現代日本語、その現代はいつごろのことと、いまのことだよと答えてはたして、どうでしょう。ふるくお話には、今は昔と書き始めた物語は、今はもう昔のことになりましたと語りだしたものか、昔のことを語るけれどその昔を今のこととして言おうとしたのでしょうか、むかしむかしのそのむかし、大昔のことと言えば、いつごろのことを指しているのか、こんがらがってきますね。日本語を教えていると、いまについてはいいですが、むかしはいつごろのことと、聞かれたりします。どうこたえるか、それは10年ひと昔で、昔々は100年で、そのまた昔は1000年ということになりますよと、真顔で答えたりして、良かったでしょうか、いい加減なことでした・・・
日本語の感覚で現代という言葉をどうとらえるかは人それぞれでしょう。昔が10年ひと昔ならば今はそのあとということになります。この時間のとらえ方は、そのようなところだろうと思っています。だから、ふた昔前となると、10を数倍にして、数十年つまりは2、30年から5、60年でしょう。
歴史の時代区分では、今は、近代のはずですが、それは明治維新の近代化を遂げたとする画期を今までとらえるからですが、おおくは二次世界大戦以降の、占領時代を超えて続いたと思われる時代感覚で、現代とすることがあります。それももう半世紀上、60余年となりました。近代化の区切りはやはり戦争を経験して社会変化を迎えた現代は、近代と区別されるようです。
しかし、説明にあるような、現代をとらえると、ふた昔のことになるのでしょうね。
>現代(げんだい)は、その時代が言及される時点において、現に今、進行している時代である。
1.時間の一時点としての現代。→現在
2.歴史の時代区分の1つとしての現代。→現代 (時代区分)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8F%BE%E4%BB%A3
それを少したどると、現在は次のようです。
>現在(げんざい、まれに見在の表記も)とは、一般に過去や未来と対になる概念を言う。この用法で使うときには「今」という語に置き換えることができる場合も多い。
また、広義では近い過去(最近)や近未来も含んだ幅のある時間を指す。
時代区分によると、現代は次のようです。
>アジア史では、概ね1945年9月2日の大日本帝国の降伏(第二次世界大戦終結)を境にして、「近代」と「現代」に分けられている。
>ヨーロッパ史では、東欧革命を境にして「近代」と「現代」を分ける見方が増えている。
>軍事史では、大量破壊兵器と無差別大量虐殺を特徴とする戦争の時代が、「現代」と見なされている。この場合、第二次世界大戦以後が「現代」と見なされている。
>美術や建築やファッションなど文化の歴史では、購買者たる大衆が文化の担い手になっている時代が、「現代」と見なされている。この場合、第二次世界大戦終結後が「現代」と見なされている。
この中では共通するのが第二次大戦後というくくりでしょう。
さきの、現在に、ケンザイと同じく読む習わしですが、見在の、語の指摘があるのは興味のあるところです。日本国見在諸目録というのがありました。現存するものというほどの意味だったのでしょうが、今からすると書目が記録されていたことが重要となりました。
>世界大百科事典 第2版
日本国見在書目録の用語解説 - 藤原佐世(すけよ)の撰になる日本最古の漢籍目録。1巻。891年(寛平3)ころ成立。〈見在〉とは現存の意で,当時日本にあった漢籍の目録であるが,一部国書が混じる。
はなしがそれてしまいましたが、現代日本語の現代とは、いつのことでしょうか。
現代は、いま、進行しているとすれば、現代とはこの時点を含んでさかのぼること、ごく近い時期となり、そのはばは、どれくらいかと想像すると、たとえるなら、目に見えるくらいでしょうか。
夢か現かと、これは、ゆめうつつ、のことで、その夢見ごこちに対して、この語を日本人の祖先は、うつつ、ととらえ、目の前に存在しているものと、とらえました。
昔々が100年前ならば、今からさかのぼって、明治のころでしょう。
現代がここひと昔の10年ならば、平成時代を10年過ぎてやってきた21世紀のことでしょう。
現在に生きる言葉を現代にとらえるのは、もうすこしさかのぼって、30年くらいでしょう。
日本語の感覚で現代という言葉をどうとらえるかは人それぞれでしょう。昔が10年ひと昔ならば今はそのあとということになります。この時間のとらえ方は、そのようなところだろうと思っています。だから、ふた昔前となると、10を数倍にして、数十年つまりは2、30年から5、60年でしょう。
歴史の時代区分では、今は、近代のはずですが、それは明治維新の近代化を遂げたとする画期を今までとらえるからですが、おおくは二次世界大戦以降の、占領時代を超えて続いたと思われる時代感覚で、現代とすることがあります。それももう半世紀上、60余年となりました。近代化の区切りはやはり戦争を経験して社会変化を迎えた現代は、近代と区別されるようです。
しかし、説明にあるような、現代をとらえると、ふた昔のことになるのでしょうね。
>現代(げんだい)は、その時代が言及される時点において、現に今、進行している時代である。
1.時間の一時点としての現代。→現在
2.歴史の時代区分の1つとしての現代。→現代 (時代区分)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8F%BE%E4%BB%A3
それを少したどると、現在は次のようです。
>現在(げんざい、まれに見在の表記も)とは、一般に過去や未来と対になる概念を言う。この用法で使うときには「今」という語に置き換えることができる場合も多い。
また、広義では近い過去(最近)や近未来も含んだ幅のある時間を指す。
時代区分によると、現代は次のようです。
>アジア史では、概ね1945年9月2日の大日本帝国の降伏(第二次世界大戦終結)を境にして、「近代」と「現代」に分けられている。
>ヨーロッパ史では、東欧革命を境にして「近代」と「現代」を分ける見方が増えている。
>軍事史では、大量破壊兵器と無差別大量虐殺を特徴とする戦争の時代が、「現代」と見なされている。この場合、第二次世界大戦以後が「現代」と見なされている。
>美術や建築やファッションなど文化の歴史では、購買者たる大衆が文化の担い手になっている時代が、「現代」と見なされている。この場合、第二次世界大戦終結後が「現代」と見なされている。
この中では共通するのが第二次大戦後というくくりでしょう。
さきの、現在に、ケンザイと同じく読む習わしですが、見在の、語の指摘があるのは興味のあるところです。日本国見在諸目録というのがありました。現存するものというほどの意味だったのでしょうが、今からすると書目が記録されていたことが重要となりました。
>世界大百科事典 第2版
日本国見在書目録の用語解説 - 藤原佐世(すけよ)の撰になる日本最古の漢籍目録。1巻。891年(寛平3)ころ成立。〈見在〉とは現存の意で,当時日本にあった漢籍の目録であるが,一部国書が混じる。
はなしがそれてしまいましたが、現代日本語の現代とは、いつのことでしょうか。
現代は、いま、進行しているとすれば、現代とはこの時点を含んでさかのぼること、ごく近い時期となり、そのはばは、どれくらいかと想像すると、たとえるなら、目に見えるくらいでしょうか。
夢か現かと、これは、ゆめうつつ、のことで、その夢見ごこちに対して、この語を日本人の祖先は、うつつ、ととらえ、目の前に存在しているものと、とらえました。
昔々が100年前ならば、今からさかのぼって、明治のころでしょう。
現代がここひと昔の10年ならば、平成時代を10年過ぎてやってきた21世紀のことでしょう。
現在に生きる言葉を現代にとらえるのは、もうすこしさかのぼって、30年くらいでしょう。