戦後70年談話、安倍談話とこれから呼称されるのか、メディアはそれを扱いかねているようにも見える。ひとくちに50年談話、60年談話と言ってきても、それを時の政府の声明と見るか、談話そのものの評価が物差しとしてきめられてきてしまっているので、そのことの論議しかしない論議ばかりだった。ニュース番組で、あるコメンテーターが、この談話の内容にもりこまれたキーワードで、首相の作戦勝ちだなどと評する人もいたりして、世論に配慮し、与野党の意見を入れて、さらに自ら政府の宰相としての将来性を表明したものだとのとらえようであったが、たしかに、談話を踏襲しなければならない、それをそのときの政府によって受け継ぐべきであるとする、世論を含めた強い意見はこれからの在り方に、80年にも90年にも、そして100年にも、安倍談話は継承されることになるのである。このブログでもひとわたり、新聞社の主張を紹介してきたが、なかでも、真っ向否定の論調には首をかしげるものがあった。それをとりあげると、日本語の主語についての検証を試みる次のブログである。 . . . 本文を読む