読書など徒然に

歴史、宗教、言語などの随筆を読み、そのなかで発見した事を書き留めておく自分流の読書メモ。

金田一耕介の始まり

2009-01-13 11:07:14 | 読書

戦時中、横溝正史は東京吉祥寺に住んでいた。疎開で岡山に行く前である。そこに戦争中の事であり、隣組と言うものが有った。その組織ごとに防空演習があり、男も女も借り出され訓練を受けた。その同じ隣組に金田一さんと言う人が居た。横溝はその人の名前は忘れたが、その人はいつもにこにこしていて穏やかな人柄であったと言う。聞くところによれば金田一京介の弟さんだと言う事だった。横溝は耕と言う文字が好きで山田耕筰の名を借りて山名耕筰と言うペンネームで物を書いていた事が有ったくらいだった。金田一京介を金田一耕介にしてしまったのである。後に横溝の長編、短編合わせて七十七作品にこの金田一耕介は登場することになり、思いもかけず有名になってしまったのである。横溝は勝手に大学者、金田一京介の名を変えたことに後ろめたさを感じていたが野村胡堂の通夜に江戸川乱歩と行ったときにその通夜の席で金田一京介氏に会った事があったが彼は金田一氏に羞恥心と後ろめたさで挨拶する勇気が出なかったと言う事である。金田一氏は通夜の部屋のちょうど対角線上の位置に居て、時々こちらを見てにこにこしていただけだったそうだ。さらに後、京介氏の息子の晴彦氏からは探偵金田一耕介のお陰で金田一と言う名が正確に読まれるようになり有り難かったと言われたそうである。その晴彦氏も今は亡い。横溝は昭和五十六年七十九歳で他界した。