読書など徒然に

歴史、宗教、言語などの随筆を読み、そのなかで発見した事を書き留めておく自分流の読書メモ。

時間に名をつける

2009-01-20 09:58:21 | 歴史

中国人は最古の王朝である夏の時代から時間に名をつけていたと言う。既に暦が有り、現在で言う二月の立春頃から歳が始まっていた。太陰暦の元の形である。孔子の手元にこの夏の暦についての文献が有ったらしく、有る時、孔子の弟子の顔淵が「国を治めるにはどうしたら良いでしょう。」と師に尋ねた。孔子は「夏の時を行え。」と答えたと言う。(「論語」から)暦は夏王朝のものが良いと言ったのである。夏の時代、年を数える単位は「載」を使った。この語は今、「千載一遇」と言う熟語に名残を留めている。宮城谷昌光著「歴史の活力」文春文庫から

どうでも良い雑談

2009-01-17 10:30:25 | 読書

刺身は切り身なのに何故、刺身?
魚の切り身は玄人で無い限り何の肴なのか判らない。だから昔の人は魚の尾や鰭(ひれ)を切ってその切り身に刺したのである。それで刺身と言うようになったそうだ。トリビア中のトリビア。

介護の介

2009-01-16 09:43:46 | 漢字

介護の介と言う漢字は、人が人を助ける形の漢字だと福祉関係の資格のテキストに書かれてあるそうだ。少し疑問に思ったので調べて見た。白川静氏の「字通」平凡社を使った。
この介と言う漢字は象形で身体の前後によろいを付けた人の象であると記述が有った。平凡社新書の「白川静」漢字の世界観 の中でも著者の松岡正剛氏もそのように解説している。同書216頁に甲骨文字で介の象形を示して説明されている。許慎の説文解字には「畫(かぎ)るなり」「界なり」として、かぎる意とするが介冑(かいちゅう)の介を本義とすると「字通」で解説されている。
①よろい、こうら②身を守るものでたすける③他と界して、へだてる、はさまる、さかい
などの意。「説文解字」には介声として芥、界など十八字が収められているとある。

ネコなで声とは誰の声?

2009-01-15 09:50:40 | 読書

ネコなで声とは誰の声か。近松門左衛門の「大経師昔暦」と言う戯作に「おおかわいやとねこなで声、にゃんにゃん甘えるめねこの声」と有り、もともと、ネコをなでながら人が出している甘やかしの声だと言う事だそうだ。「ネコ踏んじゃった」と言う歌があるがネコの声ではなく人の声だったのである。ついでながらネコが日本に来たのは奈良時代だそうで経典をねずみから守る為だったらしく、平安時代になってからペットとして飼われるようになったと言う事らしい。

漢字「幸」

2009-01-14 09:09:19 | 漢字

「幸」の漢字は白川静「字通」では象形であり、手械の形を示している。つまり罪人などの手にはめる刑具の形をしたものである。これを手に加える行為が「執」と言う漢字となる。説文解字に「吉にして凶を免るるなり」とし字を屰(ぎゃく)と夭(よう)に従い夭死免れる意とするが、卜文や金文に表れる字形は手械の象形になっている。これを加えるのは報復刑の意があり、手械に服する人の形が報である。幸の義は恐らく倖、僥倖にして免れる意であろうと説明されている。後に幸福の意となりそれを願う意となったと解説されている。

