牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

一隅を照らすもので私はありたい

2012-02-03 05:17:03 | Weblog
 チャペルタイムス(打田キリスト教会発行)が届き、私の願いという詩が掲載されていました。

私の願い  田中良雄

一隅を照らすもので私はありたい
私の受け持つ一隅が
どんなに小さいみじめな
はかないものであっても
悪びれず
ひるまず
いつもほのかに
照らしていきたい

田中良雄は東大在学中、人を救うべく線路に飛び込んで、片足首を失いました。卒業後、住友本社総本店に入社し、住友電工や「住友本社の経営に力を発揮し、住友電工中興の英主とたたえられた人です。亡くなられた後、本人直筆の表装されたこの詩が、自宅の箪笥の中から出てきたのだそうです。

1890年(明治23年)、富山県射水郡浅井村(現射水市)に生まれる。高岡中学校、第四高等学校卒業。1915年(大正4年)、東京帝国大学法学部を卒業し、同年6月住友総本店(住友財閥)に入社。人事部人事課長、人事部長を経て、1937年(昭和12年)住友電線(現住友電気工業)専務、1941年(昭和16年)住友本社常務理事に就任。1947年(昭和22年)に退職した後、住友工業高等学校理事長や住友病院理事長、大阪市教育委員長などを務めた。(ウィキペディア)

イエス・キリストを信じるクリスチャンは、いつも一隅を照らす存在としてこの世に置かれていると信じます。

私の受け持つ一隅が、どんなに小さいみじめな、はかないものであっても、悪びれずひるまず、いつもほのかに照らしていきたい。詩を読みながら強く思う朝です。

 イエス様は、「あなたがたは、世界の光です。山の上にある町は隠れる事ができません。また、あかりをつけて、それを枡の下に置く者はありません。燭台の上に置きます。そうすれば、家にいる人々全部を照らします。
このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行ないを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。」(マタイの福音書5:14-16)

 また、ピリピ人への手紙にも、「すべてのことを、つぶやかず、疑わずに行ないなさい。
それは、あなたがたが、非難されるところのない純真な者となり、また、曲がった邪悪な世代の中にあって傷のない神の子どもとなり、いのちのことばをしっかり握って、彼らの間で世の光として輝くためです。」(2:14-16)と記されています。

 豊かな聖霊に力を満たされ、信仰、希望、愛に輝いて、置かれた所でいつも光をもたらす者として光を照らし続けることを願い、今日もまた明るく元気でさわやかな天国の一日です!

詩篇
27:1 主は、私の光、私の救い。だれを私は恐れよう。主は、私のいのちのとりで。だれを私はこわがろう。

27:2 悪を行なう者が私の肉を食らおうと、私に襲いかかったとき、私の仇、私の敵、彼らはつまずき、倒れた。

27:3 たとい、私に向かって陣営が張られても、私の心は恐れない。たとい、戦いが私に向かって起こっても、それにも、私は動じない。

27:4 私は一つのことを主に願った。私はそれを求めている。私のいのちの日の限り、主の家に住むことを。主の麗しさを仰ぎ見、その宮で、思いにふける、そのために。

27:5 それは、主が、悩みの日に私を隠れ場に隠し、その幕屋のひそかな所に私をかくまい、岩の上に私を上げてくださるからだ。

27:6 今、私のかしらは、私を取り囲む敵の上に高く上げられる。私は、その幕屋で、喜びのいけにえをささげ、歌うたい、主に、ほめ歌を歌おう。


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