牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

愛はさばきに打ち勝つ

2016-07-04 07:22:42 | Weblog
聖書の一言;ヤコブの手紙2:1-13 私の兄弟たち。あなたがたは私たちの栄光の主イエス・キリストを信じる信仰を持っているのですから、人をえこひいきしてはいけません。
あなたがたの会堂に、金の指輪をはめ、立派な服装をした人がはいって来、またみすぼらしい服装をした貧しい人もはいって来たとします。
あなたがたが、りっぱな服装をした人に目を留めて、「あなたは、こちらの良い席におすわりなさい。」と言い、貧しい人には、「あなたは、そこで立っていなさい。でなければ、私の足もとにすわりなさい。」と言うとすれば、
あなたがたは、自分たちの間で差別を設け、悪い考え方で人をさばく者になったのではありませんか。
よく聞きなさい。愛する兄弟たち。神は、この世の貧しい人たちを選んで信仰に富む者とし、神を愛する者に約束されている御国を相続する者とされたではありませんか。
それなのに、あなたがたは貧しい人を軽蔑したのです。あなたがたをしいたげるのは富んだ人たちではありませんか。また、あなたがたを裁判所に引いて行くのも彼らではありませんか。
あなたがたがその名で呼ばれている尊い御名をけがすのも彼らではありませんか。
もし、ほんとうにあなたがたが、聖書に従って、「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」という最高の律法を守るなら、あなたがたの行ないはりっぱです。
しかし、もし人をえこひいきするなら、あなたがたは罪を犯しており、律法によって違反者として責められます。
律法全体を守っても、一つの点でつまずくなら、その人はすべてを犯した者となったのです。
なぜなら、「姦淫してはならない。」と言われた方は、「殺してはならない。」とも言われたからです。そこで、姦淫しなくても人殺しをすれば、あなたは律法の違反者となったのです。
自由の律法によってさばかれる者らしく語り、またそのように行ないなさい。
あわれみを示したことのない者に対するさばきは、あわれみのないさばきです。あわれみは、さばきに向かって勝ち誇るのです。
愛は罪を覆います。裁き合う所に平和はなく、親子でも、夫婦でも、学校や職場、政治の世界、国際社会でも同じです。
憐れみを示したことのない者への裁きは、あわれみのない裁きです。
格差社会への道を、これ以上ならないように、主権在民の平和憲法護持で、ストップできる参議院議員選挙です。愛のあふれる平和な日本を、心から祈る朝です。
ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝してます。


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