作者の想像力である
じんかんの、人間と書くべき語り、世話である
主人公は1人と決められるか
主人公が2人いて、それでいて1人というのは如何
主人公は複数いる、すると、主人公は人間の愛である
男主人公、女主人公とも言い慣わす、その捉え方は、そもそも英雄を描く、英雄譚ではない、世間にあること、あってはならないことである
源語をかたるムズカシさは大人の愛の諸相だからである
コメント
2006年06月27日 21:42
藤原定家の『明月記』には、元仁2年11月から家中の小女らに「源氏物語五十四帖」を書き写させて、前日に表紙を付け終わり今日外題を書いた、とある。
また『原中最秘抄』の行阿の奥書にも、彼の曾祖父光行から四代に渡って伝えた『源氏物語』は五十四帖だ、と書かれている。
「ひかる源氏の物語五十四帖に譜ぐとして」という『更級日記』の伝本があったことが、了悟の『幻中類林』の総論から知られている。
そして『更級日記』の作者菅原孝標女は五十余帖と記している。
五十四帖か、五十帖か。
雲隠を一帖に加えるのか。
その真偽は今のところ謎といって良いのでしょうかね。
日本古典文学の本質は世間人間―せけんにんげん―。私も、例の国語塾の恩師からそう、うかがいました。私もそう感じています。ただ、彼女は世間人間の中からもっと限定したあるものを指しました。それはまたどこかでお話することにします。ここではとても書けません[NG]笑
コメント
p2006年06月28日 01:10
伝えられた本文は54である。雲隠れを含む。
活字本にしている54は凡例をよく読んでみる。
>五十四帖か、五十帖か。雲隠を一帖に加えるのか。
謎はない。五十帖というのは、もとよりわからない。
定家が諸説の根源?であるとするなら、
>今日外題を書いた
と言うのは、何年何月何日のことか、明月記を読んでみなければなるまい。
注釈書の年代を西暦ですべておさえる。
そこでおどろく、なにを!
↑めをさます
世間人間、セケンじんかん、とする。
人間は、何の意味かな。
世界とは、どういう意味か。
紫女は、
>世間人間の中からもっと限定したあるものを指しました。それはまたどこかでお話することにします。ここではとても書けません[NG]笑
世の中に書けないものはない、秘密にするべきは何もないと、とても書けないのは、もともと何もない、ということを、源語で示した、それこそが日本文学の真髄である、冷静に物語が示すところを知ると、見えてくるものがある。