金田一耕介の始まり

2009-01-13 11:07:14 | 読書

戦時中、横溝正史は東京吉祥寺に住んでいた。疎開で岡山に行く前である。そこに戦争中の事であり、隣組と言うものが有った。その組織ごとに防空演習があり、男も女も借り出され訓練を受けた。その同じ隣組に金田一さんと言う人が居た。横溝はその人の名前は忘れたが、その人はいつもにこにこしていて穏やかな人柄であったと言う。聞くところによれば金田一京介の弟さんだと言う事だった。横溝は耕と言う文字が好きで山田耕筰の名を借りて山名耕筰と言うペンネームで物を書いていた事が有ったくらいだった。金田一京介を金田一耕介にしてしまったのである。後に横溝の長編、短編合わせて七十七作品にこの金田一耕介は登場することになり、思いもかけず有名になってしまったのである。横溝は勝手に大学者、金田一京介の名を変えたことに後ろめたさを感じていたが野村胡堂の通夜に江戸川乱歩と行ったときにその通夜の席で金田一京介氏に会った事があったが彼は金田一氏に羞恥心と後ろめたさで挨拶する勇気が出なかったと言う事である。金田一氏は通夜の部屋のちょうど対角線上の位置に居て、時々こちらを見てにこにこしていただけだったそうだ。さらに後、京介氏の息子の晴彦氏からは探偵金田一耕介のお陰で金田一と言う名が正確に読まれるようになり有り難かったと言われたそうである。その晴彦氏も今は亡い。横溝は昭和五十六年七十九歳で他界した。

一葉

2009-01-11 09:10:35 | 読書

樋口一葉は25歳の若さで亡くなったが老母やきょうだいの生計を支え赤貧だった。一葉という名は禅宗の祖達磨大師が一枚の葉に乗りインドから中国に渡り、悟りを得たと言う故事から達磨に手足がないことから、つまり貧乏でお足(お金)ないことに掛け自分を一葉と言った(本名は奈津)。

「総すかんを喰う」のスカン

2009-01-10 09:17:16 | 読書

麻生総理の給付金が総すかんをくっている。
「総すかん」のすかんは「好かん」で漢字で書くと解る事である。
下手な役者も総すかんを食い、大根役者と言われる。何故大根なのか?
大根はどんな食べ方をしても食あたりは起こさない、あたらないのだ。
下手な役者は熱演にも拘わらず客が入らず当たらないから大根役者と
言うそうである。

言語種>文字種

2009-01-09 09:30:46 | 読書

文字の種類が言語の種類に比べれば可なり少ない事は、言語は有るが文字の無い社会が有ったと言う事情も有る。日本なども平安中期まで大和言葉はあったがそれを表現する文字は無かった。隣国の漢字を借用していたのだ。このように一つも文字種で複数の言語を表現すると言う事が有ったからである。西ヨーロッパの諸国は英語、フランス語、ドイツ語、オランダ語、イタリー語、スペイン語などの言語を使っているが、それらの言語を表現する文字はアルファベット、或いはローマ字と言うラテン文字一種である。同様にロシア語、ポーランド語、ハンガリー語はキリル文字で書かれる。元は古代ブルガリア語に使われた文字で九世紀にギリシアの伝道師キリロスがギリシア正教の布教の為に福音書を翻訳するのに使った文字である。そのためキリル文字と呼ばれる。他にセルビア語、マケドニア語にも使われる。漢字と言う文字種は中国語、日本語、韓国語、そして以前はベトナム語でも使われた。このように一つの文字種で複数の言語が書かれた為に文字種の数より言語種の数の方が多いのである。

「男」と言う漢字

2009-01-08 09:04:17 | 漢字

「男」と言う漢字の成り立ちについて今も小学校などでは田で力を出して働くので男であると言うように教えられているのだろうか。阿辻哲次氏は岩波ジュニア新書「漢字のはなし」の中で『「男」は田と力からなる会意の文字で、「田んぼで力仕事に従事する者」の意味を表しています。農作業をする者という意味から、やがて一般の男性を意味するようになったというわけです。』と書いている。これは中国紀元一世紀後漢の許慎の「説文解字」の解説そのままである。田は田畑の事で解るが、力は何故、腕力の力を意味するのだろう。抽象的で眼に見えない概念は象形の文字にはなりにくく力という部分は腕力の事ではなく田で使われる鍬の形を表したものであるとするのが白川静氏の岩波新書「漢字」である。「男」は田で働く農夫やそこで使われる農器具を管理する役職の名であると言う意見である。男を表す文字は「士」や「夫」である。爵位に「男爵」と言う位が有るが「男」が役職の名であった名残がここに有ると説明されるのである。許慎は甲骨文字や金文の存在を知らず彼の漢字の成り立ちについての理解は限界が有り、誤りも有る事は今ではよく知られているところである。