言語記号と聞いて、わかるとすれば、言語学を知る人である。日本語の記号という観念はローマ字、ラテン文字のたぐいで、文字を記号と思う人はない。この文字に漢字を用いた日本語であるから、文字そのものは、コトバと理解される。そのように思えば、わたしたちにある言語の形には、漢字がある。その漢字を上げるのは仮名文字がある、混ぜ書きするからであるが、日本語音韻の捉え方に、仮名があるので、文字とは言葉の形となる。そう考えていくと、日本語になじまない言語記号を、言葉そのものと思うかどうかは、近代言語学を受け入れて、つくられる概念だからである。記号学、記号論の前哨には言語を音声形式でいう、音韻のレベルがあって、仮名文字の音節よりもさらに、いえば、レベルが細かな単位となる。したがって、言語記号は、日本文字で、ローマ字で書かれ、発音を示す、その発音が連結して記号になる、つまり語であるわけである。日本語の漢字は、言うまでもなく、おおくは語である。
言語記号と聞いて、わかるとすれば、言語学を知る人である。日本語の記号という観念はローマ字、ラテン文字のたぐいで、文字を記号と思う人はない。この文字に漢字を用いた日本語であるから、文字そのものは、コトバと理解される。そのように思えば、わたしたちにある言語の形には、漢字がある。その漢字を上げるのは仮名文字がある、混ぜ書きするからであるが、日本語音韻の捉え方に、仮名があるので、文字とは言葉の形となる。そう考えていくと、日本語になじまない言語記号を、言葉そのものと思うかどうかは、近代言語学を受け入れて、つくられる概念だからである。記号学、記号論の前哨には言語を音声形式でいう、音韻のレベルがあって、仮名文字の音節よりもさらに、いえば、レベルが細かな単位となる。したがって、言語記号は、日本文字で、ローマ字で書かれ、発音を示す、その発音が連結して記号になる、つまり語であるわけである。日本語の漢字は、言うまでもなく、おおくは語である。