牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

母の命日

2005-08-26 06:50:42 | Weblog
1951年8月26日は忘れることのできない日。小学4年生の夏休みのときだった。暑い日差しの中で遊んでいた。近所の方が大声で呼んでいる。
 「お母さんが・・・」その呼び声ですっ飛んで母の枕元に駆けつけた。母は病んでいた。若いときの火傷の傷が治りきっていなくて再発し、そこから病状が進み、医者も病院のない田舎のこと、適当な薬もなく日々衰弱していた。
 母と別れて暮らすようになっていたがいつも母のところに帰っていた。母はやせ細った手でしっかりと私の腕をつかんだ。「義之。ごめんな」とか細い声でささやくように言った。何でこんなときにと思った。そしてそれが地上での母の最期のことばとなった。母の手から力が抜けて腕からはなれ、母は息を引き取った。
 種子島の夏は暑い。ドライアイスがある時代でもない。その翌日はもう葬式。まだ土葬の時代。村はずれの墓地に向かって葬列は進む。先頭に旗を持って歩かされた。
 墓地に着くと、棺が墓に下ろされ最初に私が一掴みの土をかけ、隣の大人が最後の別れをと言う。と同時にどさっと周りの土でたちまちのうちに棺が覆われ、土まんじゅうができ白木の墓標が立てられた。
 母が死んだ!もうあの美しい顔も、優しいことばも聞こえてこない。人は死んだらお終い。愛も喜びも楽しさも消えていく。歯を食いしばった。泣くものか。我慢した。もう何もかも終わりだ。自分は生きているが母は死んだ。
 物も言わないで生きよう。歌も歌うまい。心の寂しさをそのような形でしか表現できなかった。

 16歳のとき、キリスト教会へ初めて出かけた。神は愛ですと聞いた。目にも見えない姿形もない、刻んだ像もない。生きている得る唯一の神。全知全能、遍在、永遠不変の神。聖く義なる神、公平で完全で愛なる神の存在を知った。
 その愛は、ひとり子イエス・キリストを十字架に釘付け死なせるほどに大きな愛。
 母は自分の病に勝てず37歳で死んだ。死にたくなかったはずだ。
愛する子どもを残して死ぬことはできないと思っても、「ごめんね」としか言えなかった。
 イエス・キリストは、私を愛して十字架に死なれた。全ての罪と病、のろいも貧乏も引き受けて、死と滅びも自分が背負って死なれた。そして3日目に復活した。
 その日にクリスチャンになった。以来48年、聖霊によって注がれる神の愛に守られ支えられて生きている。
 もう黙り込まない。心からハレルヤと叫び、声の限り歌うこともできる。喜びと平安、感謝と永遠の希望に輝く人生。
 神のなさることはすべてときにかなって美しい(伝道3:12)と、すべてのことに感謝しつつ、天国に向かって日々喜びつつ前進できる幸い!

 先日は自殺寸前の青年が、自殺から救われた。「イエス様。信じます。私の心にお迎えします。アーメン」 今朝、私とともに祈りませんか。そのように語る私の声を聞き、その声に合せて祈ったとき救われました。
 人生にどのような悲劇があり、悲惨な出来事や試練があろうとも、イエス・キリストを心にお迎えすれば新しい展開が始まる。今日を其のスタートの日にして欲しい。祝福を祈ります。

ところが、あなたがたは言います。 「神様は私たちを見捨て、私たちをお忘れになった。」
 「そんなはずはない。 母親がわが子を忘れ、愛さなくなることがあるだろうか。 だが、たといそんなことがあっても、わたしはおまえを忘れない。
 わたしはおまえの名をてのひらに入れ墨した。 イザヤ49:14-16



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